せんせい

 春が来てからというもの、一週間があっという間に過ぎていった。なぜなら、春は一応不法投棄されたモノであるということで、警察に届け出をしなければならなかった。身分を提示するものと、印鑑、国民全員に配布されているデジタルコードが必要で、それらを揃えるにも面倒がいる。春が早々に片付けていたので、それらも数年ぶりに見つけることは出来たのだが。それらを携えて、警察に届け出をし、役所へ行くも、ここでつまづいた。役所の方で、まず警察からの届け出を確認してからじゃないと受付できないと言われてしまったからだ。警察から役所に来るまで、最低でも数日はかかると言われ、日をおいて行くことになってしまった。一日もあれば、終わると思っていたから、がっくりと肩を落としながら、家に帰ることとなった。そして、三日ほど経って、役所を訪ねてみるとまだ来てないと言われる。最終的に一週間ほど経ってしまってから、ようやく春の手続きが終わるのだった。

 その間、春は家事をしてくれていた。手が回らない部屋の片付けであるとか、すぐに汚れる自分の部屋であるとかを掃除したり、原稿中の私の食事管理であるとか、水回りの掃除であるとか。気づけば、部屋の隅々に至るまで清潔が保たれていた。前は一週間も空けば、ぶっ倒れるような生活だったというのに。食事をきちんと食べているせいか、すこぶる体調がよい、真っ白な紙が真っ黒になるくらいに。

 春が来てからというもの、片付いた部屋がいかに原稿の進み具合に影響するかを知った。積み上げた本がいかに私の思考を鈍らせるかを知ってしまった今、元の生活に戻るのは嫌だと思うぐらいに、今の快適な生活を気に入ってしまっているのだ。

 ああ、そろそろ、うるさくキャンキャン騒ぐ担当がやってくる頃合いだ。生存確認と原稿確認に。

ピンポーンピンポンピンポン、忙しなくチャイムが鳴らされる。従来なら、私が出るところであるが、それよりも先に春が出た。


「せんせい!進捗いかがですか!……って誰です?」

「一週間ほど前からお世話になっております、春と申します。以後、お見知りおきを」

「はぁ…………よろしくです……」


 いつもはキャンキャンとうるさいのに、目の前にいる春に気圧されている。もしかしたら機械人形だと気づいていなくて、見惚れているのかもしれなかった。口数がいつもの倍は少ないのだ。どれだけ普段、担当が騒いでいるのかがわかる。


「どうぞ、お上がりください」


 しゃらん、と髪と一緒に桜の髪飾りが揺れた。二回目の役所の帰りに目に入った雑貨屋で買った物だったが、春の黒い髪によく映える。行ったのも無駄足ではなかったのだとしみじみ思った。

 担当をいつもの書斎へと通し、二人分の珈琲とお茶菓子を置いて、春はスッと、引いていった。たぶん、家のことの続きをするのだろう。春は、細やかな仕事をするのが得意だから。


「せんせい」


 ようやく担当が口を開いた。ああ、これはよくない。苦い顔で、手で己の耳をふさぐ。


「あの子、なんですか!?せんせいの新しい愛人ですか!?」

「違う。うちの庭に不法投棄されていた機械人形だ、旧型の。名前はきみが聞いた通りで、いまはうちで家事をやってくれている」

「機械、人形………旧型の」


 鳩が鉄砲を喰らった顔というのは、こういうのを言うのだろう。オレンジ色の瞳が、じっとこちらを見つめている。

 親譲りだという金色の短い髪は犬のようで、キャンキャンと騒ぐとそれをさらに助長させた。それから後は、珈琲を飲みながら、担当のマシンガントークをぼんやりと聞く。だいぶ、大人しくなったところで、今月の原稿を渡すと、さらにうるさい。理由はもちろんわかっている。私が締め切りを守ることが一切ないからだ。ほぼほぼといっていいほどに。なのに、そんな私がデットラインどころか締め切り前に原稿を差し出しているのだから、尚更だろう。天地がひっくり返るような出来事だ。


「だから、おれ、言ったじゃないですか!メイドでも雇えばいいって!」

「知らん人がいるのはあまり好きじゃない」

「春さんはずっといるんですよね?!」

「春は、機械人形だから」

「ああー……? なるほど。」

「原稿も終わったしもう帰ってもらっていいか。外も暗い」

「せんせい、冷たいなー!」


 キャンキャン騒ぐ担当にお帰りいただいて、ぬるくなって僅かに残った珈琲を飲み干した。いつか飲んだ自分で作った珈琲よりはぬるくなっても、不味いものではなくて。私は、春がいなくなったらどうするのだろう、とふと思ってしまった。春がいない生活を思い出すことが出来ない。きっと、いつかは春は壊れてしまうのに、その未来を想像できないのだ。私が死ぬ瞬間まで、春には動いていてほしい。そう思うのだった。

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