3-12 お嬢さまの辞書に敗北はいらない

 メイカの連絡から数十分後、黒塗りのワゴン車がエンジン音を響かせながら入ってくる。

 中からはスーツケースを持った老紳士が一人で降り立ち、恭しくメイカに頭を下げた。


「ご無事で何よりです」

「心配かけましたわね――例のものは?」

「こちらに」


 膝を折りスーツケースを開くと、そこにはギッシリと札束が詰められていた。

 帯でまとめられた新品の札束にサクラは目が眩んだ。


「い、いったい幾らあるの……?」

「一億円でございます」

「いちおくぅ!? 一億って何億!?」

「一億ですわ」


 平然としているメイカについていけないサクラを尻目に、マネヤンは待っていたとばかりに興奮気味の声を上げた。


「ヤーン!」

「早く勝負しろ、だって」


 これからどうなるのか気が気でないパニィがビビりながら答える。

 メイカは余裕のある態度を保ったまま、老紳士から一枚のコインを受け取った。


「あなたのこんにゃくのような手つきでトランプが扱えるかわかりませんでしたので、ここはシンプルにコイントスでいかがかしら」


 メイカが指に挟んで示したコインは1ポンド硬貨だった。

 一面にエリザベス女王、もう一面にはイギリスの国々を示す草花が描かれている。


「賭け金のレートは高いほうの希望額に合わせるということで」

「ヤーン」


 マネヤンは頷くような仕草を見せて、スッと一つ指を立てた。


「一億ね、了解しましたわ」

(えっ、一万円とかじゃなくて?)


 誰も異議を唱えずに進行するので、サクラは自分の金銭感覚がおかしくなったのかと困惑する。


「マジで!? 百円からじゃないの!?」

(……よかった。庶民派はわたしだけじゃなかった)


 唖然とするパニィを見て安堵するサクラは、再び賭けの場に意識を移す。

 いきなり一億を提示したマネヤンは早々に勝負を終わらせるつもりだろう。

 対して持ち込んだスーツケースの中身をすべて賭けることになったメイカはやけに落ち着いている。

 勝負の当事者でもないのにサクラは心臓がバクバクと痛いほどに高鳴っていた。


(こんな大金が当然のように動くのを目の当たりにするなんて……)

「さぁ……ピンキーハート、さん?」

「うえっ!? えっ、はい?」


 すっかり忘れていたが、ピンキーハートの正体がサクラであることは明かしてはいない。

 そんなこと気にせずに話してしまっていたサクラは動揺で変な声が出た。

 幸い、メイカはあまり気にした様子はなく用件を淡々と話した。


「この勝負、最後はあなたの力が必要になりますわ」

「えっ、わたしの?」

「だから決着の瞬間を見逃してはなりませんわよ?」


 べつによそ見なんかするつもりはないが、メイカはサクラに何かを期待しているらしい。

 それならばしっかりしなければと、サクラはパンパンと頬を叩いて真剣な眼差しで正面を見据えた。

 それを見て満足そうに微笑んだメイカは、フッと口元をつり上げる。


「いざ、勝負ですわ! オモテ!」

「ヤン!」


 メイカはためらうことなくコインを親指で弾いた。

 回転しながら宙を舞う軌跡を誰もが目で追い、程なくしてメイカが片手で受け止めた。

 手を開くとそこには草花の絵柄が描かれている。


(――あっ、外れた)


 あまりにも呆気ない結末。

 こんな簡単に勝敗が決まってしまっていいものかという脱力感。

 サクラは呆然としかけたが、メイカの言葉を思い出す。


 ――決着の瞬間を見逃すな。


(今、かな?)


 敗北したメイカを助けるために動くべきかと考えていると、メイカが大きな笑い声を上げた。


「オーッホッホッホ! 幸先が悪いようですわね!」

「えっ……もう、負けちゃったんじゃ……?」

「誰が一回勝負と言ったかしら、わたくしはまだ戦う用意がありますもの」


 スーツケースごと一億円をマネヤンのほうへと転がし、老紳士は車へと戻る。

 そして、今度はスーツケースを二つ携えて再びメイカの隣へとやってきた。


「えっ……ええっ!?」


 驚くばかりのサクラを気にも留めず、メイカは次の勝負へと意識を向けている。


「さぁ、次の希望レートは二億ですわ!

