第3話 ――されど栄光は俺である

「は」


 その竜人は。


「はは」


 笑う。


「ははははははははっ!」


 愉快そうに。

 愉悦に表情を歪ませながら。

 そうやってひとしきり笑った後、急に黙ったそいつはこちらの方を見、「は」と鼻で笑ってくる。


「お前、なんだぁ? ユーシャっつったか?」

「……っ」

「おいおい、おい。お前みたいな奴が勇者なのかよ。聞いてた話と随分と違うじゃねえか。俺ぁ、もっと筋骨隆々の厳つい野郎が出てくると思ってたぜ」


 ジロジロとこちらを見降ろし、呟くのは侮蔑の言葉。


「小便垂らしてズボン濡らしてんじゃねえか。ビビッて震えて動けねえみたいだし、マジでなんなんだこいつ」

「う、五月蠅い!」


 俺は自身を鼓舞するつもりで叫んだ。


「お、俺は勇者だぞ! お前なんかぶっ殺してやるから、恐いならさっさと逃げろっ!」


 それはこの竜人に言っている言葉でもあり。

 背後にいる少女に向けての言葉でもあった。

 どちらにせよ、まともに戦って勝てる気がしないし、ましてや背後に誰かいる事を気にしながら戦える奴では間違いなくない。

 その事はすぐに目の前の竜人にも分かったのだろう。

 再び「は」と鼻で笑い、「ああ、良いぜぇ?」と挑発的に言う。


「そう言う事なら、勇者。俺はお前を殺さない」

「……ぐ、」

「その代わり、お前が負けたらそいつ、女を目の前で食ってやるよ。足から下から、順番に、苦しませながら惨殺してやるよ」

「さ、させると思ってんのか!」

「だったら、止めて見せろよ勇者! そのほっそい腕を思い切り振り回して聖剣で俺をぶった切ってみな!」


 そして火蓋は切って落とされる。

 ぶわ、っと剣圧が迫り来る。

 これで俺を殺すつもりがないとか嘘っぱちだ、食らったら間違いなく死ぬだろ。

 

 そして俺は、避けない。

 避けたら後ろの女の子が死んでしまうかもしれない。

 未だに逃げない、女の子。

 いい加減さっさとどっか行って欲しいが、多分腰が抜けて動けないのかもしれない。

 ああ、クソ逃げたい。

 どうして俺、前に出てきてしまったんだよ。

 前世の俺も今世の俺もそんな事する奴じゃなかっただろ……!

 そんな事をゆっくりになった視界の中で考える。

 走馬灯、みたいなものだろうか。

 すべてがゆっくりになった世界で俺は重たい手足を動かし、再び振り下ろされた剣を聖剣で弾きにいく。


 がぁきぃんッ!!!!


 鉄同士がぶつかり合う音。

 側面から巨大な剣を弾き、剣閃を逸らす。

 地面に激突し土埃が舞った。

 剣が深く地面にめり込んでいるのを見、俺は攻撃のチャンスだと一歩前に出ようとし、そしてすんでのところで踏み止まる。

 むしろ、踏み出してきたのは竜人の方だった。

 剣の柄から手を放し、一歩踏み出してきた竜人。

 その一歩はそのまま鋭い蹴りとなり俺へと襲い掛かって来る。


「ぐ、ぅ……!」


 危ないと所でその一撃を聖剣で受け止めるが衝撃事態を防ぎ切る事は出来ず、俺は後方へと後ろにいた少女を巻き込んで弾き飛ばされてしまった。


「い、ぎ……ぁ!」


 ザリザリと地面の上を転がり、肌の表面が削れる。

 痛い。

 痛過ぎる。

 それでもその痛みに喘いでいたら、殺される。

 すぐに立ち上がり聖剣を構えると、視界の先ではゆっくりとした動作で剣を引き抜く竜人の姿があった。

 

