3-4 パラノイアのことはパラノイアに聞け
――――パラノイアが現れない。
サクラはふおぉぉ、と言葉にならない雄叫びを発しながら頭を抱え込む。
魔法少女になって三年、まさかこんなことで悩まされる日が訪れようとは夢にも思わなかった。
以前のペースで考えれば二日以上続けて、それも土日を挟んでなおパラノイアが出てこないのはおかしい。
夏休みや期末テストといった期間であれば、ノワールとの休戦協定によって連続して出現しないこともある。
しかし、サクラに断りもなく姿を見せないなんてことはなかった。悪の組織の風上にもおけない。
(これじゃぁ、ノワールにパラノイアのこと聞けないよ……)
宿敵であるノワールが素直に教えてくれるかは別として、これでは探りを入れることすらできない。
当てが外れてしまったサクラはどんよりとした気持ちで、メイカの待つ車へと向かっていた。
「うう……あれだけ自信ありげに任せろと言っておきながら……」
サクラの足取りは非常に重く、誰が見てもわかるほどに行きたくないオーラを発していた。
進捗も見込めないまま仕事に向かわなければならない気分である。サクラは学生ながら社会人の憂鬱を感じた。
「……桃瀬さん?」
「ふぇ?」
まさか他校で名前を呼ばれるなどと思っていなかったサクラは気の抜けた返事で振り向いた。
「なんて顔してるの、あなた」
そこにはかばんを手にしたリンネが怪訝そうな目をして立っており、サクラはハッと思い出した。
そういえばこの学校にはリンネも在籍しており、メイカにアポを取る役目を頼んだこともあった。
サクラもわざわざ他校へ行く機会なんてないので、こうして校内で対面するのは初めてだった。
「黒咲さん……」
「思わず声をかけてしまったけど……また厄介なことを抱え込んでいる様子ね?」
やれやれといった風に溜息をこぼすリンネ。
声をかけたことを後悔しているのか、諦め気味で見放したような態度をとる。
サクラにとってはそんな態度いつものことであり、こちらもいつもの調子で泣きついた。
「そうなんだよぉ……聞いてくれる?」
リンネなら素晴らしい解決策を授けてくれるかも、という期待から面倒なパスを投げる。
そんな魂胆を見透かすかのように嫌な顔をするリンネは、口を曲げながら言った。
「聞くだけよ?」
「実は最近、パラノイアに会いたいのに出てこなくて……」
ここで出た話がくだらなければ本当に聞くだけで帰るつもりだったのだろう。
実際、リンネはいつでも歩き出せる体勢を崩さず、長居はしない構えだった。
しかし、サクラの言葉を聞いた途端、困惑の表情を浮かべ、少々の怒りを見せ、やがて唸るように声を漏らした。
「……詳しく」
+ + +
「と、いうわけなんだよ……」
メイカのもとでアルバイトを始めたこと、お金持ちを狙う財布の盗難事件が相次いでいること、そして犯人はパラノイアだと考えていること。
サクラは話が長くなりそうなところを、ギュッとまとめてリンネに伝えた。
それでも濃厚な内容だったのだろう。リンネは胃もたれを起こしたように苦々しげに顔を歪めた。
「せっかく時間作ったのに、あなたって人は……」
「え、なんの話?」
「…………バイトの話よ!」
腹立たしげに声を荒げた後、リンネは自分を抑えるように胸に手を当てた。
「お嬢さまのお付きだなんて変なバイトするから、変な事件に巻き込まれるのよ。
もっと普通のがあるでしょ、普通のが……」
「普通のバイトは魔法少女向きじゃないし……」
「そもそもあるわけないでしょ、魔法少女向きのバイトなんて」
「そんなことないよ! メイカさんは……」
(……戦隊の仲間だから融通がきく、なんて言えないしなぁ)
「……メイカさんはすっごくいい人だもん!」
サクラが魔法少女かつ戦隊であることを知る者は、戦隊の魚住イズミと魔法少女バッドノワール、あとシシリィくらいしかいない。
リンネにはすでに魔法少女であることを知られている。これ以上の正体バレはサクラの信条に反する。
誤魔化し方は強引で苦しまぎれだったが、リンネは溜息を吐くばかりで深くは追究しなかった。
それもそのはず、元から知らなければサクラとメイカが戦隊仲間だから時間の融通がきく、なんて発想に思い至るわけがないだろう。
