4-2 助けを呼んでくれたなら
濃紺の夜空に星が瞬き、魔法少女がひらりと舞う。
快速で飛ばしてきたサクラは、宣言どおりのフライト時間で京都上空へと来ていた。
「とうちゃーく! ねぇ、どこかな、シシリィ?」
「ぁ……そこ、です……」
シシリィが今にも途切れそうなか細い声で示した先は、緑深い山々だった。
この時間帯ともなれば緑どころか黒の塊でしかなく、サクラは目を凝らしながら首をかしげる。
「えっ、どこ?」
サクラの問いかけに返答はなく、シシリィはすでに気を失っていた。
(ちょっと酔っちゃったかな? ありがと、シシリィ)
果たしてちょっと酔っただけかは定かでないが、サクラはシシリィに感謝を告げる。
速度を落として降下すると、適当な山の中腹に降り立った。
最後にシシリィが差したポイントがこの辺りだったような、というサクラお得意、勘頼りのあてずっぽうである。
辺りは鬱蒼とした木々に囲まれており、山道どころか獣道すらない。
まず魔法少女の変身を解くと、戦隊に変身しなおすためにビートリングを構えた。
(このままダイチさんを探してたら、橋上の戦いの二の舞になっちゃう)
魔法少女のままオーバードに突撃をかましたバトルを思い返して、サクラは苦々しく笑った。
そのときである。
「……それなら交換条件を受け入れるが、どうする?」
「そうですね。だいぶ譲歩させられましたが……」
そう遠くない距離から聞こえる男女の話し声。
サクラはとっさに木陰に身を隠して様子をうかがう。
話しているのは――
(ダイチさんと、サイケシス!?)
くたびれたスーツ姿のダイチと、真っ白な帽子とワンピースを着たメリーがいた。
二人とも山中に似合わない不自然な格好だが、制服姿のサクラが言えたことではない。
服装自体もそうだが、二人がここにいるという違和感がサクラの胸を締め付けた。
(戦闘じゃない雰囲気……何、してたの?)
目つきが自然と鋭くなる。呼吸を抑え、速くなる鼓動に気付かないフリをした。
よくない取引現場を目撃したかのような気分だった。
メリーはともかく、ダイチが平然としている様子がサクラの心を激しく動揺させていた。
「譲歩だなんてよく言うよ、オレを落としどころに嵌めただけだろ?」
「自ら嵌まったようにお見受けしましたが?」
「結果的にそうなっちまっただけだ」
しかも、その取引は締結されようとしている。
サクラは迷った。事情は一ミリも把握できていない。それでもサイケシスとの取引がまともであるはずがない。
偏見か。いや、敵に偏見も何もあるか。ダイチが受け入れているならば、考えがあってのことか。
(――でもアレが、ダイチさんのSOSだったのだとしたら)
一瞬だけ、一度だけ発信されたビートリングからの反応。
サクラは唇を噛み、ビートリングを撫でると、覚悟を決めて二人のあいだに飛び出した。
「待ちなさい、サイケシス!」
声を張り上げて姿を現したサクラに、現場は騒然と――ならなかった。
ダイチもメリーも眉を動かして驚きの表情は見せたが、空気が一変したような感覚はない。
(……あれ、聞こえなかった?)
まるでスベったかのような視線に耐え切れず、膨らませていた覚悟が萎んでいく。
もう一度、登場からやり直すべきかと考えていると、ダイチが困惑気味に口を開いた。
「……なんで来たんだ?」
「えっ、助けを呼んでた気がしたから……」
思わず正直に答えたサクラだったが、答えたあとでハッとする。
(もしかして、理由を聞かれてんじゃなくて心配されてる? というか、サイケシスの前でする話じゃない?)
