第2話 美濃守護土岐頼純

1546年 大桑城


「土岐次郎頼純である」

「帰蝶にございます。頼純様、これから末永くよろしくお願いいたします」


 新たな美濃守護として任じられた土岐頼純の居城である大桑城。この日、帰蝶が頼純に輿入れしたことでようやく斎藤家と土岐家の和睦が完全なる形で成った。それに合わせて頼純は美濃守を称することとなる。

 しかし祝いの席だというのに、当事者たる2人に笑顔はない。

 頼純は警戒した様子であり、帰蝶は相も変わらず無表情である。

 このことを心配した土岐家の家臣らは当然多くいた。いやほとんどがそうであったことだろう。しかしそれを口にすることも出来ない。美濃守護へと任じられることは父より受け継ぎし頼純の悲願であったのだ。余計な口出しで、今という時間を崩すわけにはいかなかった。


「帰蝶」

「なんでございましょうか」

「年はいくつだ」

「今年で12にございます」

「そうか。ならば無理に俺に尽くす必要は無い。部屋は与える故、好きに過ごすが良い」

「好きに、でございますか?妻としてのお役目は如何いたしましょう」

「構わぬ、未だ幼きお前が気にする必要は無い」


 このやり取りに凍り付いたのは当事者らを除く者たちである。頼純に付き従う者らは表情を強ばらせ、帰蝶の表情を伺う。

 だが帰蝶もそう言われることを端から分かっていたかのように、ただ黙して頷いた。

 不思議なことに帰蝶のその表情には悲嘆の感情も、怒りも安堵も喜びも何もない。


「ではそのようにさせていただきます。父上様には、次郎様とは上手くいっていると報せの文を出しておきますので。あなたたちもいらぬ事を申さぬように」


 帰蝶は輿入れに同伴した利政の家臣らにもそう伝える。

 だがそれを不快そうに頼純は顔を顰めた。


「いらぬ気遣いである」

「これは・・・、申し訳ございませぬ」

「分かればよいのだ。俺は部屋へと戻る。あとは好きに食べていろ」


 頼純は家臣の制止も聞かず自身の部屋へと戻る。結局慌てたのは家臣達だ。

 そしてその様をどこか冷めた目で見ているのは、帰蝶本人と同伴した利政の家臣達。頼純も利政の家臣達もわかっているのであろう。

 一時的に結ばれた和睦など何の意味も無いことを。そもそも頼純は己の力で和睦を勝ち取ったわけではない。

 自身を保護した朝倉家と、叔父である頼芸を保護した織田弾正忠家の力が成したことなのだ。だからこそ、いずれこの和睦は無きものとなる。

 その予感が両者ともにあったのだ。


「帰蝶様、殿は少々お疲れのようなのです。つい先日菩提山城よりこの城に入られたばかりですので」

「お気になさらずに。それを癒やすのも妻である私のお役目なのです。しかしそれもいらぬと言われてしまっては・・・」

「そのことも我らが責任を持って殿とお話しいたします。故にもうしばらく待っていただきたく」


 家臣らの視線は帰蝶、というよりは利政の家臣らに向いていた。

 この事実を利政に報告されることを畏れている。そのように見て取れる。


「何はともあれ、これにて土岐と斎藤の間に和睦は成りました。そのこと守護代たる私、斎藤大納言正義が見届けましたので、これにて城に戻らせて頂きます」


 利政の家臣団を代表してそう締めくくった男の名は斎藤さいとう正義まさよし。前守護代である斎藤利良亡き跡を継いだ者である。しかしこの者、利良の縁者にあらず。

 当時朝廷にて従三位に任じられていた後の関白、近衛このえ稙家たねいえの庶子である。

 庶子であるが故に、稙家の家臣である瀬田せた左京さきょうに預けられた正義は比叡山横川恵心院に出家させられることとなった。しかし武事を好んだ正義は、左京の姉が愛妾となっていた縁を頼り利政の養子となったのだ。

 その後斎藤持是院家を継承し、美濃国守護代に就くこととなる。それが正義の生い立ちであった。

 故に守護代であるものの、立場としては利政の家臣として扱われている。そのことについて正義は何も不満に思っておらず、利政もまた遠慮無く息子として接していた。


「斎藤大納言様、これまでは幾重にも渡り刃を交わした仲なれど、今後は美濃の守護者としてどうかよろしくお願いいたします」

「・・・うまくいくことを願っております」


 土岐家家臣らの言葉が正義の耳に入ったかどうかは不明である。それほどまでに両家の溝は深い。

 この正義もまた、養子として美濃へ入って以降は利政のため、土岐家と戦ってきた者。

 素直にこの和睦を喜ぶことが出来ぬ者の1人であるのだ。


「姫様、私は烏峰城へと戻ります。何かあればこの者らに申しつけくだされ」

「ここまでの護衛お疲れ様でした。気をつけて帰るのですよ」

「姫様の優しさは長旅の疲れすらも癒やしてくださいます。ではこれにて失礼」


 義理の兄妹であるとはいえ、2人の会話はこれまでに感じることのなかった温かみがあった。とはいっても、それはここまでの2人の態度と比べての話。

 相変わらず無表情の帰蝶、相変わらず冷めた表情の正義。それをおどおどとした表情で見つめる土岐家の家臣。

 正義が城から出ていく姿を確認した帰蝶は、頼純により用意された部屋へと場所を移した。


「ねぇ」

「なんでございましょうか?」

「これを預かっていて貰えますか?」


 利政よりあてがわれた侍女に、帰蝶は1つの包みを渡す。侍女は特に困惑した様子も無く、それを受け取り、一度中身を確認した。


「たしかにお預かりいたしました。必要な時にお渡しいたします」

「お願いします。ですがそのような時・・・、これらが必要な時など来なければ良いのですが」

「・・・たしかにそうでございます。配慮が足りませんでした」

「気にしないでください。どうせいずれやってきます。戦場に身を置いてきた義兄様の顔を見ていればわかるわ」


 侍女は頷き、帰蝶より渡されたその包みを自身の荷の中に大事そうにしまった。

 いずれ使うことがあるであろうその時まで、決して誰にも知られぬように。

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