4-3 魔法少女が目指すのは
灯りのない夜の山道を下り、住宅街に出られたのは一時間も経った頃だった。
シャッターが閉まった商店前の自販機で、サクラはごくごくと水を一気に飲み干した。
「はぁぁ……身体に沁みますぅ……!」
「まぁまぁなトレッキングだったもんなぁ……」
ダイチは溜息まじりにぼやきながら、額の汗を拭って缶コーヒーを開けた。
「こんな夜中にコーヒーですか?」
「ボトルサイズじゃ飲みきれんし、缶で甘くないのこれだけだし」
「なら飲みきっちゃえばいいのでは……」
「そう思うよなぁ、うん」
適当に返事をしているのがまるわかりで、サクラはむすっと頬を膨らませる。
焦ってほしいわけではないが、もっと緊張感があってもいいはずだ。
サクラは空になったペットボトルを握り締め、決意を奮い立たせた。
「さぁ、ダイチさん! 何から話しますか!?」
「そうだなぁ……まずは親御さんに連絡だな」
「えっ」
「保護者の同意もなしに未成年を連れ歩けないでしょ。オレ、捕まっちゃうよ」
サクラはうっ、と喉を詰まらせた。
ダイチの言うことはもっともだが、こんな真夜中に京都にいると連絡するのは、トラブルに慣れているサクラとはいえ気が引けた。
「そ、そんな今更、一般常識とか法律なんて気にします?」
「ヒーローってのは悪には通用するけど、社会にゃ通用せんだろう。
できるならオレは有給取ってヒーローしたいよ」
頭では理解していることを明確に返されて、サクラは言葉が出せない。
長年、トラブルのたびに言い訳や誤魔化しを繰り返してきたからこそ、体裁を整える重要性は知っている。
なんのことはない、両親に連絡して怒られるのがいやなだけなのだ。
「さすがに怒られちゃいますよぅ……」
「お巡りさんに怒られるよりマシだ」
「せめて明日にしません? もう寝てるかも……」
「報連相は早いほうがいい。オレも電話しなきゃいけないトコあるからさ、ね?」
ダイチに促されるままスマホで家に連絡を取らされるサクラ。
いっそ出なければいいとさえ思いつつ、ドキドキしながら応答を待つ。
(うう、ノワールと夜を明かして戦ったときも連絡なんてしてないのに……)
大人の説得に負けて連絡をさせられたことに、恨みがましい目を向ける。
しかし、どう考えてもダイチの言い分が正論であることは変わりない。
サクラが諦めの極致に浸り始めたとき、サクラの母が電話に出た。
『サクラ? 電話なんて珍しい。もう帰るの? お風呂沸かす?』
「いや、それが……」
サクラは京都にいること、戦隊グリーンのダイチと一緒であることを話した。
サクラの母は驚いた反応をしながらも、サクラの話を遮ることなく一通り聞いた。
『……で、どうすんの?』
「今日は、帰れないかな……」
疲労度を考えると、このまま飛んで帰ることは厳しい、というか危険だ。
電車は辿り着く前に終電になるだろうし、タクシーで帰るには遠すぎる。
深夜バスなら探せばあるかもしれないが、そこまで必死に帰る理由はなかった。
(明日は学校休みだし……)
休み明けにどうするかは別として、今はここでダイチと動くほうがいいはずだ。
どうやって朝まで過ごすかと考え出したところで、サクラの母が大きな溜息をついた。
『まぁ、あなたがこんな連絡してきた時点で安心したわ。
お母さんもダイチさんと話させてくれる?』
「えっ、うん……ダイチさーん!」
突然の振りに慌ててダイチに声をかけるが、向こうも若干慌てた様子で電話をしていた。
「あー、今のは……うん、まぁ、朝までに顔は出すから、じゃ、おやすみ」
ダイチは通話を切ると、やれやれと首筋をかきながら半眼気味の眼差しでサクラを見た。
「急に大きな声で呼ぶもんだからびっくりしちゃったよ」
「あ、すみません……電話、大丈夫でした?」
「用件は伝わっただろうから大丈夫、たぶん」
最後の「たぶん」がダイチにしては、かなり自信なさげなニュアンスに聞こえた。
サクラはぺこぺこと頭を下げつつ、母からです、とスマホをダイチに差し出す。
