元人魚姫ですが、今はただの泡です、こんにちは
黒湖クロコ
第1話 元人魚姫ですが、今はただの泡です、こんにちは
その日、俺は浴室に入った瞬間、妙な気配と視線を感じた。
俺は入浴は一人でする主義なので、浴室には俺以外はいないし、個人で使っているので人が隠れられるほど広くもない。
見渡した浴室はいつもと変わらず、なみなみとお湯の入った浴槽は石鹸で泡立っていた。いつもここで体を洗い、最後にシャワーで流すようにしている。
「……磯の匂い?」
いつもと何かが違うという勘を頼りに、五感を研ぎ澄ませれば、ふと鼻孔に磯の匂いを感じた。湯船は勿論海水ではなく、真水を使っている。それなのに感じる磯臭さ。
気づいた異臭に、俺は眉間に皺を寄せた。
もしかしたら、何か毒のようなものが湯船に混ぜられているのだろうか。
王位継承権を持つ俺はこれまでに何度か襲われた事がある。
「おい。誰か——」
外にいる従者を呼ぼうと声を出した瞬間だった。ボコボコっと湯船がまるで生きているかのように動いた。正確には湯船ではなく、泡だ。
泡がうごめいている。
「魔物か?!」
『違います。ただの泡です!』
俺の言葉に、泡が言葉を返した。……言葉を返しただと?!
俺はギョッとして睨みつけたが、泡はふわふわと揺れるだけだ。今のところ攻撃を仕掛けてくるような気配はない。むしろ攻撃できるのだろうか。この体で。
そもそもだ。
【魔物】は喋らない。魔物と言うのは言葉を発するだけの知性を持ち合わせていない、魔力を持つ獣を指す単語だ。
人間ではない、言語を持つ者は異種族と俺達は分類していた。つまり、この泡が……異種族。相当違和感のある外見だ。どこが口で、どこが頭なのだろう。
「……ただの泡が、何故我が城の、湯船にいるのだ?」
喋る泡はただの泡ではない気がしたが、だったらなんと呼びかければいいのかも分からない。
『話せば長くなるのですが……。そのままでは、寒くありませんか? どうぞ、どうぞ、ご一緒に風呂にお入り下さい』
「……他者と一緒の湯船に入る趣味はしていない」
確かに裸なので寒い。寒いが、よく分からないものと風呂を共にするのは嫌だ。
それに、もしかしたら湯船に入った瞬間窒息死させようとしているのかもしれない。まだどういう相手なのか分からないのだから隙は見せられない。
『チッ。折角混浴ついでに、筋肉を触っておこうと思ったのに……。あっ。決して窒息死させようとか、そういうのは狙ってませんから。そもそも、私、死体を愛でる趣味ないですから』
暗殺を狙っていないということは分かったが、言動が可笑しい。むしろ少々違う意味で気持ち悪い。筋肉を触るとか、混浴とか、意味が分からない。
「何で、触ろうとしているんだ」
『そんなの、もちろん王子の事が好きだからですよ。好きだから、隅々まで知りたいじゃないですか』
……好きなのか?
しかしその言葉に、嬉しいという気持ちは湧かない。いや、泡に好かれた上で、筋肉を触りたいと言われて嬉しい性癖の持ち主は、世の中ほぼ居ないと思う。少なくとも俺は違う。
『ただ、少し広背筋とか肩関節周辺の筋肉が足りないですね。それじゃあ、早く泳げませんよ。腹筋は見事です。割れてますね。尻もいい形です。後——』
「み、見るな!!」
何処に目があるのか分からないが、俺は今生まれたままの姿だ。泡に視姦されるとか最悪すぎる。とっさに手で大事な部分を隠そうとするが、微妙だ。凄く間抜けな感じになっている。
『失礼しました。そうですね。大腿四頭筋をジロジロ見てすみません。私には大腿四頭筋がないので、ついつい見てしまいました。しかし、しっかりそこを鍛えなければ、今度こそ船が難破した時に、陸まで泳ぎ切れず死にますよ』
「えっ?」
『前は運よく私がいたから良かったですが、まず船で難破した時は、できるだけ体力を使わずにすむよう、乗って浮いていられるものを探して下さい。人間は低体温になると死んでしまいますから』
何故俺が難破した事を知っているのだろう。
いや、俺が奇跡の生還を遂げたことはそれなりに有名でもある。そして俺を助けたという少女と婚約をして――まて。今、この泡が私がいたから良かったと言わなかったか?
「ちょっと待て。俺を助けたのは、お前なのか?」
『陸まで運んで、水を吐き出させたのは間違いないですね。その後の救助は人間の誰かだと思いますが。大変だったんですよ。海水を吐き出させるの。腹筋鍛えすぎてて、お腹を押しても固いので』
マジか。
確かに、俺を助けたと言う少女に人命救助の知識があるような感じではなかったし、彼女では泳いで俺を助けたりはできないだろう。運よく流れ着いたとは思ったが ……。
『あっ。信じてません? えっと。じゃあ、その時服が重いんで、ズボンとジャケットと靴を脱がせて連れてきたって話をしたら分かります? ちなみにその時のパンツは白でした』
「やめろ。思い出させるな」
確かに俺が海岸で倒れていた時の服装は酷いものだった。海難にあったわけではなかったら、不審者と言われるような恰好だった。
そして、その日の俺のパンツの色は白に間違いない。下着を人に見られた衝撃は忘れたくても忘れられない汚点だ。
『思い出してもらわないと困りますよ』
「何故だ」
『だって、今婚約をした女、国家転覆を狙ってますから。王子を助けたというのも真っ赤な嘘。だって私ですもん。ハニートラップに簡単に引っかからないで下さいよ。これじゃあ、おちおち普通の泡人生を進めないじゃないですか』
泡は腹を立てているのか、ぱちゃんと水しぶきをあげた。
というか、普通の泡人生ってなんだ。泡という種族は一体、何なんだ。
とりあえず、人間との交流がほぼない種族なのだろうということは分かるけれど、色々ツッコミどころが多すぎて訳が分からない。
「って、国家転覆?!」
泡人生の方が気になりすぎて聞き流しかけてしまったが、聞き流してはいけない話だ。
『そうです。恋に狂わされていないで、しっかりして下さいよ。ちゃんと裏を確認して下さい。彼女の生家は異国と貿易をし、色々後ろ暗い事してますから』
それが本当なら、色々問題だ。
「分かった。調べてみるが、どうしてただの泡がそこまで知っているんだ」
『ただの泡はどこにだって行けるんです。酒瓶の中でも、水瓶の中でも。そして私は、王子が好きなので、役に立とうと思ったんです』
「俺が、好き……」
『一目惚れです。私、人間の世界に憧れていたのもありまして』
泡がゆらゆらと揺れた。恥ずかしがっているのだろうか。
『とにかく、この黒い婚約だけはさせられません。そもそも、私の手柄を勝手に利用するのが腹立つんで、密告しに来ました』
ぱちゃんと再び泡が跳ねる。
「そ、そうか」
『というわけで、しばらく、厄介になります。ただの泡は、それなりに役立ちますよ!』
これが、俺とただの泡との出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます