3-13 人が賭けをする理由
『30,000』
何度も見せつけられた胸の電光掲示板は三万を示している。
サクラはつい、買おうとしていた電子レンジのことを思い出した。
(マネヤン倒したらバイト代はずんでくれるかなぁ……いや、魔法少女の姿で倒したってメイカさんには言えないじゃん!)
弱体化したとはいえ強敵であることに変わりはないのに、のんきな感情を抱いてしまった。
サクラは気を引き締めながら、興奮するマネヤンの動きを注意深く観察する。
気をつけるポイントは二つ、時間停止と身体強化。
割けるリソースが残りわずかになった以上、際限の無い能力行使はできないはずだ。
(待つか、仕掛けるか……わたしだって消耗してるのは同じだ……)
いまできる最大限の一撃を叩き込むには、マネヤンに極力近づく必要がある。
サクラから攻撃を仕掛ければマネヤンは防御か回避の姿勢をとるだろう。
そこから追い込みで二撃目を打てるほど、サクラの体力は万全ではない。
(一度の反撃に賭けるしかない――!)
怒りに囚われているマネヤンは確実にサクラを攻撃してくるだろう。
しかし、下手に応戦してしまえば冷静さを取り戻し、全力で逃げ出すということもある。
それは絶対に避けなければいけない最悪の事態である。
みすみすやられるわけにはいかないが、中途半端な反撃では意味がない。
一発勝負でマネヤンを倒さなければ、ここのチャンスは活かすことができない。
「ヤァン!」
(来た!)
残念ながらこれ以上、思考する暇はなかった。
どたどたと重々しい足音を鳴らしながらマネヤンが駆け寄る。
接近するために時間を停止するほどの余裕はもはやないのだろう。
サクラは身構える。正面か、背後か。上か、下か。右か、左か。時が止まる――――
「――サイド、でしょ」
左脇に集中させた全神経がマネヤンの攻撃を寸前で捉え、サクラは勝利を確信した。
攻撃を読み切った快感が脳内を駆け巡り、魔力が底から湧き上がるように増幅する。
根拠のない読みではない。幾度となく喰らわされた鈍重な打撃は横から打たれることが多かった。
重いマネヤンの身体では真上や背後からの攻撃はやりづらく、正面からの攻撃は素直すぎて受けられやすい。
真横からの攻撃はマネヤンによる無意識の癖、みたいなものだったのだろう。
サクラはこれまでの経験から、感覚的に一番高い確率を掴み取ったのである。
「こんなの賭けでもなんでもない、必然っ!」
ピンクの輝きが溢れんばかりにサクラの手の中で暴れている。
そのとき、トドメのサクラメントシュートを放とうとしたサクラの頭に新たなイメージが湧いた。
たった一度の反撃にすべての力を集約し、それを直接的に与えるならば。
サクラはグッと手に込めた魔力をマネヤンの身体に押し付け、その力を一気に解放した。
「サクラメント、インパクトォ!」
大音量の爆発とともにマネヤンが天高く吹っ飛ばされる。
いつもの河川敷ならば星となり消えゆく展開だが、ここは屋内。
天井に叩きつけられたマネヤンは無残にも落下する。
――その真下にへたりこんだメイカがいたのは不運としか言いようがなかった。
「きゃあっ!」
(――まずい!!)