差し出されたダイチはなんとも締まりのない顔でそれを受け取ったが、すぐにきりっと表情を引き締めた。
「どうも、野々原ダイチと申します。この度はお宅の娘さんを巻き込んでしまって申し訳ございません……いえ、こちらこそ……」
いまいちやる気のない普段の調子とは違い、ハキハキとした喋りは社会人らしさを感じさせた。
サクラはダイチが自分に見せる飄々とした接し方が一切ないことを少し新鮮に思った。
「ええ……はい、そうですね。あー、サクラちゃん?」
「はい?」
「今日帰れないなら泊まるよね?」
「そ、そうなりますね……」
「よし……あ、本人もそれでいいそうです。お金のことは後日改めて」
着々と大人の段取りが組まれている申し訳ない雰囲気に、サクラは肩身の狭い思いだった。
(意地張ってもお母さんとダイチさんを困らせるだけだもんね……)
わかってはいてもしゅんとしてしまうサクラをよそに、ダイチが手早く話をまとめてスマホを返す。
「はい、サクラちゃん」
「あ、どうも……うん、じゃあ……なるべくすぐ帰る」
スマホの電源を切って一段と深い溜息をつくと、ダイチが微笑ましいといった顔つきで言った。
「素直でいいじゃないか。人間、素直が一番だぞ、ホント」
「もー……どういう話になったんですか?」
「宿泊代と移動費を立て替えすることになった」
「それでお金のことは……」
「そんなことはあとで勝手にやっておくよ」
サクラは頭が下がる思いで一杯だったが、出しゃばっても優しく反論されておしまいだろう。
言い返したいけど言い返せない状況は何度も経験済みだ。
(たとえばノワールとか、ノワールとか、ノワールとか)
そんなことを考えている自分がなおさら子どもっぽく思えて、サクラはやり場のない溜息を吐いた。
「戦いは戦いでも、口喧嘩じゃ誰にも勝てそうにありません……」
「はっはっは、後ろめたくない大人の正論は強いんだぞ」
ちょうど缶コーヒーが空になったようで、ダイチはからからと缶を振ってポイとゴミ箱に捨てた。
「それでも話したいことはあるんだろう?」
どんな暴論でも受け流しそうな柔らかな目つきで、ダイチはサクラの言葉を待っていた。
サクラも興奮気味だった正義感はだいぶ落ち着いていて、状況を整理してから物事にあたろうという頭になっている。
「話したいことあります!
人質のこととか、期限までどう行動するとか。
そもそもダイチさんとわたしとじゃあ、きっと目指したいものが違うというか」
「現状把握と目標の共有だな」
「あ、はい……」
「サクラちゃんが冷静でよかったよ。まずは事実から状況を整理しようか、揉めそうな話題は後回し」
「はいっ!」
サクラは手帳を取り出してペンを握り、元気よく返事をする。
そつなく要点をまとめて進行するダイチに遅れを取るまいと必死である。
それを見たダイチは溜息を漏らしながら、含んだ笑みを浮かべていた。
「新人指導みたいでやだなぁ……まぁ、いいか。
まずは現状を整理しようか。オレは人質を取られていて、戦隊からの脱退を要求されている。期限は一週間後までだ」
ダイチはサクラの筆記速度を見ながら、話すテンポを調整している。
「人質についてわかることと、わからないことをまとめよう。
名前はユズハ、オレの奥さんだ。
体調と安全状況は問題ないらしいが、情報元が敵本人だから確証はない。
拘束場所はどこかの山。これも敵発信の情報だから、映像自体がフェイクの可能性はある」
「あのー、ダイチさん? そんなこと言ってたら名前以外の情報わからないじゃないですか」
「事実だからな。極論、ユズハが消息不明であること以外は不確定情報だ。
人質ってことすら敵の虚言で、偶然の失踪を利用しただけの罠ってこともある」
「そんなぁ……」
手帳の紙面ではすべての可能性を書くことはできそうにない。
ペンをくるくると回しながら悩むサクラに、ダイチは頭をかいた。
「いよいよもって仕事じみてきたなぁ」
「愚痴はあとにしてくださいっ」
「そうだな。ここで思い出すのは期限が一週間ということだ。
