温かい料理

 カミュは着替えのため、メイドに案内され別室に通された。


「楽なお召し物をご希望だとお聞きしておりますが、どのような物がよろしいでしょうか?」

「シャツとズボンを貸してもらえるかしら?」

「それですと殿方用の物しか用意がございませんが……よろしいのですか?」

「それで構わないわ」


「畏まりました。なるべく女性的なものをお選びいたします」

「よろしくね」


 メイドの女性が服を選んでいる間に、カミュはドレスを脱ぎ、コルセットを外し靴を脱いだ。

 下着だけの姿なので落ち着かないが、締め付けからの解放感は心地良いものだった。


「こちらなど、いかがでしょう?」


 彼女が選んでくれたのは、白いシャツと黒の細身のスラックス、茶色に染色された革のブーツだった。


「これでいいわ。ありがとう」


 カミュは早速着替え、ドレスに合わせて纏めていた髪を下ろし後ろで縛り、化粧も落とした。

 鏡で確認すると普段の格好にかなり近い。

 カミュは満足げに頷いた。


「その様な服をお召しになると、まるで王都の歌劇団のようですわ」


 何故かメイドの女性が胸の前で両手を握り合わせ目をキラキラさせている。


「歌劇団?」

「はい、女性のみで構成された歌劇団でございます。男役を女性が演じることで背徳的な魅力がごさいます」

「女性が男役を……」


 カミュはウォードが男装するのも面白いかもしれないと考えた。


「ウォードに相談してみようかしら?」

「カミュ様?」

「何でもないわ。行きましょうか」


 カミュは部屋を出て、メイドの案内で城の大広間に着いた。


「子爵様はすでにお待ちです」

「案内、ありがとう」


 カミュが微笑みながら言うと、彼女は頬を赤らめた。


「いえ、こちらこそありがとうございます」

「?」


 カミュには彼女が何に感謝しているのか解らなかったが、子爵を待たせるのも悪いと思い部屋に入ることにした。

 大広間に入ると子爵の他、アインとカブラス、近衛隊のリカルドが椅子に座っていた。


「カミュ待ちかねたぞ」


 子爵がカミュに声をかける。


「お待たせしました」

「ふむ……まるで男のような出で立ちだな?」

「私はこちらのほうが落ち着きます」

「いつものカミュに戻ったな」


 アインもいつもの調子で話している。

 この感じなら緊張せずに済みそうだ。


「全員揃ったな。では食事を始めよう」


 食事はオードブルに始まり、スープ、魚料理、ソルベ、肉料理、デザートと市井では目にすることのない豪華な内容だった。


「どうしたのだ。カミュ、あまり食が進んでおらんようだが?」


 子爵がカミュの表情が優れないのを見て、声をかけてきた。


「いえ、お気になさらずに」

「そうはいかん。気に入らんことがあるなら、正直に申せ」

「では、恐れながら申し上げます」

「うむ」


「なぜ、温かいうちが美味しい料理が、冷めきっているのでしょうか?」

「そうか、失念していた。私は冷たい料理しか食したことが無いのでな。市井では温かい料理は温かいうちに食すのが常識であったな」

「どういうことですか?」


 アインがカミュに説明した。


「子爵様の食べるものは、毒見役が検証した後に出されるのさ。毒の中には遅効性の物もあるから、時間がかかる。料理が冷めちまうのも無理ないのさ」

「なるほど、そういう事ね」


 カミュは得心が行った。

 肉料理にはバターがふんだんに使われていたが、バターは冷めると、くどくなる。

 他の料理も冷めていたり、温まっていたり料理に最適な温度で提供されてはいなかった。

 折角の料理もこれでは台無しだ。


「カミュ、もてなすつもりが逆に不快な思いをさせたようだな。悪かった」

「いえ、お気になさらないで下さい。……毒見が必要ということは、お命を狙われているのですか?」

「まあな、ミダスを欲しがっている者は多い。叔父のメンデル男爵を筆頭に数多の者に命を狙わておる」

「ロラン様!」


 カブラスが声を上げる。


「この場には身内しかおらん。言っても問題なかろう」

「しかし……」

「カミュが刺客なら、私の命はとうに失われておるよ」

「……解りました」


 カミュは妙に達観した子爵の様子を見て胸を痛めた。

