4-4 守るためなら嘘を吐く

「へぇー、急用でお母さんが親戚のところに? わたしに一言もなく、出かけていって?

 そのあいだ、バタバタするからってその家の娘を預かることになったってわけ……」


 ホテルのフロントの一角、ソファとテーブルが置かれたスペースでサクラたちは事情を話していた。

 まさか、あなたの母親はサイケシスという悪の組織の幹部に囚われて人質になってます、とは言えないので、語った内容はダイチがでっちあげた嘘なのだが――


「嘘、信じらんない」

(そりゃそうだ)


 野々原コモリ、中学一年生。

 存在は知っていたが、ダイチの娘とこんな形で会うことになるとは、サクラは夢にも思っていなかった。

 初対面から現在に至るまで、半ギレ状態で常に不躾な不機嫌オーラをビンビンに浴びせられている。

 一言も余計なことを漏らすわけにはいかないと、サクラは硬い笑顔の地蔵と化していた。


「ユズハの実家は兵庫の北のほうにあるんだが、古くからのしきたりで一族に不幸があったときは集まらなくちゃいけないんだそうだ」

「こんな夜中にぃ?」

「いつでもお構いなしだ」

「電話くらいしてくれてもいいのに」

「急ぎだったからな。着いたら着いたで、あそこは電波なんか入らないだろうし」

「わたしは行かなくていいの?」

「本家の血筋以外は女人禁制らしい」


 もはやオカルトミステリに登場しそうな因習村の設定である。

 身内の不幸、古いしきたり。下手にツッコミづらい要素を巧みに利用している。


(よくまぁ、嘘が次から次へと……)


 呆れて下がりそうになる口角を必死に持ち上げながら、サクラはニコニコと作り笑いを振りまく。

 コモリは納得いかない表情をしながらも、追及するには触れづらい話のオンパレードに気勢をそがれたようだった。


「……で、その子は?」

「偶然、居合わせた分家の子だ。葬儀のあいだは村にいられないからとユズハに頼まれたわけだ」

「なんでパパが」

「それは知らん。詳しく聞ける雰囲気じゃなかった」

「うう……だいぶ嘘っぽいけど、わかった……」


 ダイチに知らないと言われたら引き下がらざるを得ない。

 これ以上は話が進まないと思ったのか、悔しげにダイチを睨みながら歯噛みするコモリ。

 悪の組織に囚われた母をカモフラージュするために、ベタベタな因習村のカバーストーリーがここに完成された。


(詐欺だ……)


 サクラの理想を現実的な正論で打ち負かしたときのダイチはどこへいったのか。

 現実路線での整合性が取れないと見るや、怪奇路線へ舵を切る手腕はお見事というほかない。


(見習うべき……かなぁ?)


 馬鹿正直ではいられないが、堂々と嘘をつけるのもどうだろう。

 ついダイチの顔を見ながら考えていると、サクラは殺気にも似た鋭い視線を感じた。

 慌てて正面に向き直ると、コモリが虫でも殺せそうな眼力でサクラを見ていた。


「……あなた、サクラって言ったっけ?」

「あ、はい」

「いくつ?」

「……十五歳、高校生ですけど」

「ふーん」


 ジト目でしばらく睨みつけられたあと、ふいっと顔をそらされる。

 コモリは再びダイチに質問攻めを始め、サクラは放置された。


(なんなのぉ~……!)


 前に聞いた話からすると、コモリは中学一年生である。

 明らかになめられている態度に怒るべきかもしれないが、そんな状況ではない。

 サクラも怒るというよりは困惑の度合いが大きく、この場が早く終わればいいと願うばかりだ。


「コモリ、わかるだろう? この話はこれ以上、どうにもならないよ」

「パパ、絶対に隠し事してる。わたしが関わると面倒だからって、適当なこと言ってるんでしょ」

「はぁ……そんな証拠ないじゃないか」


 ダイチが根気強くなだめるが、コモリはヒートアップする一方である。


「大体ねぇ、パパは心配性なの。中学にもなってスマホも買ってくれない親なんて有り得なくない?」

「あー、確かに心配はしてるけど……」

「パパが許してくれないから端末代金と確認書類揃えてお母さんに直談判したんだよ。

 うちのクラスのスマホ所持率、データにして突きつけたら笑って同意書にサインくれた」

「……そういうとこが心配なんだ」

(なんかわかる)


 口には出さなかったが、サクラは心の中でうなづいた。

 こめかみを押さえながら悩ましくうめき声をあげるダイチに、同情の念すら抱いてしまう。


「というわけで、連絡先交換するからパパのスマホちょうだい。さっきはわざわざ家電からかけたんだから」

「……わかったよ。ただし、オレがやる」

「えっ、なんで?」


 きょとんと小首を傾げるコモリから、ダイチはサッとスマホを奪った。


「あーっ、パパったら娘のこと信用してないんだぁ!」

「そんなことないぞ……っと、やっぱりGPSアプリ入れる気で用意してたな?」

「……ちっ」

(舌打ちした! いま、舌打ちした! 怖っ!?)