大抵の問題には時間制限がある。だから、情報を正として仮説を立てる」
メリーの明かした情報を偽として話を進めると、一週間では時間が足りない。
ここは素直に今ある情報を疑いすぎずに仮説を立てるほうがいい。
「ユズハさんがどこかの山で拘束されていることを前提として考えるわけですね」
「ああ、ユズハが消息を絶ってからあいつに呼び出されるまで数十分もなかった。
距離はここからそう離れた場所ではないだろう」
「そもそも、ここって一体どのあたりなんですか?」
「右京区……京都市の左上のほうだな」
サクラは脳内に日本地図を広げて拡大縮小を繰り返すが、いまいちピンと来なかった。
第一、地元密着型の魔法少女であったサクラにとって、初めての県外遠征で土地勘を発揮できるはずもない。
「その感じでどうやってここまで来たのか、気になるところだけどな」
パッとしない思考のせいで浮かない顔になっていた。ダイチはそんなサクラを見て、へらへらと笑っている。
「あっ、えっ!? いやぁ、戦隊の能力で! あったんですよ! あ、わたしだけが使えるみたいですけど!」
「そっかそっか。まぁ、そういうことなら」
誤魔化し方が下手なことはわかっているが、こうもあっさりと引き下がれると逆にもどかしい。
そんなサクラの心配をよそに、ダイチはさっさと話を次へ進める。
「オレは出張でここに来ている。スケジュールは一週間、それがタイムリミットだ」
「時間なんて、あってないようなものですね」
「更に言うと、日中は仕事があるから活動できるのはせいぜい夜の数時間だな」
さらっと言いのけたダイチに驚いて、サクラは一瞬反応が遅れた。
「えっ……ちょ、ダイチさん! 仕事と奥さん、どっちが大事なんですか!?」
「おいおい、そんな答えにくい定番ネタを天然で聞くか?」
「うっ、いや、誤魔化さないでくださいっ」
さすがにここは引き下がるところではないとサクラも強く出るが、ダイチは気まずいことなど一つもないというように堂々としている。
「オレは替えのきく仕事よりは家族のほうが大事だと思うよ」
「それじゃあ……」
「でも、生活や仕事を犠牲にしてまで助けるのは勇気がいるなぁ。
あれだろ? ノロイーゼなんかの被害が出ないってことは、元に戻すパアーッってやつは今回ないんだろ?」
「星の記憶による巻き戻しですか?」
「そうそう、あれが任意発動できるならいいけどさ」
情の薄い正論に聞こえるが、ダイチの言うことはもっともである。
そのあたりの細かいことはサクラも知らないので、シシリィにたずねるのがいいだろう。
しかし、そのシシリィはいまだ飛行酔いでダウンしていた。
サクラはシシリィの顔をぺちぺちと軽くはたいてみるが、起きる様子はない。
「うーん、あとで確認しておきます」
「急ぎじゃないよ。オレには大事なことじゃないから、それ」
「なんか、その……結局、仕事と家族どっちが大事なんですか?」
「まだ聞くの? あんまり言いたかないけど……」
つい愚痴のように零した質問に、ダイチが不穏な前置きで切り返す。
不穏な気配を感じて、サクラの心臓がキュッと縮まるような思いがした。
「家族、仕事に比べたら、オレにとってヒーローは一番大事じゃないよ?」
今度は心臓が絞られるような音がした。
戦隊メンバーを必死で勧誘していた頃に味わった、自身の正義感を否定されるような気分。
(イズミのおかげでだいぶ抵抗ついたと思ったけど……)
やっぱり辛いものは辛い。目の端が熱くなりだした感覚に思わず目元に手が伸びる。
「あぁ……まぁ、そのなんだ。
家族は大事で、仕事は必要なんだ。そこを大事かどうか、って観点で考えるならどっちも大事としか言いようがない」
「は、はい」
目元を拭う指先が濡れていくことに自分でも憤りを感じながら、震える声すら止めることができない。
そんなサクラに対して、ダイチの声色はどんどん優しく、柔らかいものになっていった。
「そんなわけであとはお互いが目指す目標なんだけど、人質の解放は共有できる目標だろう?
