第8話 正徳寺の会見

 1553年 正徳寺


「婿殿は未だ来ておらぬか、弥次郎」

「どうやら我らが先に着いたようにございます。この小屋からであれば上総守様のご様子も確認出来るかと」


 明智あけち弥次郎 光安みつやす。妹に小見の方がおり、甥には明智光秀がいる。

 帰蝶が織田家へ輿入れした際には、媒人を任されたこともある。今回、正徳寺で信長と会うにあたり、利政は信頼出来る光安を同行させたのだ。

 利政は光安に案内された小屋へと入った。小さな隙間より、おそらく那古野城からやってくるであろう信長の見物をするつもりであるらしい。

 実際信長と帰蝶の婚姻は、当事者同士が会う機会は一度も無く、両家の家臣らが動くことで取りまとめられたのだ。

 利政にしても信長の人となりを知るのは、帰蝶からの文のみである。その文も年々様子が変わってきているのだ。これまで全くと言って良いほど、娘の変化を気にもとめなかった利政であったが、流石に気になり始めたのか。

 今回信長よりも早くこの地にやって来たのは、それがまさに原因であったのだ。


「周囲に人をやれ。婿殿が来れば、儂に報せよ」

「かしこまりました」

「儂はしばらく休む」


 光安は小屋から出て行き、外で何やら指示を出している。利政はそれすらも気にせず、ただ今日やってくるであろう信長との会見を楽しみにしていた。

 どういった者かによって、尾張の今後の取り扱いが決まる。上手くいけば尾張1国を手中に収めることも可能であるのだ。

 利政のこれまでを考えれば、気分が昂ぶるのもまた仕方が無いのかも知れない。

 それからしばらくした頃、光安が慌てた様子で飛び込んできた。


「殿、上総守様がこちらへと参られました」

「・・・うむ、わかった。さて、見てみるとするか」


 利政は立ち上がると、小屋の隙間より光安に示された通りの先に目をやった。

 たしかに大勢の人が歩いて来ており、正徳寺の方面へと進んでいるのが見える。先頭には若い男が馬に乗って悠々と進んでいるのだが、その格好があまりに場違いとでもいうのか。

 もしあれが信長であるというのであれば、これから舅に会う格好では無いであろうという出で立ちをしている。

 袴もはかず、荒縄を腰に巻いて茶筅髷を結っていた。光安が慌てて報せに来たのも無理は無い。

 だがそれとは対照に、引き連れている兵達が栄えるのだ。

 約6.3メートルにもなる長い朱色の槍5百本、弓・鉄砲5百挺が整然と並び信長の背後を行進している。まさに圧巻としか言いようがなかった。

 この時代に鉄砲をある程度揃えるというのもまた難しい話。利政は思いがけず、織田弾正忠家の強さを見せつけられることとなる。

 しかし未だ余裕はあった。信長は大うつけとして近隣諸国に名を轟かせていた。

 今回の出で立ちも、うつけを表しているのだと。最近こそあまりその手の話を聞いてはいないが、人の本質がそう簡単に変わることは無いのだと。


「舅殿、待たせたであろうか」


 正徳寺で利政らの前に姿を現した信長は正装をしていた。利政はまんまと信長の思うがままに動いてしまったことを悔やむこととなる。

 この先を見据える目は、やはり数年前のあれも仕組まれたものであると再確認させられたのだ。


「待ってはおらぬ。儂も今しがた来たところである」

「ならば安心した。本来であれば帰蝶も連れてくるべきであったのであろうが、なにぶん城から一歩外へ出れば危険がその辺に溢れておるので諦めたのだ」

「気遣い感謝するぞ。むしろここに連れてくる道中に、娘に何かあったというのであれば、儂は婿殿を殺していたであろう」


 利政の言葉に信長は頷く。その言葉が本気であることなど、おそらく見抜いているのだ。


「そういえば先日も守護代である清洲織田家と随分やり合ったそうでは無いか」

「よくご存じで。不届き者が我が城へと攻め寄せて来た故、追い払ってやったのだ。ついでに不届き者に加担した者にも手を下したところ。しばらく大人しくしておれば良いのだがな」


 これは萱津かやづの戦いと呼ばれるものである。織田弾正忠家配下の城に、尾張守護代である清洲織田家当主織田信友の又代である坂井さかい大膳だいぜんが兵をやった。城は落とされ、深田城と松葉城の城主らを人質とすると本格的に信長と敵対することとなる。

 信長は叔父である織田おだ信光のぶみつ協力の元、萱津の地で衝突すると圧倒的な勝利をもって城を奪還したのだ。

 幾度も敵対と和睦を繰り返してきた両家であるが、これ以降は敵対した関係を維持していくこととなる。


「何かあれば儂が美濃より圧をかけてやっても良いが?」

「心配ご無用。近く我が家をまとめ上げ、織田一族による尾張分割も終わらせるつもり」

「今川の脅威も迫っているのであろう?娘より聞いたぞ、先代が纏めた和睦を即刻ないものとしたと」

「当然。舅殿にも織田家にとっても都合が悪いと思ったまでだ」


 ここで再び利政は感心した。度肝を抜くことが出来ると思えば、配慮も出来るのかと。

 うつけの噂はいったいなんであったのか。

 信長の才を妬んだ者が、腹いせにあることないことを広げているのではないか、と。


「そういえば美濃と尾張の国境を守る者を誅したと聞いたのだが?」

「そうであったわ。奴ら婿殿に内通しているという密告があり調べてみたら、六角弾正少弼と繋がっておったのだ。あの者らを信じていたのだが、まこと残念よ」

「なるほど、俺としてもそのような身に覚えの無いことに巻き込まれて不満を抱かざるを得ない。今後は周囲に気をつけられるが良かろう」

「そうするとしよう。特に儂や婿殿のような者は周囲に敵を作りやすい。思いも寄らぬところに実は敵が潜んでいたりするものよ」

「お互い気をつけねばならぬな」


 会見自体は穏やかに終わった。両者は居城へと帰っていく。

 まさに実りのある会見であったが、利政にはとある不安が頭をよぎった。信長という人物は、思った以上に危険であったのだ。

 嫡男である斎藤義龍では、信長と対等にやり合えない。下手をすれば喰われかねぬという懸念が芽生えた。


「弥次郎、婿殿はどう映った」

「長く続いた尾張の混乱を終わらせることが出来るのであれば、あの御方しかおらぬかと。人を魅せるやり方をよく知っておられます。そして戦も強うございます。今はこれまでの行いもあり評価されてはおりませぬが、いずれは・・・」

「儂もそう思った。故に婿殿は危険である」

「・・・では」

「城に戻ってから考えるとしよう。それに少々気になることもある」

「気になることにございますか?」

「うむ、美濃を抑えてはや数年が経ったが、斎藤による支配もいずれは終わりを迎えるのであろうな」


 光安には、やけに寂しげに語る利政の本意を知ることが出来なかった。

 だが利政には確かな予感があったのだ。故に急がなければならなかった。でなければ美濃はいずれ斎藤から主を変えることとなるであろうから。

 利政自身が土岐家による支配を終わらせたように。

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