春の嵐

武田修一

春の嵐

 開け放した窓の外から、雨の匂いがしている。外はどんよりと薄暗く、厚い雲で空が覆われているのがわかった。

 嫌な天気だ。

 独り言のようにつぶやこうとして、やめる。言葉にしたところで誰も聞いていないし、無意味なことだ。聞いていたからといって、意味があるものでもない。ぼんやりと、外を眺めていた。手元にある紙は、朝から置かれていたというのに、午後になっても何も書かれておらず、未だ真っ白なままだ。こうして無意味に時間を過ごしていたところで、手元の紙に字が埋まっていくことはない。私が、手を動かさない限り。

 もうすっかりぬるくなってしまった珈琲をすする。ぬるくて、酸味が増えてきたそれは、お世辞にもおいしいとはいえるものではなくなっていた。しかもそれは、まだカップの半分ほどを占めている。まだ飲まなくてはならないということを示していた。いやそんなことはないのだが、そのまま捨てるのもなんだか後味が悪い。

 窓の外は、急に天候がよくなるわけでもなく、さらに私の心を重くさせていくようなものになっていく。せっかく咲いた桜も、風によって散っている。地面にピンク色の絨毯が出来始めていた。この後降る雨によって汚くなってしまうだろうピンク色の絨毯を眺める。

 そろそろ、窓を閉めた方がいいのだろう。しばらく座りっぱなしだった椅子から立ち上がり、動かそうとするが、身体の節々が痛みを訴えている。その痛みの訴えを無視して、なんとか身体を動かした。


「ん?」


 思わず声が出た。痛みのせいではない。

 ピンク色の絨毯の先に、何か落ちているのだ。それも小さいものではなく、そこそこの大きさがあるものが。なんだ、と目をこらしてみれば、人のような大きさのものが落ちている。死体か、行き倒れか。そう思って、さらに目をこらしてみれば、薄汚れた青いリボンが右手に巻いてあるのが見えた。ああ、なんだ、機械人形じゃないか。人じゃなくてよかったが、機械人形であってもよくないものだ。人間だと色々面倒なのでまだマシなだけであって。

 庭先に落ちているのは、私が所有するものではなかった。そもそも私は、買ったことすらないのだ。

 人間と区別するために青いリボンを巻いていることから、考えられるのは、誰かがここにその機械人形を不法投棄していったということだ。動いている時にする必要性は全くないが、捨てる際には人間と区別するために機械人形には、青いリボンをつけることになっている。そうしないと、無駄に警察に通報がいくので、それを防ぐために機械人形が普及し始めたころからのルールであった。このルールが浸透するまでは、死体があるという通報が多かったらしい。確かにパッと見たら、死体に見えなくもない。私だって、一瞬だけそう思ってしまったのだから。

 さて、本題に戻ろう。おそらくこの機械人形は故障してしまい、修理に出すこともしたくなく、もしくはできなくて、処分するにも金がかかるし、庭があって大きな家があるここに、つまりは金が有り余っているだろうところに捨てておけば、後はなんとかするだろうという考えでここにでも放り込んだのかもしれなかった。それにしたって、ジャンクだからといって、こんな天候の日に捨てるか。旧型の機械人形であれば、水に濡れた時点で、ジャンクから粗大ゴミに早変わりだというのに。


「ああ、面倒くさい」


 つぶやいても無駄な言葉を吐く。苛立ちをそのままに、窓を乱暴に閉めた。

 機械人形は、私の所有地に捨ててある。つまりは、ジャンクが粗大ゴミに変わろうと、そうでなかろうと、私が処理しなければならないわけだ。ジャンクか粗大ゴミかで処分の費用だって変わってくる。他人のために、ましてや不法投棄なんぞする不届き者のために、金を払うのは癪であるが。

 外に出て、機械人形を拾い上げる。小柄な女性くらいの大きさであるというのに、電子レンジのくらいの重さだ。重さはそれほどでもないが、手足がついているものだから、電子レンジよりも運びづらいのは確かだった。