 子爵はまだ十歳だ。普通なら、親に甘えたい年頃だろう。

 しかし、貴族の社会はこの少年にそれを許してはくれないのだ。


「……子爵様」

「なんだ?」

「私に出来ることがあるなら、力になります」

「そのようなことを、簡単に口にするな。貴族の権力闘争は血みどろの争いだ。そちは足を踏み入れるべきではない」


 カミュは子爵の言葉に何も返せなかった。


「私も温かい料理が食べてみたいものだ……」

「子爵様……」


 カブラスが悲しそうに子爵を見つめた。


「食べに行きましょう!」


 カミュは思わず声を上げていた。


「ステラなら、カイルが料理に毒を入れるなんてありえません!」

「確かにカイルなら信頼できるが……」

「ステラ? カイル? 誰だそれは?」

「三番街で宿屋を営んでいる男です。宿の名前がステラ……」


 アインが子爵に説明する。


「そこの料理は美味いのか?」

「はい、それは保証しますが……職人街の宿屋です。子爵様が行くような店じゃありません」


 アインの言葉を聞いて子爵がカブラスを見る。


「カブラス、馬車を用意しろ」

「ロラン様!?」

「カブラス、爵位を継ぐ前は私の我儘をなんでも聞いてくれたではないか」

「しかし……」

「爺、頼む」


 カブラスは昔の呼び方で呼ばれ、仕方なく折れた。


「ロラン様……解りました。しかし、誰か護衛を付けなければ許すことは出来ませんぞ」

「ふむ。人目を忍んで行くとなれば、顔の知られている者は使えんか。リカルド、誰かいないか?」


 リカルドはしばし思案した後、口を開いた。


「一年ほど前、近衛に召し抱えた者がございます。働きを見るに信用に値するかと」

「その者でよい。呼んでまいれ」

「畏まりました」

「ではカミュ、ステラに案内せよ」

「はい」


 カミュは子爵達とアインの家の馬車に乗り、途中預けていた荷物を引き取るため、アインの家に寄ってもらった。

 カミュは用心のため帯剣し、その後ステラに向かった。

 昼時は過ぎていたのでステラの食堂はすいていた。


「カミュ、おかえり。子爵様との謁見は終わったのか?」

「終わったといえば、終わったんだけど……」

「ここがそうか。ずいぶんこじんまりとした店だな」

「何だぁ、失礼なガキだな?」


「そちがこの宿の主人カイルか? カミュやアインに聞いているぞ。美味いものを出すそうではないか?」

「まあな、面と向かってまずいと言われたことはねぇよ」

「なにか食べたい。出来るもので良い。作ってくれ」


「偉そうなガキだぜ。カミュなんだこいつ?」

「アインの知り合いの貴族の子供よ。カイル悪いんだけどいう通りにしてあげて」

「しょうがねぇなぁ。出来合いの物しか出せねぇぞ」

「それでいいわ。恩に着る」

「こいつは客の晩飯にしようと思ってたんだが……」


 カイルはそう言うと、油の入った鍋を火にかけた。

 油が十分温まったのを確認しパン粉の着いた塊を鍋に入れた。

 香ばしい香りが店に漂う。


「……随分といい香りがするな」


 子爵は目の前で料理が出来上がる様子を見るのは初めてのようだ。

 興味深そうにカイルの手元を見ている。


 カイルは塊を引き上げ火を強くした。

 しばらく待って、再び塊を鍋にいれる。

 カイルは揚がり加減を見て塊を鍋から取り出す。


 その塊をまな板の上に置き、包丁を入れた。

 サクサクと小気味良い音が響き、千切りのキャベツが添えられた皿に切られた物が乗せられる。


「はいよ、お待ちどうさん」


 料理が乗った皿と一緒に、ソースが入れられた小皿も出される。


「お好みでこいつも付けて食ってみろ。お子様にはちと早いかもしれないがな」


 カイルはニヤリと笑って、別の小皿に黄色いペーストを乗せて出した。


「私を子ども扱いするな!」


 子爵はフォークで皿の塊を刺し、ペーストとソースをべっとり付けて口に運んだ。


「あっ!」


 カミュは思わず声を上げた。

 ペーストは辛子だろう。

 そんなに付けたら……。


「ふぐっ…」


 子爵は涙目になっている。


「辛い……」

「ロラン様、水を」


 アインが水を差し出す。

 水を飲み干し、子爵はカイルを恨めしそうに見た。


「付けすぎだ。ほんのちょっとでいい」


