旧型の機械人形
天気がとてもよかった。庭先には、洗濯物がはためいている。そろそろ夏の気候らしく、晴れの日はカラッとしていた。今日もよく乾くのだろう。春は、この季節になった途端、片っ端から洗濯を始める。手当たり次第とでも言うように、カーテンから敷物、冬に使う布団やら秋物のものやらをひたすらに洗濯しては、この気候で乾かしていって、丁寧にしまっていく。梅雨の時期は、なんだか機嫌が悪そうだったが、気候のせいだったか。夏の春は、なんだかいつもより楽しそうで、見ていて気持ちがよい。
今日のお昼はなんだろうか。あまりにも暑いから、さっぱりしたものがいいな。ああ、でも、がっつり食べたい気もする。ぼんやり考えていると水を差すかのように、ピンポーンピンポンピンポンとチャイムを鳴らす音が聞こえる。従来であれば、春が出るところだが、彼女はいま昼食の作成中であった。キッチンに漂ういい匂いを嗅ぎながら、春に声をかける。
「春、そのまま作っていてくれ。私が対応してくる」
「わかりました」
フライパンを片手に春はそう答えた。じゅうじゅうとフライパンの上では、茄子が揚がっている。ちらりと見れば、横では、そうめんが茹でられているようだ。近くでは氷もスタンバイしていて。ぐぅ、と腹の音がする。それは、間違いなく私の腹からであったが、なんだか気恥ずかしくて、さっさと玄関へと向かう。
「せんせい!進捗いかがですか!やや!いい匂いですね!」
「きみが毎回これぐらいの時間に来るのは、そのためかね」
「春さんの料理、おいしいですからねぇ。ま、たまになんだからいいじゃないですか、せんせい」
オレンジ色の瞳が、こちらを見つめてくるとまあ弱い。目の前の男は大型犬ではないというのに、だ。はあ、と短くため息をついて、書斎ではなく、リビングへと向かう。そこには三人分の食事が並んでいる。そうめんと素揚げされた茄子に、つゆと横には刻みのりが添えてあった。ぐぅ、ともう一度鳴きそうな腹に力を入れて、いつもの席へと座る。
パタパタと麦茶を運んできた春は、それを配り、自分も席へと座った。
「「「いただきます」」」
三人の声が並んだ。
刻みのりをつゆに散らして、まずはそうめんだけをすする。冷たい麺が喉を通っていく。素揚げされた茄子を食べると、茄子の甘さと油を感じることが出来る。おいしい。こってりしているけれど、さっぱりしている食事である。
春も私たちと同じようにそうめんを食べている。今でこそ見慣れた光景だが、最初見たときは本当に驚いた。何せ機械人形が人と同じ食べ物を食べているのだ。新型が普及してきた今だからこその驚きで、機械人形はケーブルで充電してエネルギーを得るのが常識だと思っていたからである。旧型はエネルギーは電気と光と食事で補うのが常識らしいと後から調べて気づいたことだ。電気と光だけでも問題はないらしいが、それでは足りないという記事を見つけてからは、春と一緒に食べることが日常と化していった。
残りのそうめんを夢中になって食べた。終わった後に残ったのは、氷の水分と少しのつゆの残りだけであった。
「「「ごちそうさまでした」」」
三人の声が並ぶ。食べ終わってすぐに動いたのは春だった。麦茶を運んできたお盆に器用に三人の器を載せていく。テーブルに残ったのは、私と担当の残り僅かな麦茶だけである。また、パタパタと春は食器を持って行って、すぐに麦茶の入ったポットとコップに氷が入ってきたものを持ってきた。残り僅かとなっていたコップに、氷をひとつずつ入れて、麦茶をたっぷりと注いで、コースターの上にそのポットを置く。
「ごゆっくりどうぞ」
一言だけ残して、春は去って行った。たぶん私たちの食べた食器を洗うのだろう。注がれた麦茶を飲みながら、担当が口を開いた。
「せんせい、そろそろ仕事増やしませんか?」
「…………」
「早筆になってきたことですし」
「そうだな、…………受けるよ」
快適な生活のためには、お金はいくらあっても足りない。担当が持ってきたいくつかの仕事を受け取り、担当には終わった原稿を投げて、お帰りいただいた。
書斎に戻り、いくつかの仕事を並べた。白紙の紙をペンで埋めていく。埋め終わったら、積み上げて、埋め終わったら積み上げて。それはいつかの生活にそっくりで少しだけ嫌気が差した。
気づいたら、机の上ではなく、ベッドの上だった。自分で戻ったような記憶はないから、恥ずかしながら春に運んでもらったのだろうと思う。何度目だろう。あれからというもの、仕事が増えて、それをこなしていくうちに金は増えていった。いまではいくつかの連載を持っていて、常に何かしらの締め切りが私の前に立ち塞がっている。それからというもの、春にベッドに運ばれる回数が増えたように思う。
外の桜の木はすっかり痩せ細って、枯れたかのような姿でそこにいた。天気は悪く、今にでも雪が降ってきそうな、そんな天気だ。
「寒いな」
前は独り言もこんなに多くはなかったが、今ではぽろぽろと言葉がこぼれ落ちてしまう。別に悪いことではない、それはわかっているのだが。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえて、扉を開けるとそこには春がいた。
「おはようございます、せんせい」
「おはよう、春」
廊下に出ると寒さが余計に身体に響くようだった。冬の冷たい廊下を渡り、リビングへと向かう。リビングには、ストーブがつけてあって、とても暖かだ。この快適のためを継続するためには、やはり仕事は必要だなあなんて思ったりして。
春が作ってくれた温かいシチューを食べる。冷えた身体を芯から温めてくれるようなそんな優しい味だ。食べやすい大きさに切られた野菜たちも放り込んでいく。あまり野菜は得意ではなかったが、春が作ってくれる食事なら、とりあえず食べてみようという気持ちになるから不思議だ。気がつけば、あんなにあった野菜ももうなくて、皿はきれいになっている。
「ごちそうさま」
おいしかった、と伝えると嬉しそうにする春を見るのが好きだ。
きっといつの日か、壊れてしまうんだろうその日を考えるのはやめた。この日々を大切にしていきたいと思ったからだ。私は、春にあって初めてこの感情を持った。旧型の機械人形はただの物ではない、春は大切な私の物だ。
―――きみが、いなくなったら私はどうするだろう。考えたくもないな。
そう思えるようになった。思ってしまうようになった。いなくなってしまうことなんて、後でいくらでも考えることができるだろう。今の私が考える必要性などないのだ。今は、ちゃんと私の前にいるのだから。
これからもずっと、二人でずっと。欠けることなく。
春の嵐 武田修一 @syu00123
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