「ダークネスキャノン!」
視界の隅から飛び込んだ黒い光弾がマネヤンを貫き、その身体を跡形もなく塵と化した。
サクラが攻撃の方向に視線を動かすと、腕を突き出したノワールがややふらつきながらも誇らしげに笑みを浮かべていた。
「詰めが甘いのよ、あなたは」
「ノワール! ありがとう、助かったよ! 大丈夫!?」
「……そういうのいいから」
手をひらひらとさせてサクラを追い払うポーズを見せる。
結果的に手助けとなったが、ノワールはマネヤンへの報復を自分でつけたかっただけだろう。
それでもお礼くらい素直に受け取ればいいのにとサクラは思ったが、それを言うと余計にこじれそうだったので言わないことにした。
「メイカさんも大丈夫だった?」
「ええ、なんともありませんわ」
口調こそ平然としているが、顔は力なく笑っていた。
緊張と疲労で精神をすり減らしていたところに危機一髪ともなれば当然だろう。
なんともない、と言い張れる時点で立派である。
「あなたこそ大丈夫? 酷くやられたようですけど」
「体力と魔力さえ整えば回復しますから、大丈夫ですよ!」
連日連戦を強いられていた一時期とは違い、今は戦闘のない日もある。一日挟めば戦えるくらいには回復できる。
「そ、そう……便利ですのね、魔法少女って」
サクラとしては安心させるつもりで言ったのだが、メイカは軽く引いていた。
なんでだろう、と首をひねっていると背後からノワールが背中をつついてくる。
「どうしたの?」
「あなたたち、仲良く話してていいの?」
「いいでしょ、だって……」
言葉を続けようとして、サクラは自分の姿を再認識した。魔法少女である。
決して忘れていたわけではないが、戦闘が終わった安心から油断していた。
(そうだ、ピンキーハートとメイカさんは一度しか会ってない! それも一緒にバズーカ撃っただけだ!)
必死に頭の中でメイカとの会話を繰り返し、不用意な発言をしていないか思い出す。
多分していないだろうと半ば無理やり結論付けて、サクラは不自然な笑顔になる。
意識してしまうと余計にダメになるタイプだった。
「え、えーと……これでわたしは失礼しますね?」
「あら、いきなりですわね」
「用事を思い出したもので! それじゃ、お元気で!」
サクラはボロを出さないうちに立ち去ろうと、やや強引な挨拶でその場を後にした。
メイカは黒服たちがいれば無事に帰るだろうし、パニィとノワールは勝手にするだろう。
「あっぶない……魔法少女の姿でみんなに会うものじゃないな」
「そうね、いつ口が滑るかわかったもんじゃないわ」
いつの間にかノワールが隣でにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「ノワール!? どうしたの……えっ、帰る方向いっしょ?」
「なんでよ。だとしても時間ズラすわよ」
「え、ちょっと冷たくない?」
「ああ、もう。そんな話をしたいんじゃないわよ。休戦、明日からはナシってことでいいわよね」
どうやら協力は終わりだとしっかり釘を刺しにきたらしい。
サクラは溜息を出そうになるのを我慢しながら、キリッとした目を作った。
「いいよ。今回はありがとう」
「いいえ? じゃあね、あまり厄介なことばかり関わるんじゃないわよ」
(ノワールが厄介だよ)
「何か言いたそうね?」
「なんにも!」
「あ、そう。じゃあ」
手を振り飛び去っていくノワールを目で追いながら、サクラは我慢していた溜息をこぼした。
今更仲良くなれるとは思っていないが、今回の共闘は少し距離が近づいたと思っていたのだ。
しっかりと線引きをされたということは今までどおりの関係なのだろう。
(でも、一緒に戦うっていいなぁ)
それは魔法少女のときにはなかった感情だった。
戦隊としてチームを組んで戦うことを知ったからこそ、頼れる仲間がいることのありがたさがわかる。
頼れる相手がライバルだというのがサクラにとっては悩みどころだ。
「仲間、か……」
サクラはノワールと一緒に戦っている姿を妄想してみたが、すぐに敵の想像ができなくなって苦笑した。
今回が例外だっただけで、基本的にパラノイアではサクラたちの相手にとって不足ありなのだ。
「ふわぁ……早く帰って寝よう……」
考え事をやめるとあくびが止まらないので、サクラは唸りながら考えることを探した。
(……そういや、メイカさんに怪しまれてないかなぁ)
+ + +
(あれ、どう考えてもサクラですわよね)