 腹芸親子の高度な情報戦に恐怖を感じるサクラ。

 思わず身震いしてしまうが、それは恐怖から来るものではなかった。


「あ、あのぉ……ちょっとお手洗いに……」

「うん? あぁ、いってらっしゃい」


 今頃になって下山後に飲み干した水が効いたのだろう。

 そそくさと立ち上がるサクラをダイチが優しく見送ると、コモリが勢いよく手を挙げた。


「わたしも」


 不敵な笑みを浮かべるコモリに気付いたサクラだったが、まさかついてくるなとは言えない。

 とっさにダイチへ助けを求めるが、これまた難しい顔をしていた。まさか娘にトイレを我慢しろとは言えない。


(……怖いなぁ)


 サクラは不安を抱えながら、恐る恐るトイレに向かうのだった。



     + + +



「ねぇ、ホントのところ教えてよ」


 トイレに足を踏み入れるなり、背後から刺すような口調でコモリが言った。

 予想して心構えはできていたが、あまりに直球な物言いに驚いてしまった。

 しかし、何はともあれ――


「と、とりあえず、用を済ましたいなぁ……」

「済ませたら?」


 コモリの視線を気にしながら個室に入るが、ドアの前にはコモリが突っ立っている。


「……そこで待つの?」

「悪い?」

「良くはないし、恥ずかしいよ」


 不機嫌そうに目を細めて、コモリは洗面台の前まで離れる。


「早くして、パパに変に思われちゃう」

「はぁい……」


 年下の女子にトイレを急かされるというシチュエーションが既に恥ずかしい。

 どうしてこんなプレッシャーを感じなければならないのか、とサクラは震えた。

 肌身で相対性理論を実感するほどの時間で用を済まして個室を出る。


「おっそい」

「そんなことはないと思うけど……ねぇ、洗面所使うから、もうちょっと下がってほしいなぁ」

「えー、手も洗うの?」

「洗うよっ!」


 悠長に待っている時間が惜しくなったのだろう。

 コモリは痺れを切らしたように鼻を鳴らして、手を洗うサクラを一方的に詰め始める。


「サクラ、パパは何を隠してるの?」


 ダイチがコモリに真実を明かさなかったのは、話が一般的に信じられないからということもあるが、コモリのことを巻き込みたくないからだろう。

 それを理解できるサクラがここで教えてしまうことは良くないし、コモリがそれを聞いてどのような反応をするかもわからない。

 能動的に嘘をつくのは苦手なサクラだが、誤魔化すことならばできなくはない。


「知らないよ。それに年上のお姉さんを呼び捨ては良くないんじゃないかな」

「わたし、パパの話信じてないもの。何よ、しきたりって。平成飛び越して昭和じゃない」

「昭和でもなさそうな話だけど……」

「あなたが高校生だってのも嘘でしょ」

「それは本当だよっ!」

「そ・れ・は~?」

「うっ」


 早々にボロを出して焦るサクラ。

 情報の信頼性を疑うところや、とっさのかまかけが上手いところは親子である。

 サクラはこれ以上、情けない醜態を晒す前にはっきりと宣言した。


「ともかく、わたしから言えることはないからね! コモリちゃんのためだから!」


 決まった、と腰に手をあててドヤるサクラ。

 つまりさっきの話は嘘だと言ったに等しいのだが、サクラはそのことに気付いてはいない。

 しかし、幸いなことにコモリが話をまったく信用していないので、さほど問題はなかった。


「わたしを守るための嘘ってわけ?」


 コモリは冷たい視線を向けて、ふて腐れるようにサクラに問いかける。

 うなづくわけにはいかないサクラは固まってしまうが、先にコモリが視線をそらした。


「……またそうやってカッコつけるんだから」

「な、何が?」

「もういい」


 そう呟いて踵を返すコモリを追うように、サクラもホテルのロビーへと戻る。

 ダイチに近づく直前、コモリが軽く振り向きながら言った。


「覚悟してよね」

(何を!?)