 マネヤン様はどうなさるのかしら!?」

「ヤ、ヤーン……!」

「やるって!」


 もはやパニィが訳さずともなんとなく言いたいことはわかる。

 マネヤンは少々、予想外といった様子でメイカのほうを見つめているが、気持ちはサクラも同じだ。


(まさか勝つまでやる気!?)


 負けた額の倍額を賭ければ、次の勝利で負け分は取り返せる。

 しかし、それはあくまで理論上はそうだという話で実際には豊富な資金がなければ実現できない。

 できない――はずなのだが、自信ありげに微笑むメイカを見ていると、どこまでも金が湧いてでてくるような気がしてならない。

 いったいあのワゴン車の中には幾ら用意してあるのだろう。


「さぁ、次の勝負ですわ……ウラ!」

「ヤーン!」


 結果は――オモテ。

 メイカの運が悪いように思えるが、確率的には4分の1とそこまでおかしな結果ではない。


「次ですわ!」


 結果はまた外れ。

 運命の悪戯か、はたまたイカサマを疑いたくなるような結果が続く。

 しかし、そう何度も不運は続きはしない。


「オモテ!」


 四度目の正直でとうとうメイカがコインの表裏を言い当てた。

 マネヤンのもとから八億円もの金額がメイカの側へ移動する。

 とはいえ、元を辿ればそのうちの七億円はメイカが用意したスーツケース七個分である。

 マネヤンが実際に失う金額は最初に提示されたレートの一億円に過ぎない。


「ヤーン……」


 それでもマネヤンにとって金は力であり、存在意義でもある。

 素直に手放す気配はなく、荒々しい雰囲気を察したメイカは涼しい顔をして言った。


「暴力に訴える気? 想像力が貧困ですのね、それではわたくしには勝てませんわ」

「ヤーン?」

「わたくしはまだ賭けを降りるつもりはありませんわ。

 次は最初から二億、賭けさせていただきますわ!」


 賭け金が二億の勝負に勝てば、マネヤンは一億の損を取り返すことができるどころか、一気に収支をプラスにすることができる。

 一億をここで手放しても、より多くの金額を稼ぐことができる提案をマネヤンは本能的に無視することができない。


「ヤ、ヤーン……」


 マネヤンは賭けに乗らざるを得なかった。

 一億円を身体から吐き出し、胸の電光掲示板の数値が動く。

 その光景にメイカは微笑み、演技がかった口振りで声高々に叫ぶ。


「そうこなくては! こういった局面において必要なものは三つ!

 勇気と、想像力、そして――ビッグマネーですわ!」


 サクラは目の前で動く大金にくらくらしていたが、少しずつメイカが進行する勝負の流れの意図を感じ取っていた。

 メイカは豊富な資金でショートすることなく倍々ゲームを仕掛け続ける。

 メイカが負ければ、直前の賭け金の倍の金額を賭ける。

 メイカが勝てば、前の勝負でのレートの倍の金額を賭ける。

 勝とうと負けようと、その次の勝負ではマネヤンが得する金額を提示し続ける。

 普通なら勝ち逃げを考えそうな状況でも、マネヤンは本能的に稼げる選択肢を無視できない。


(一時的にはマネヤンが勝つこともあるけど、大局的に見ればメイカさんが勝てる!