本人の不安は残念ながら的中していた。
一応、魔法少女というものは認識を阻害する魔法によって、外見的特徴からはサクラ本人へと結びつかないようにはなっている。
しかし、ピンキーハートの現れたタイミング、ヒーローらしい言動、その一つ一つが彼女はサクラであると物語っていた。
そもそも本人が隠すつもりもなく振舞っていたのだから、いかに魔法といえども限度がある。
それでもメイカが口にしなかったのは、隠していることをわざわざ暴くような振る舞いは無粋であると思ったからだ。
むしろサクラが魔法少女ならば、何度もアルバイトを抜け出していたことに説明がつくし、彼女が事件を解決すると信じていたメイカにとって都合もいい。
限りなく怪しいとはいえ証拠はないのだから、メイカは気にしないことにした。
(ただ直接サクラに感謝できないのは残念ですわね……そうですわ、適当に理由をつけてバイト代を――)
「あの、お嬢……?」
「わっ……パニィさん、残っていらしたのね」
「なんつーか、放置された感あるケド……」
普段は空のかなたへぶっ飛ばされるか、その寸前でノワールに助けられるのがお決まりである。
現場に取り残されてしまう経験が初めてだったパニィは、居心地が悪そうにうつむいていた。
「今回はウチのせいでゴメンね?」
「なんのことですの?」
「え、ほら、巻き込んじゃったこととか」
「あなたはそれを悪いと思っていますのね」
「へ? トーゼンでしょ」
あっけらかんとした顔のパニィからは嘘や誤魔化しといったものは感じられない。
悪気を感じるポイントが一般的基準と異なるのは、パニィがパラノイアだからとしか言いようがない。
(というか、知り合いに迷惑をかけるのは悪ってメンタルかしら……)
そんな身内の団結力だけはある悪党のような精神性――と、考えたところでパラノイアは悪の組織だと思い出す。
(うーん……でも、そういう悪の組織って昔のヘッポコ三人組的なやつですわね)
「とりあえず、周囲を巻き込むような悪さは慎んだほうがよろしくてよ」
「あー、でもパラノイアってそういうノリだからなぁ……」
「パニィさん?」
「あ、うん! やめとくし!」
(……数日もてばいいですわね)
パニィの更生はメイカの知るところではないし、それこそ魔法少女たちに任せるべきだろう。
「お嬢の言うことならマジメに聞くし!」
「あはは……それは光栄ですわ」
ただ、こうして交わってしまった以上は関係をなかったことにはできない。
また面倒なことにならないように願うばかりである。
「ウチがお嬢さまだったら、マネヤンなんて作らなくてもよかったのになぁ」
「お嬢さまになるというのは、存外大変なものですわよ」
「そっかぁ……タイヘンならウチにはムリかなー」
お気楽な調子でぼんやり宙を見上げるパニィは、さほど疑問でもなさそうなトーンでたずねる。
「ねぇ、お嬢はどうして賭けなんてしたの?」
その単純な問いにメイカは考え込む。
魔法少女として戦うサクラに感化され、お嬢さまとして戦える舞台を考えたとき、この賭けが思い浮かんだ。
そこに至るまでの感情も、それを実行するまでの緊張も、それを成し遂げたときの脱帽も、もはや遠い過去の記憶のように霞んでいる。
メイカ自身、うまく言語化できそうにないのに加えて、パニィに伝わるような言葉でとなると難題であった。
しかし、わかりませんと答えるのは、メイカのお嬢さまとしてのプライドが許さなかった。
「いいこと? お嬢さまに限らず、古今東西、人が賭けをする理由なんて一つに決まってますわ」
「それって?」
「勝てると思ったから、ですわ」
+ + +
その日、サクラはケーキの入った箱を抱えて、緊張した面持ちでマンションの一室を訪れていた。
(メイカさん、聞きたいことってなんだろう……もしかしてこのあいだのことで何か……魔法少女のことがバレたとか……いや、まさかね……)
マネヤンの騒動から数日後、サクラはメイカの自宅へと招かれていた。
『バイトも終わったのだし、聞きたいこともあるから気軽に遊びにいらして?』という他愛もない誘い文句だったのだが、サクラは裏の裏まで読んだあげく、勝手な不安に駆られていた。
(最近たるんでるのかなぁ……魔法少女と戦隊の両立も軌道に乗って調子に乗って……)
「サクラ?」
(このケーキも手土産のつもりで持ってきたけど、つい大好きなはちみつケーキ買っちゃったし……)
「サークーラー?」
(メイカさん、甘いの好きかなぁ……辛党だったらどうしよう!)