勢いで参戦してみたものの、頭が上手く回らない。
考えてみれば無理もない。学業をこなし、魔法少女業をこなし、その上でこれだ。
ダイチもぽかんとした顔をしている。サクラは弁解しようとしたが、その機会はメリーに奪われた。
「あなた、戦隊のピンクさん、ですね?」
指摘されてようやく制服姿で敵の前に現れた失態に気付く。
魔法少女の正体バレを気にしているサクラだが、戦隊だって正体はバレないほうが都合はいい。それが敵ともなればなおさらだ。
「どうして……」
「いえ、推論でしたが確証が得られてよかったです」
「っ……!?」
「わたしはメリー・コランと申します。以後、お見知りおきを」
誤魔化せばよかったと後悔したがもう遅い。
せめて顔には出すまいと表情を硬くすると、ダイチが横から口を挟んだ。
「気にするな、ここに来た時点でバレバレだ。ただの揺さぶりだよ」
「ダイチさん……」
「心配しないでくれ、君たちに迷惑はかけないさ」
サクラの動揺を感じたのだろう。ダイチは落ち着き払った声ではっきりと言った。
心配も迷惑もかけさせないというが、過程がどうであれサイケシスと取引せざるを得ない事態に陥っておきながら言えることだろうか。
「じゃあ、ビートリングの反応はなんだったんですか?」
「なんのこと?」
「わたしはビートリングに反応があったから、ここまで来れたんです」
サクラが腕のリングを見せると、ダイチは困ったように顔をしかめた。
どうやら自分が何かしらの発信をしたことを自覚していなかったらしい。
少しの間をおいて、ダイチは下を向きながら呟いた。
「そっか、オレのせいで来ちゃったのか……」
まるで来たことが悪いかのような気分にさせられて、サクラはどうしていいか戸惑った。
声をかけるタイミングを失っていると、メリーが助け舟を出すように口を差し込んだ。
「あの……事情もわからずに呼ばれたとあっては、ピンクさんもお困りでしょう。
まずは説明をして差し上げるべきでは?」
確かにそうなのだが、サイケシスに言われると変な感じだ。
サクラはもやもやした気持ちになるが、反論しようもないので黙っているしかない。
「オレが説明しろってのか?」
「敵対する者にされた説明でピンクさんが納得いくのでしたら、わたしがしてもよろしいのですが……」
「あー、わかったよ。ねちっこく言わないでくれ」
首に手を回しながら目線をそらしたダイチは、固まりきらない口振りで話を始めた。
「余計な心配させたくないから、まずは前提として、そうはならなかったということをふまえて聞いてくれ」
「わ、わかりました……!」
回りくどい保険をかけられているような気もするが、それでも心臓のドキドキが止まらないので、必要な配慮だったに違いない。
「何を言われたかが一番気になるよな? まぁ、その……簡単に言えば、戦隊からの脱退だ」
「ええっ!?」
「落ち着きなって、だから最初に言ったろ?」
事前にそうならなかったと聞かされていたのに、思わず驚きの声が出てしまうサクラ。
素直なリアクションに毒気を抜かれたように笑うダイチは、普段の調子を取り戻しつつあった。
そこへメリーがおずおずとした態度を剥き出しにして割り込む。
「いえ……正確には戦隊への間諜行為を求めていたのですが……」
メリーがぼそぼそと喋るので聞き取りづらい上に、サクラは間諜という言葉がパッと理解できなかった。
説明の展開をメリーに邪魔されたダイチは溜息をついた。
「スパイのことだ」
「スパイ!?」
「……サクラちゃん、落ち着いてくれ。相手の思うツボだ」
額に手をあてて天を仰ぐダイチを見て、サクラは自分が振り回されていることに気付いた。
(ま、まずは話を聞いてからだよね……うん!)
いちいち心を乱していては余計な印象を抱きかねない。
グッと拳を作って、サクラは精神統一のように真っ直ぐ前を見据えた。
「……いいかい? 当然、オレは拒否した。
みんなに確認も取らずに一方的なチーム解消なんてできないからな」
「そ、そうですよね」
サクラの相槌は曖昧なものになった。
正直、ダイチが戦隊に対して帰属意識をそこまで持っていないことは肌で感じていた。
そんな認識でいたので出てきた台詞を意外に感じたが、つまりは正式な手順を踏まずに脱退はできないということだろう。そういった周到さは理解できる。
「じゃあ、話は終わったんじゃないですか……?」