 ……資金が尽きない限りは)


 気軽に大金が飛び交う中で忘れてしまいそうになるが、金は無限に湧いて出るものではない。

 メイカが用意できる金額が桁外れなだけで、そこには必ず限界がある。

 要は用意された資金がマネヤンを上回っていれば勝ち、そうでなければ負けというだけの話だ。

 メイカの資金はワゴン車にスーツケース単位で載せた、多く見積もって数十億。

 マネヤンは九桁、億以上であること以外は不明。


(大丈夫かな……)


 あれこれと考えているあいだにも勝負は続いている。

 いつの間にか賭け金のレートは百億円を突破しようとしていた。


(まずい! いくら大きなワゴン車だからって、スーツケースが百個も入ってるわけ――――って)

「えええええええええっ、二台目ぇ!?」


 気付けばワゴン車の隣にはもう一台、同じワゴン車が横付けされていた。

 せっせと黒服の男たちがスーツケースを降ろしており、廃工場は何やらカジノか金融機関のような様相を呈してき始めた。


「物理的にお金を用意するというのは時間がかかるものなのですわ。

 しかし、このわたくしに抜かりはありません!

 賭けが長引いたときの準備はこのように万全でしてよ!」


 狂気染みてきたギャンブルはまだ終わる気配を見せない。

 マネヤンが放出した金はチェッカーで計算され、新たなスーツケースに梱包されていく。

 そうすることで金の移動はスムーズとなり、賭けのペースはどんどんと加速する。

 ワゴン車は三台目が追加され、一台目がいなくなったかと思えば新たなスーツケースを積んで再来する。

 運び込まれた一億円スーツケースは数百個を超えて、今や数える気も起きないほど丁寧に整列されていた。


「ヤーン……」


 大規模な損得を繰り返すマネヤンは、さすがに気疲れを起こしたように脱力している。

 金が尽きれば終わりであることはメイカもマネヤンも条件は同じだ。

 マネヤンには良きところで勝ち分を確保し、暴力に訴え出るという手がある。

 そうしないのは現金がこうして目の前で増えていくことに、本能が抗えないからだろう。

 メイカの言うとおり大量の現金を用意するというのは面倒臭いものだ。

 これから先、金持ちの金庫や銀行を襲ったところで十分な現金が置かれているとは限らない。

 だからこそ、奪うにしても現金の在り処を探す手間を省けるこのギャンブルは魅力的だった。


 ――魅力的なはずなのに、マネヤンは恐怖を感じ始めていた。


「お金ならあります。どうぞ満足するまでたいらげてみなさい」


 好物とはいえ際限なく供給されれば胸焼けも起こそうというものだ。

 スーツケースがチップのように動き回り、泡沫のように大金が現れては消えていく。

 この場に存在する総額は幾らになるのだろう。マネヤンが所持していた金額はとうに超えただろうか。

 確実に言えることは、この場をいま支配しているのは圧倒的強者であったはずのマネヤンではなく、轟メイカであるということだった。


「さぁ、次の勝負ですわ!」


 結果などもはや興味はない。

 どちらであろうとメイカの資金が尽きぬ限りは負けないのだから。

 異様な空気感のままコイントスは続けられ――――やがて、異変が起こった。


「ヤン……」

(胸の数値が――!)


 カウンターが回るたびに九に戻り続けていた八桁目、千万の位から光が消えた。

 ついにマネヤンの資金が一千万を切った。

 メイカは煽るように口元に手をあてて高笑いを上げた。


「オーッホッホッホ!

 どうやら次の賭けではマネヤン様の負けを取り戻すだけの勝負はできないようですわね?」


 マネヤンは自らが後戻りできないほど賭けにアツくなりすぎたことを悟った。

 レートの希望額は高いほうに合わせるというルールである。

 所持金がバレてしまっては、メイカはマネヤンの所持金の総額を賭けるだろう。

 その勝負に負けては無一文になってしまう。


「ヤァン……!」

「ええ、ここらが潮時でしょう。

 さすがにゼロになるリスクを負ってまで、賭けは続けられませんわね?」


 マネヤンとメイカを包む雰囲気が荒々しさを増していく。

 賭博の緊張感が戦闘のそれに変化する兆しを感じて、サクラは戦闘態勢をとった。

 残りは約九百万。

 初戦では二百万のマネヤンに手も足も出なかったサクラにはかなり荷が重い。


(それでもメイカさんがくれたチャンス、絶対に倒してみせる!)


