美濃国守護の妻

第1話 マムシの娘

1546年 稲葉山城


 1520年代以降、美濃国は混乱を極めた。美濃国守護である土岐家が後継者争いにより内乱状態に陥ると、それを好機とし、国をまるごと盗んだ者が出て来たのだ。

 名を斎藤さいとう利政としまさ(後の道三どうざん)。後年に美濃のマムシの異名を持つ男である。

 内部分裂を進めた土岐家は、美濃を追放されてようやく協力態勢をとることとなった。片や朝倉家を頼り、片や織田弾正忠家を頼って。

 そしてこの年、土岐家の本格的な美濃復帰が叶うこととなった。越前朝倉家の援助を受けた土岐とき頼純よりずみが、斎藤・朝倉間で結ばれた和睦により大桑城に入城した上で、現美濃守護として認められており織田弾正忠家の援助を受けていた土岐とき頼芸よりあきより守護職を譲られたのだ。

 この2人、叔父甥の関係である。

 そしてもう1つ、和睦には条件があった。


帰蝶きちょう、お前をとある男の元へと嫁がせる」

「はい」


 暗い部屋に2人。ろうそくの光が風で揺らめく中、かろうじて面と向かって座る2人の顔が見えた。

 1人は大柄な男であり、その表情にはただ厳しさだけがうかがえる。1人は未だ幼げな娘であり、その表情には何の感情もうかがえない。


「土岐次郎様にございますね」

「朝倉と和睦のためとはいえ、あのような男の元へお前を嫁がせなければと思うと心苦しいものである」


 土岐次郎頼純。その者、かつて美濃国主であった土岐とき頼武よりたけを父に持つ。

 頼武は、斎藤利政と頼武の弟である土岐頼芸により美濃から追い出されていた。その身は守護代であり頼武に味方していた斎藤さいとう利良としよしの妻の縁を頼り越前へと逃れることとなる。

 そして朝倉あさくら孝景たかかげ援助の元、再三にわたり美濃全域を巻き込んで斎藤利政と戦火を交えている。後に頼武は病没したのだが、その意思を継ぐのが嫡子頼純であったのだ。


「ご配慮ありがたく思います。ですが私は父上様のお言葉に従うまで。父上様が嫁げといわれるのであれば、私はそれに従います。もし父上様が邪魔であると思うのであれば私はこの手を」

「帰蝶、そこまでとせよ」

「・・・申し訳ございません」


 帰蝶と呼ばれた娘は、父に咎められたにも関わらず一切表情を変えずに頭を下げた。まるで何の感情もないかのように。


「しかし織田弾正忠との約定もある。あちらは保留とするほか無いな」

「尾張の・・・」

「うむ、だが何も心配はいらぬ。そこは儂が上手くやる」

「はい」

「話はここまでである。だが最後に確認しておくぞ」

「はい」

「帰蝶、お前の役割は儂と土岐の橋渡しではない」


 利政の目は怪しく光った。かつて幾重にも張り巡らした謀略を用いて、土岐頼芸を尾張へと追放し国1つを盗んだ男である。その男の行動に妥協は1つも存在しない。


「肝に銘じております。先ほども申しましたとおり、私は私の役目を全うするまで。父上様のお気持ちのままに」

「分かっているのであれば良いのだ。では行け、外に大納言が控えておる。部屋まで供をして貰うがよい」

「かしこまりました。失礼いたします」


 帰蝶はただ一言残して部屋から立ち去る。

 直にこの城から出て、そして土岐頼純の入城した大桑城へと向かうこととなっていた。これが今生の別れとなるかも知れぬと言うのに、この親子は顔色1つ変える気配がない。


「この地は土岐に縛られている。今こそそのしがらみを断ち、儂の国として一新するのだ。帰蝶はその中で重要な働きをすることとなるであろう」


 利政の不敵な笑みはただ闇の中に消えた。その不穏すぎる言葉とともに。

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