問題はそのあとで、それを実現するための手段がオレとサクラちゃんじゃ違うってことだ」
「はい……」
「敵を倒して人質を助けるのは気持ちがいいけど、実現させるには課題がいくつもある。
オレの時間が取れないってのもそうだし、人質の安全を確保しつつ、どうやって倒すかって話だ」
「それは……」
必死に、全力で事にあたれば、必ずいい方法は見つかるはずだ。そう信じている。
人質を助けるためなら協力は惜しまないし、百歩譲って昼間はダイチが仕事にいってもいい。
そんな言葉が頭に浮かんできたが、正論の前ではあまりに無策で横暴な綺麗事にしか思えなかった。
「人質を解放するには二つの手段がある。
一つ目は武力による解決、もう一つは相手の要求を受け入れることだ。
社会全体や戦隊の組織的に考えれば、後者を選択することはサイケシスの利益になるから避けるべきだ。
そんなこと誰もがわかってることだが、実際に自分の家族を取られたやつにそんなこと言えるのか? 言えないよな?
ヒーローが前者でなければならないと言うのなら、オレはヒーローにはなれないよ」
「それはわかってる……わかってるんです、けどっ……!」
けど、の次が続かない。
「……君があいつの前で、絶対になんとかするって啖呵切ったときはスカっとしたよ。
こういうのがヒーローなんだなぁ、若いっていいなぁ、ってさ」
あのときはダイチが助けを求めてくれたならできると希望を持った。
まだ数時間前の出来事だというのに、その感情はだいぶ心の奥底まで沈んでいったような気がした。
(何も言えないってことは、わたしが間違ってるってことなの……?)
そんなはずはない。敵を倒して人を助けるのはいいことだ。正しいに違いない。
ただ、ダイチの論理武装された正論の前では、あまりに貧相に見えるだけのことだ。
現実に打ち負かされるそれを簡単に表すならば――
「サクラちゃんは無茶な理想は言わないタイプだろ?」
「あっ……」
『だって無茶な理想掲げて世界の平和が守れなかったら意味ないですもん』
かつて自分が言った言葉が自分に突き刺さる。
(わたしが目指しているのは、無茶な理想なんだ……)
間違いとは言えなくても正しさが足りないことはある。
下を向いて黙り込んだサクラを見て、ダイチは話し合いの終了を察して言った。
「悪いな。今日はとりあえず寝よう。寝れば朝にはいいアイデアも浮かぶよ」
どんなに優しい言葉でも、一度開いた傷口には痛みにしかならない。
サクラは歩き出したダイチの後ろをとぼとぼとついていくことになり、二人はホテルまでの道のりを好奇の視線に晒されながらいくことになった。
+ + +
途中でタクシーを拾ってホテルに着いた。
無言を貫くサクラに対して、ダイチは「気まずいなぁ」とたびたび口に出していた。
本当にお互いが無言のままだと気まずかったので、サクラもちょっとだけ救われた気持ちだった。
(ダイチさんにあそこまで言わせて、わたしってば……)
激しい自己嫌悪に陥っていると、急に立ち止まったダイチの背中に頭をぶつけた。
「わっ、どうしたんですか」
さすがに無言を破ってダイチの背中からひょっこり顔を出すと、ホテルのフロント前で腕を組み、仁王立ちをしている女の子がいた。
背丈はサクラと同程度で、小学生か中学生といった顔立ちをしている。
(なんだろう……)
肩口まである髪は柔らかそうで少し外にハネていて、ゆるっとしたパーカーを着ている。
ラフな格好の印象とは裏腹に、切れ長の目とキュッと結んだ細い唇が理知的だった。
(なんか怒ってる……え、こっち見てる?)
女の子の目線を辿っていくと、これから爆弾処理にでも赴くかのようなダイチの顔があった。
なんだかわからないけど、まずいことになりそうなことはわかった。
幸か不幸か、サクラの疑問は女の子の第一声で解消された。
「パパ、どこ行ってたの? その女だれ?」
(――――パパぁ!?)
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