 気合を入れるサクラだったが、メイカは驚くべき提案をした。


「――では次の賭けは、マネヤン様の全財産とこの場にあるスーツケースすべてを賭けて勝負するというのはいかがかしら」

「ええっ!?」


(まだ続けるの!? 続くの!?)


 確かにあと一削り欲しいところではあるが、敗北したときのデメリットが大きすぎる。


「メイカさん! もういいよ!

 あとはわたしが魔法少女のど根性でなんとかするから!」

「なんですのそれは。それでなんとかなるなら初めからそうなさったら?」

「うぐぐ……」


 言い返せずに黙るサクラに、メイカは溜息をついてから優しく微笑みを向けた。


「あなたが魔法少女なら、わたくしはお嬢さまですわ。

 それ以外の何者でもない以上、わたくしたちには培ってきたプライドがありますわ」

「……それってどういう」

「まだあなたの出る幕ではないってことですわ」


 そしてメイカは高々とコインを宙に放り投げた。

 綺麗に弾いていた今までとは違い、無軌道に滅茶苦茶な回転を加えて落ちていく。

 メイカはコインの行く末などどうでもいいとばかりに、つかつかと壁に歩み寄ってへたりこむ。

 平然と賭けに勤しんでいたように見えて、実際は集中と緊張でだいぶ精神をすり減らしていたらしい。

 コインは地面に落ちて跳ね回り、くるくるとルーレットのように回り続けている。


「ヤン」

「オモテ――――ですが勝敗は既に決まってますわ」


 徐々に回転力を失い始めたコインがカラカラと音を鳴らしながら舞う。

 目に映るのはエリザベス女王――オモテだ。


「やっ――――――たーーっ、はっ!?」


 サクラの喜びも束の間――否、マネヤンが残金を振り絞り時を停止している間。

 工場内のスーツケースはすべて荒らされ、その中身は――白紙が詰められていた。


「ヤ、ヤァン……!?」


 マネヤンは衝撃に震えながら理解を拒むかのように焦りの声を鳴らしている。

 勝敗が決した瞬間、マネヤンは暴挙に出たつもりだったのだろう。

 時間を停止し、それまでの賭けの一切を冒涜する行為に及ぼうとしていた。

 スーツケースを開いたマネヤンは中身と同じく、頭が真っ白になったに違いない。


「オーッホッホッホ!

 どうかいたしまして? お約束どおり、この場にあるスーツケースはすべてあなたのものですわよ!」

「ど、どうしてお金が入ってないの!?」


 メイカは壁にもたれながらも高笑いをしっかりと飛ばし、意気揚々と話し始めた。


「現金を入れていたスーツケースは最初だけですわ。

 途中からは白紙を詰めたダミー。現金入りは回収し、運び出していましたの」

「じゃあ、今ここには……」

「一円たりともありませんわー!!」


 賭けが白熱していくにつれて中身など誰もまったく気にしていなかった。

 最初の見せ金とメイカ自身のお嬢さまであるという鮮烈なキャラクター性によって、そんなこと疑いもしなかったのだ。

 よく考えればこんな夜中に数百億を超える現金をいきなり用意するほうがおかしい。

 お嬢さま、という響きに騙されたような気がしなくもないが、メイカは元からただのお嬢さまではない。

 いわゆる『お嬢さま』キャラを目指して育てられたお嬢さまである。

 それは純粋なお嬢さまとはちょっと違うものかもしれない。

 しかし、多少のフェイクなら真実にしてしまいかねないほど徹底的に築き上げられた精神性は本物だった。


「勝負ありましたわね、マネヤン様――――わたくしの勝ちですわ」


 堂々とした勝利宣言。

 今ここに賭けの勝敗はついたのである。


「……ヤァン!!」



 ――――――――!!



「――――ここ、だよね。メイカさん」


 決着の瞬間、出番はやってくる。

 メイカの言葉を信じて訪れた時間と場所に、サクラは辿り着いていた。

 怒りに任せてメイカに振り下ろされたであろうマネヤンの腕を蹴り飛ばし、叫びまくるマネヤンを睨みつける。


「魔法少女ピンキーハート、いよいよ参上っ」

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