「あぁ、そうなんだが……」
ダイチが軽く言葉を濁したタイミングを見計らって、メリーが口を挟む。
「そうなると思いましたので、わたしが交渉材料を用意していたのです」
メリーがスッと手を動かした空間に薄い膜のようなものが張られ、別の場所の映像が投影される。
ここと似た景色、どこか他の山中と思わしき場所にぽつんと看板らしきものが立っているように見える。
(――いや違う、人だ)
卒塔婆のように文字が書かれた木板に、おどろおどろしい模様をした大蛇が絡み、人間が縛りつけられている。
見たことのない女性。サクラは異様な光景に圧倒されつつも、助けなくてはという思いが先行する。
思わず前へと踏み出したサクラを、ダイチが腕を伸ばして制する。
「駄目だ。居場所がわからないし、遠隔でも人質に刺激を与えられるんだ」
「だって……というか、あの方って……」
精悍な顔つきをした大人の女性、今はうなされるように目を閉じており、表情をうかがい知ることはできない。
ダイチに対する人質となれば、その関係者だろう。予想されるのは――
「グリーンさんの配偶者、妻……ですね」
サクラの思考を引き取るように、臆面もなくメリーが答える。
脅迫じゃないか、とサクラは頭がカアッと熱くなっていくのを感じた。
「こいつ……っ!」
「サクラちゃん」
「ダイチさん! どうしてそんなに落ち着いてられるんですか!?」
「……そう見えるなら、だいぶクールダウンしてきたってことだ」
冷静な言葉を語るダイチは、訴えるような目をサクラに向けていた。
(……っ、そうか、ダイチさんはもうこの話をした後なんだ)
今ここで行われている説明はサクラに対しての時間である。
当然、同じ話がダイチとメリーのあいだで交わされ、幾らかの問答は済んでいるはずだ。
少なくとも、人質が別の場所にいて、遠隔でも刺激が加わるという情報が得られる程度のやり取りがあったのだろう。
ダイチはそれを経験済みなのだ。サクラが動くことで、再確認させるわけにはいかない。
(人質ってこんなにやりづらい、苦しいんだ……あぁ、パラノイアのはなんだったの)
人質を取るお手本のようなものを見せられ、サクラはパラノイアに八つ当たりにも似た思いを抱いた。
「手間をかけずにご理解いただけたこと感謝いたします」
メリーは嫌味ったらしい態度でもなく、丁寧なお辞儀をしながら、心から感謝を示すようにこれを言う。
サクラは心の不快になる箇所を優しく撫でられているような気分になり、荒々しく鼻で息をした。
「……そういうわけで、オレは取引を受けざるを得なくなったわけだ。しかし、内容は変えさせてもらった」
「スパイ行為はしない、ってことですか?」
「幸か不幸か、オレは流せるような有益な情報なんか持っちゃいない。
今更、君たちや戦隊を詮索するようなことも不自然だしな」
確かにダイチはサイケシスとの戦いに数えるほどしか参戦していない。
交流する機会もなく、サクラがダイチのことを詳しく知らないように、逆もまた同じだろう。
「無理に詮索して、そんでバレたらどうなる。オレを許さないか?」
「理由があるのに、そんなこと……」
「じゃあ、人質を盾に五人揃ってやられてくだけだ」
さらりと言ってのけるダイチに、サクラは悔しげに歯を軋ませた。
知り合いが人質に取られて抵抗できずにいるシチュエーションは容易に想像ができた。
もしも反撃すれば人質の命はないだろう。いや、反撃した時点で人質は意味を成さなくなる。
その先は人質がいなくなった戦闘になるだけだ。それをダイチは望んでいないし、サクラも望まない。
「じゃあ、どうすればいいんですか? 人質を取られたら何もできないじゃないですか」
「そうだ、何もできない」
「じゃあ……!」
「何もしないんだよ」
ぽん、と軽い効果音でもつきそうなほど軽妙な語り口で、ダイチは諦めたように目尻を下げながら言った。
言われたサクラは理解が追いつかず、けれども考えることもできずに大口を開けていた。
「さすがのわたしも聞いて呆れましたね……クビにしたほうがよろしいのでは?」
「な、なっ……!」
停止していたサクラを再起動させたのは、メリーの侮蔑が混じった評価の言葉だった。
言い返したいが言葉が見つからないサクラに、メリーは反論を抑えるように付け加えた。
「あぁ、いえ……誤解なさらないでください。感心すらしたのですよ?