 それについた土や桜をなるべく落としてから、部屋の中に放り込む。捨てられてからそれほど時間が経っていないらしく、あまり汚れてはいない。

 首のところに書いてある製造ナンバーをスマホで調べる。


「……やっぱり旧型の機械人形か」


 旧型の機械人形といえば、AIが搭載されているおかげでより人間に近く寄り添える機械として世に出たはずだった。蓋を開けてみれば、人間に近すぎて拒否反応を起こす人ばかりで、不評の嵐だったわけだ。それで売れなくなって、新型として、AIの機能はそのままに、ただ少しだけ機械らしさを残したものが出た。そちらは大変評判がよろしかったようで。新型は、発売されてからというものマイナーチェンジを繰り返しながらも、ずっと世に出続けている。

 旧型は、一部の人間だけが所有するようになり、古い部品を使っているせいで処分費も嵩む不良物件へと変わっていく。劣化するパーツ一つ変えるだけでも、ばかみたいな金額が吹っ飛ぶように。

 新型が庶民にも手が出せるような値段で回り始めたころから、旧型の不法投棄が増え始めたんだったか。最初の内こそ、厳しく取り締まっていたが、次第に数が減るごとに取り締まりも強化されなくなっていく。一応、法の上での罰則が存在しているだけで、あまり意味のないものになっている。それほどにもう旧型の機械人形というのは、存在していないからだ。

 それがいまここにあるということは、ジャンクか粗大ゴミである可能性が高かった。

 製造ナンバーの横にある電源を長押しする。指を離すと、緑色に点灯した。

 ―――まだ、これは動くらしい。

 薄汚れた青いリボンを外す。静かな部屋に、小さな機械音が響いてくる。顔を見ていると、瞳がゆっくりと開いていく。すぐに戸惑った表情が作られて、涙をこらえるような表情になって、口が開かれた。


「私は捨てられました。次の所有者は、誰ですか?」


 目の前の人形はそう、流暢に喋った。まだ動くようで、どこも故障などしていないかのように思える。どうして、前の持ち主はこれを捨てようと思ったのだろう。維持していく能力がなくなったせいか、不気味だと思ってしまったからなのか。それとも違う理由で手放した? いずれにせよ、捨ててしまったことに変わりはない。

 私は、旧型の機械人形を見たことはなかった。首の後ろにある製造ナンバーと電源ボタンさえなければ、小さな機械音さえしなければ、人間だと言われても信じてしまうだろう。いいや、この多少の音だって、音楽も何も流れていない静かな部屋だから響いてわかるだけで、雑踏に紛れてしまえば、首元だって隠されてしまえば、人間と大差などない。

 搭載されているAIが優秀すぎるのもあるのかもしれないが、表情、声、動作、どれをとっても人間に近すぎる。どうあっても機械のはずなのに、人間に近しい。首の後ろを確認しなければわからないほどに。それは、人間側にとってとても怖いことだ。世に受け入れてもらうのは難しいだろう。


「あの、」


 言い淀む姿などは、本当に人間にしか見えなくて、多少恐ろしく思う。ここまで人類は進化して、ここまでの技術があるのに、あっさりと切り捨てることができるのも恐ろしい。それがなによりも恐ろしかった。

 それはともかくとしてだ。目の前の旧型の機械人形の所在をどうするか。

 黒く長い髪を所在なさげに揺らしながら、それでも青い瞳は私をまっすぐに捉えていた。その目をまっすぐ見ることができないまま、私は短く息を吐いて、答えを返す。


「次の所有者は私だ。きみ、自分で診断できるかい」

「わかりました。自己診断ツールを起動します、少々お待ちください」


 機械らしさが垣間見えるだけで、安心感が違うのかもしれなかった。

 ぎぃ、ぎぃ、ぎー、となんとも言えない音が鳴り響いて、瞳を閉じて、旧型の機械人形は自己診断を繰り返している。外では、ざぁざぁざぁ、と嵐のような雨が降り、風が吹き始めていた。


「完了しました」


 旧型の機械人形は、瞳を開けて、終了したことを告げる。完了したと言うことは、エラーなく終わったということを示していた。つまりこの旧型の機械人形はまだまだ動けるということだ。ジャンク品などではないようだった。


「きみ、名前は」

「………、春と申します」


 何かを振り切ったような顔をして、旧型の機械人形はそう名乗った。


「まずは、あなたの部屋を掃除いたしましょう」


 春は、そう言って、私の城を片付け始めるのだった。

 まさに春の嵐だ。

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