「弱え」


 竜人の一言。


「弱過ぎる」


 それは俺に対する評価だった。


「こんなに弱い者か、勇者ってのは。一発食らっただけでひーひー言ってんじゃねえか」

「う、うるせえ」

「ま、一撃。いや、二撃か。なんにせよ俺の攻撃を耐えたのは褒めてやるよ。人間で俺の攻撃を耐えられた奴はいねえ。そう言う意味で、お前は及第点をやれるよ」


 故に、と竜人はそこで初めて、真面目そうな声色を出す。


「前言撤回するぜ。お前は今、ここで殺す」


 殺気。

 殺意。

 そんなあやふやである筈のものをはっきりと感じ取る事が出来た。

 

 ああ、死ぬ。


 明確な死が迫り来る。

 防ぎようのない殺戮。

 だけど逃げない。

 逃げられない。

 だから俺は、一歩前に出て頼みの綱である聖剣を握りしめた。


「こ、来い!」


 そして死は、あっという間にやって来た。


 ゴッッ!!!!


 最初にやって来たのは空気だった。

 竜人という大質量が空気を押しのけ突っ込んできたからだ。

 前兆である筈の暴風ですらこの威力。

 そして、本命である剣の横薙ぎが、今、やって、来る――


「だ、め……」


 そしてそれは。

 か細い声。

 後方から聞こえてきた、少女の声。

 風に乗って運ばれてきたその声を聴く。

 頼りない、それでも今の俺にとってはイヤでも縋りつきたくなってしまうそんな声。

 その声に助けを求めるのではない。

 むしろ逆。

 その声の主を助けるというモチベーションがあるから、俺は立っている事が出来た。


「う、」


 視界が、晴れた。

 力が湧いて来る。

 

「おお、お……!」


 血が滲むほどの力で聖剣を握りしめ。


「おおおおおおおおおおおおお!!!!」


 死を、真っ向から受け止める――!!





 ダギンッッッッ!!!!





 接触は二度。

 一度は迫り来る剣を聖剣で受け止めた。

 否。

 真っ向から打ち破った。

 

 勢いよく後方へと飛んでいくその剣片の先に何があったのかなんて気にしている余裕はない。

 一瞬の隙。

 それを逃す訳には、行かない。

 そして。


 斬ッッッッ!


「な、ぐ。が……!」


 深々と。

 聖剣が竜人の腹部を引き裂いた。

 真一文字に開かれた肉。

 骨を断つ感覚があった。

 全身を守っていた鱗を容易く切り裂き、聖剣は竜人の命を絶つ事に成功した。


「ご、は!」


 口から血を噴き出し、よろめく竜人。

 命を絶ったと言ったが、それでも竜人は動いている。

 まだ、俺達を屠るだけの余裕はある。

 その事実が、俺に焦燥感を与えてきた。

 だから。


「だぁあああああああああっ!」

「ギャッ!!」


 俺は半狂乱になりながら、聖剣を振るった。

 子供のように、泣き喚きながら。

 一心不乱に振り回される聖剣が与える竜人へとダメージは少ない。

 それでも竜人の身体はボロボロになっていき、そして立っている事すら出来なくなったのかずしんと大きな音を立てて倒れる事となった。


「はーっ、はーっ、はーっ!」


 息が苦しい。

 視界が暗くなる。

 それでもまだ、竜人は動いている。

 だから俺は最期の一撃とばかりに聖剣の剣先を竜人の胸へと突き刺した。

 

 それが、とどめとなった。


 ついに竜人は動きを止めた。

 ダクダクと流れる血潮。

 むんと鼻をつく鉄の香りがする。

 不快な匂いだ。

 深く息をする事が出来ない。

 酸欠だ。


 俺はそこで初めて後方を振り返る。

 そこには意識を手放しつつも満身無事な少女の姿があって。

 ようやく俺の中で一人の少女の命を救う事に成功したという実感がわいてくるのだった。

 安心し。

 そんな事をまだするべきではないのに。


 緊張が途切れた俺は、その勢いのまま自身の意識を手放してしまい――

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