「サクラ!」
「わっ、辛党でしたか!?」
「急になんですの!? 甘いのも辛いのもべつに平気ですわよ!?」
突然の質問にも律儀に答えたメイカに気付き、サクラは慌てて余計な考え事を頭から振り払う。
「本日はお招きありがとうございます! つまらないものですが、これを!」
ずいっと目の前に差し出されたケーキの箱を見て、メイカはきょとんと瞬きすると苦笑した。
「ありがとう、すぐお茶を淹れますわね」
「お構いなく……あれ、この匂い?」
部屋の奥から漂ってくる甘いバターの香りがサクラの鼻をくすぐる。
サクラの手から奪うようにしてケーキの箱を取ったメイカが何食わぬ顔を作って言った。
「フィナンシェを作っていましたの」
「えっ!? すみません、わたしケーキなんて持ってきて!」
「ふふ、一度受け取ったものをお返しするわけには参りませんわ」
サクラは失敗したと悔やんだが、メイカは妙に楽しそうに笑っている。
それならいいのかな、と少々の心残りはありつつも、これ以上は失礼だと気にするのはやめた。
メイカの自室は相変わらず洗練された雰囲気で、淹れてくれた紅茶もスーッと身体に染み渡る。
「はぁー、美味しいです」
「それはよかったですわ。そうそう、母親へのプレゼントはうまくいきましたの?」
「あ、電子レンジですか? それがですねー」
最初はサプライズで電子レンジを買うつもりだったサクラだが、実際に買うとなるとどの製品を買えばいいか迷ってしまった。
そこで父に相談したところ、一番の使用者である母の意見が大事なのでは、という結論に至った。
喜ばせることが第一で、驚きなんか二の次である。素直に母へプレゼントのことを打ち明けると、大喜びでカタログを見ながら一緒に時間を潰した。
「……結果、週末に家族で電子レンジを見に行くことになりました」
「決まりませんでしたのね」
「でもまぁ、お給料で母にプレゼントするという目的は達したのでオッケーです」
初志貫徹。
アルバイトで稼いで母親にプレゼントを買う、という目的は達成できた。
サクラが魔法少女であるせいで一般的な手段とはだいぶ異なる過程になったが、魔法少女であるおかげでなんとかなったのだから結果オーライである。
「よかったですわね」
「えへへ……」
サクラは率直な褒め言葉に赤くなりゆく頬を、目の前のフィナンシェを頬張ることで誤魔化した。
「ふぁ、おいひぃでふね、ほれ」
「ありがとう。でも食べているときは口を閉じなさい」
サクラがもごもごと口を動かしているあいだ、メイカは何も喋らなかった。
そのまま優雅に紅茶を楽しみ、はちみつケーキを無言のまま食べ終えてしまった。表情は柔らかく、つまらなそうな様子ではない。
一方、サクラはメイカのことを訝しみながらもフィナンシェを完食し、紅茶も三杯おかわりした。
満腹感を腹に抱えて、サクラは意を決してたずねた。
「あの、聞きたいことってなんだったんですか……?」
「ん? もう済みましたわ」
「済んだって……え、電子レンジのことですか!?」
「だってあなたの志望動機でしょう? 雇用主としては顛末を聞く権利があると思いますけど」
「……なんだぁー」
魔法少女のことを聞かれるのではないかとドキドキしていたサクラは、身体の芯が抜けてしまったようにへなへなになった。
「なんだ、って……それ以外に聞くことがありますの?」
「ありません!」
「返事が元気すぎますわ……」
やれやれと頭を押さえるメイカの思うところをサクラは知るよしもない。
安心するとお腹に隙間ができたようで、ぐーっと可愛くない音が響いた。
「あー……実は自分用にシュークリームも買ってきたんですけど、ここで食べていいですか?」
「……これ以上はどうかと思うけど、初めてのバイト代で浮かれるあなたにはいい薬ですわ」
「なんで薬? 甘くて美味しいのに……」
「晩御飯までにはわかりますわ」
「……あっ」
その夜、サクラは人生で初めて、買い食いのせいで夕飯が食べられないという体験をした。
正確には頑張って食べきったのだが、そのおかげでお腹パンパンのままベッドで動けずに夜を過ごすはめになった。
「魔法少女、私腹を肥やす……ってね……はぁ……」
お金はなくても困るが、あっても使い方を間違えれば困り者である。
乾いた笑いを漏らしながら、サクラの眠れない夜は更けていくのであった。
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