グリーンさんは積極的な利敵行為ではなく、消極的な利敵行為……つまりは半永久的な戦隊へのサボタージュを提案したのです」
「そ、そんなの戦隊を辞めたのと同じことじゃない!」
「いいえ、脱退を表明しない以上、いつでも戦力復帰する可能性は残ります。
判断の主導権はグリーンさんにありますし、復帰しない限りは人質は処理できません。
こちらも不自然なスパイ行為を強要するより、長期的に戦力の二割を無力化することができる……」
なるべく波風を立てずに人質の安全を保障し、サイケシスとの利害調整を実現させようとした提案。
メリーの言うとおり感心したくもなるが、サクラの胸中には納得できないものがあった。
(……わかってる、わかってるんだけど)
人質の安全を考えれば何もできないから何もしない。
理屈じゃわかってはいるが、サクラの正義感がそれでいいのかと叫びを上げる。
また一方で、理性的なサクラが異を唱える。
他人が犠牲になるかもしれないのに、正義を執行するのは正義なのか。
正しさは常に形を変える。曲がらなくなった正義は、他の正しさの器に入らない。
「……どうしたら」
「ごめんな、サクラちゃん」
目を細めながら、心底申し訳なさそうにしてダイチが言った。
「オレが助けなんか呼んじまったせいで、嫌な思いをさせちゃってさ」
朗らかに微笑む表情からは、弱々しい印象は一切見られなかった。
むしろ、力不足を痛感して今にも泣きそうな顔をしているのはサクラのほうだ。
生半可な正義感なら通用しない。悔しい思いをしているサクラにとって、ダイチの慰めの言葉は一片の希望となった。
(……助けは、求めてたんだ)
それなら来てよかった、とサクラは自身に言い聞かせるようにして顔を拭う。
「大丈夫! 絶対になんとかします!」
「……マジか」
ダイチは手を頭の後ろにやりながら、困ったように一点を見つめている。
あまり乗り気でない様子にサクラは拍子抜けしたが、援護は意外なところからやってきた。
「そういうことなら、時間が必要なのではないですか?」
敵であるメリーからの申し出に、サクラは即座にうなづくことはできなかった。
(確かにそうだけど……)
「どういうつもりだ?」
サクラが抱いていた疑問をダイチが代わりにたずねる。
メリーは白い帽子を一層深くかぶりなおして、目線を合わせずに口を開く。
「……実は、本日この場で結論を出すつもりはなかったのです。
グリーンさんの滞在期間が一週間であることは調べておりましたし、もう少し悩まれるかと思いましたので」
「こっちは人質取られてるんだぞ。悠長にしてられるか」
「お優しいのですね」
メリーの言葉は言い回しこそ丁寧なのに、どことなくこちらを煽っているように感じられる。
サクラはさっさと話を切り上げたい気持ちをこらえて、一つだけメリーに要求した。
「一週間待ってくれるなら、人質をもっと楽にさせてあげて」
はりつけのように蛇に縛られた格好でいさせるのは心苦しい。
そんな思いから口にした頼みだったが、メリーは余裕ある微笑みで返した。
「ご安心ください、精神的拘束をわかりやすく可視化させてみたまでです。
金縛りのような状態で、身体的な負担はこちらから与えない限りはありません」
「……本当?」
「試されてみますか?」
物騒な冗談にサクラは全力で首を横に振った。
メリーはどうして力が使えるのだろう。サクラは返答にはあまり期待せずにたずねてみる。
「どうしてココロエナジーがないのに力を使えるの?」
「力のことをそう呼ぶのですか?
それならば、この土地は不思議とココロエナジーが溢れています。
あの蛇の拘束は土地のエナジーを利用して作られています」
「そ、そうなんだ……ありがとう」
意外としっかり答えてくれたメリーに思わず感謝してしまうサクラ。
一方、聞いていた話と違う事実が判明し、シシリィへの信用度は下り坂である。
(シシリィったら、サイケシスは出るわ、エナジーはあるわ……どういうこと!?)
サクラの質問で話に区切りがついた雰囲気となり、メリーが深々と頭を下げた。
「そろそろ失礼いたします。何か話があれば、毎晩こちらでお待ちしております……」
「待ってくれ。期限は一週間後、夜だな。何時までにする?」
「では夜が明けるまでとしましょう」
しばらく黙っていたダイチは取引の期限を確認すると、疲れたように溜息をついた。
立ち去ろうとするメリーの背中に向かって、苦々しい口調で呟く。
「……マジで、どういうつもりなんだ、お前」
ダイチにしては曖昧な問いかけに、メリーは振り向いて、鬱々とした表情をニィッと歪ませた。
「簡単に白旗を上げられるより、最後まであがいてくれたほうが得られる愉悦というものもありますから……」
その瞳は爛々と輝きを増しているようで、サクラは背筋がゾクッとして目をそらした。
それに気付いたメリーの声がサクラのほうへと向いた。
「ピンクさんは、あなたを絶望の淵に追いやるのにちょうどいい正義感をお持ちのようです。
この取引がどのような結末を迎えるか、お互い有益なものとなるよう願っております」
「用が済んだなら帰ってくれ」
「では、僅かばかりの執行猶予をお過ごしください……」
サクラが向き直ったとき、メリーは姿を消していた。
虫や鳥といった生き物の鳴き声はなく、木々の葉が擦れる音だけが響いている。
夜風が身体を冷やす。サクラは背中にびっしょりと汗をかいていた。
「慇懃無礼ってああいうのを言うんだよな」
ダイチは軽い口調で普段通りを演じてくれたが、サクラはそうはいかなかった。
きっと重々しい真面目な態度でこられても対応はできなかっただろう。
肩の力が抜けないサクラに、ダイチは優しい目をして言った。
「何か飲みながら話そうか」
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