 何に対しての覚悟なのか、それを問う暇もなく、コモリはソファに戻るなりダイチに甘えた声でねだる。


「ねぇ、パパ。わたしも今日、ここに泊まっていい?」

「おいおい、急に何を言い出すんだ」

「だって家に一人なんて寂しいでしょ。それかパパが家に来る?」

「それは……」


 ダイチの顔が渋るのも当然だろう。二人のそばにいることで、探りを入れやすい環境を作るつもりなのだ。

 そうなっては行動を取りづらいし、いざというときにコモリを守る必要が出てくる。


(コモリちゃんまで守らないといけなくなったら人質が増えるようなもんだよね……)


 その瞬間、サクラの頭に閃くものがあった。

 それをそのまま口にすることに迷いはあるが、機を逸してはいけないとも感じた。


「わたしがおうちにお邪魔するのはいけませんか……?」

「……えっ?」

「ホテル代もかからなくて済むし、ダイチさんもコモリちゃんが心配ですよね?」


 ダイチは意外そうに目を見開き、口をぽかんと開けていた。

 サクラも自分の口からこんな打算的な言葉が飛び出すとは思わなかった。


「コモリちゃんが何かする可能性もあるし、あるいは……」


 コモリが何かされる可能性がある、とサクラは含みを持たせた言い方をした。

 そこまで言わなくてもダイチには伝わっているようで、額に手をあてて苦笑いをしている。


「まさか可能性を人質にするなんて、サクラちゃんを甘く見てたな」

「そういうのが上手い大人が近くにいたので」

「悪い見本だなぁ」

「何、なんなの急に……」


 コモリはサクラが突然、協力的なことを言い出したことに驚いている様子だった。

 勿論そんなことはなく、サクラはダイチに対する要求を通すためにこんなことを言い出したのである。


「一週間だけ、よろしくお願いします」


 メリーへの回答期限と同じく一週間。

 そのあいだ、ダイチにはサクラの理想に付き合ってもらう。

 敵の要求を呑むことなく、人質を救出し、何一つ欠かすことなく正義を遂行する。


「お手伝いしますから」


 ダイチは難しい顔をしている。コモリがいる手前、厳しい正論を並べ立ててサクラの口を封じられないのだろう。

 それに意図は異なるとはいえ、サクラがコモリと行動をともにすることは、コモリ自身が言い出したことである。

 状況は二対一。ダイチは目線を誰もいない斜め上へとそらした。


「はぁ……エゴにまみれた青臭い理想のために、一刻も早い合理的判断を放棄しろってか」


 チクチクとするダイチの言葉に罪悪感を覚えつつ、サクラは胸に手をあてた。


「そんな意地悪な言い方、よく思いつきますね」

「意地悪だからね、オレ……わかったよ、降参」


 ダイチは手のひらを見せて態度を示すが、それを見てもサクラの罪悪感が満足感に変わることはない。

 こんなやり方でしかダイチを止められない、助けられない自分が情けなかった。


(もっとわたしが強ければ……いや、違う)


 一人で戦うなら戦隊である意味がない。足りなかったのは強さではなく信頼関係だ。

 もっとダイチのことを知って、本当の意味で助けになりたい。


「ちょっと!」

「な、なに?」

「わたしにわからないようにパパと話すのやめてくれる? なんなの? パパを取る気なの?」


 真剣な思いを募らせていたサクラの腕を引っ張りながら、コモリが刺々しく突っかかる。

 サクラはそんなことないと否定しようとしたが――


(あれ? でもダイチさんを戦隊に留まらせるってことは、コモリちゃんとの時間を奪うことになるのかも?)


 ここ数時間のねちねちとした論じ合いに感化されていたサクラは、いちいち真面目に考え込んでしまった。

 サクラの態度に慌てたコモリは、掴んでいたサクラの腕を振り回しながら叫ぶ。


「ちょっとぉ! 本気でそうなの!? 何か言いなさいったら!」

「いや、取る気はないけど……正確にはそうとも言い切れないというか……」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた二人に、ダイチはやれやれと頭を抱えた。


「こら、夜中にホテルで騒ぐんじゃない」


 一向に静まらない二人の女子の頭が無情にも叩かれるのは、それから数秒後のことだった。

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