 カイルは悪戯が成功した時の子供のような顔で子爵を見た。


「……分かった」


 子爵は今度は注意深く適量を付け恐る恐る口に入れた。


「……美味しい!」

「そうだろう。なんでもやり過ぎはよくねぇ」

「ふむ、カイルとやら、確かにそちの言う通りだ。やり過ぎは良くない。ちなみにこれは何という料理だ?」


「豚カツだ。豚肉をパン粉に包んで、油であげた物さ」

「噛み締めれば油が染み出し、ソースの味と絡んで大変美味だ。ペーストも少量ならとても良い刺激を与えてくれる」


「素直だな……なかなか出来ることじゃないぜ」

「当然である」

「へっ、生意気なガキだぜ」


 そう言いながらもカイルは満足そうだ。

 子爵は料理を完食し席を立った。


「カイル、たまに店に寄っても良いか?」

「いつでも来な。でも誰か大人と一緒に来いよ。ギャングはいなくなったが子供一人じゃ心配だからな」

「解っておる。馳走になったな。ではまた来る。カイル息災でな」

「おう、待ってるぜ」


 子爵は宿を出た。

 アインもカイルに金を払い子爵を追って宿を出る。


「カイル、ありがとう。無理言ってごめんなさい」

「なあに、構わねぇよ」


 カミュもアインに続き宿を出た。


「カミュ、今日は世話になったな……温かい料理というのは美味しいものだな……」

「子爵様……」

「近いうちにまた来ようと思う。その時は出迎えてくれ」

「……はい」

「帰るぞ」


 子爵は馬車に乗ろうと扉に近づいた。

 その時、扉横にいた近衛兵がいきなり剣に手をかける。

 カミュは反射的に飛び出て近衛兵が抜こうとした直後、剣を抜き打ちした。


 近衛兵の剣は根元から断ち切られ、彼は柄を握りしめたまま動かなくなりそのまま白目をむいて気を失った。

 アインが駆け寄り近衛兵を拘束する。


「どういうことだ。カミュ何かしたのか?」

「いいえ、剣を切っただけよ」

「……おそらく暗示をかけられていたのだろう」


 二人の疑問に答えたのは子爵だった。


「私がこの男にとって完全に殺せる状態になった時、剣を抜いて切りかかるよう命令されていたのだ。おそらくこの男も、自分にそんな暗示が掛かっていることに気付いておるまい」

「そんな事が出来るのですか!?」

「随分手の込んだことをしてくれる……叔父もそろそろ本腰を入れてきたな」


 カミュは子爵に尋ねた。


「貴方の叔父、メンデル男爵とはどんな人なんですか?」


「……男爵は父の弟だ。彼は私が爵位を継ぐ時も、私の年齢を理由に自分が子爵になろうとした。古参の家臣は彼の浪費癖をよく知っていたので、挙って反対し事無きを得たがな……叔父は金と権力に取りつかれておる。あの男にこの街が支配されれば、一年と持たずに崩壊するだろう……父がここまで育て上げたものをあのような男に渡すわけには行かぬ……」


「子爵様……」

「これはこのような場所でするべき話ではない。……関わるなと言ったのに心苦しいが……カミュ、近くお前の力を借りることがあるかもしれん。その時は協力してくれるか?」

「はい、喜んで」


「有難い、感謝するぞカミュ。そうだ。先ほど私を守ってくれた礼をせねばならんな。何が良い」

「孤児院の件で十分です。子爵様」

「そういう訳にはいかぬ。信賞必罰は世の常だ。疎かにすればいずれ報いを受けよう」


 カミュは子爵の言葉を受け思案したのち答えた。


「解りました……では馬をお貸下さい」

「馬?」

「はい、私は明日一度コリーデ村に帰ろうと思っています。すぐミダスに戻るつもりですが、徒歩では時間がかかるので……」


「解った。駿馬を用意させよう。ではなカミュ」

「はい。ありがとうございます」

「うむ」


 子爵は馬車に乗り込んだ。

 アインは気を失った近衛兵の男を馬車の御者席に横たえた。


「カミュ、子爵様を守ってくれて感謝する」

「咄嗟に体が動いただけよ」

「それでも子爵様の命が助かったことに変わりはない。ありがとう」

「気にしないで」


 アインはカミュに衛視式の敬礼をすると馬車に乗り込んだ。

 カミュは去っていく馬車を見えなくなるまで見つめていた。

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