ホッと胸をなで下ろすサクラに、若干苛立ちながらリンネがたずねる。
「はぁ……それで? パラノイアがやったって証拠はあるの?」
「ないよ。わたしの勘」
「あなたの勘ねぇ……」
証拠も何も気付かないうちに財布が消え去るのだから、何一つ物的証拠などない。
その鮮やか過ぎる犯行技術に対して、メリットやリスクが釣り合わないチグハグさにピンと来ただけである。
サクラがパラノイアが関わっているのではないか、と疑うのは魔法少女としての勘に過ぎない。
しかし、パラノイアの悪事においてサクラの勘というのはかなりの信頼性を誇る。だてに三年間も相手をしてはいないのだ。
「手がかりを探すためにもパラノイアに会って、動向が知りたいんだよ。
知ってそうな相手に心当たりもあるから」
「……それってノワールとかいう黒い魔女のこと?」
「そうそう、魔法少女だけどね」
サクラが細かく訂正すると、リンネは複雑そうに小さく唸り声をあげる。
「あいつは敵でしょう? 素直に情報を教えてくれるとは限らないけど」
「そんなの話してみなくちゃ始まらないし、そのときはそのときだよ」
「……根拠もない自信があなたらしいわ」
目を閉じたリンネは何かを考え込むように黙り、やがて小さく息を吐いた。
「彼女ならいつもの河川敷で見かけるわよ」
河川敷、正確には河川公園運動広場。
街中で悪さをしたパラノイアが追い詰められるといえば、大体ここである。
芝生広場もグラウンドも完備した公園で、ほぼ毎週ヤングレーとの戦いが繰り広げられている。
「あそこに? さっすがリンネちゃん! そんなことまで知ってるなんて頼りになる!」
「はいはい……わたしはなんでも知ってるからね……」
盛り上がって抱きつきにかかるサクラを、面倒臭そうに押し返すリンネ。
感謝と信頼を表したかっただけなのだが、受け入れてもらえなかったサクラは乾いた笑い声をこぼしつつ、気を取り直して言った。
「さっそく行ってみるね!」
「待ちなさいっ! そんな今すぐ行ったっているわけないでしょ!?」
リンネが途端に焦りだし、サクラが戸惑うようにたずねる。
「えぇ? 相手がいるタイミングなんてわからないし、毎日でも行ったほうがよくない?」
「あ、いえ、そうだけど……向こうも都合とかあるだろうし……」
こんな要領の得ない様子のリンネは珍しく、サクラもつられて困惑してしまう。
何が言いたいのだろうと考え始めたところで、リンネがサッと話題を変えた。
「ところであなた、バイトでここに来たんじゃないの?」
「――あっ」
その瞬間、サクラは青ざめた。
数十分以上、リンネと立ち話をしているが、こうしているあいだもメイカを待たせている。
やめておけばいいのに震える手で時刻を確認し、わかっていたことを口にした。
「遅刻だぁぁ!!」
+ + +
「お待たせしてすみません!」
バン、と大きな音を立ててドアを開けたサクラは開口一番に謝罪の言葉を口にした。
車内にいたメイカは突然開けられたドアに驚き、ぜぇぜぇと息を切らした人影にビクッと震えていたが、それがサクラだということを認識して溜息をついた。
「謝らなくてもいいですわ、調べものをしていましたから。
それよりドアを急に開けられたほうがビックリしましたわ」
「あ、すみません……」
「そんなことより今日のテーマはカジュアルな下町ファッションですわよ!」
意気揚々とスマホの画面を見せつけてくるメイカ。
サクラが成果を出せていないあいだも、こうして囮捜査と称した着せ替えは続いている。
アルバイトが続くことは喜ばしいことだが、事件には区切りをつけないといけない。
サクラはグッと手に力を込めて話を切り出した。
「メイカさん、そのことなんですけど」
パラノイアの詳細は伏せつつ、事件解決の糸口を見つけたのでバイトを休みたいと伝えた。
突然の申し出にメイカは少し驚いていたが、やや含みを持たせる形で了承する。
「まぁ、いいですわよ……お出かけのほうは仕方ありません。
ですが調査のほうはわたくしも一緒というわけには参りませんの?」
当然の切り返しだったが、何も考えていなかったサクラは言葉を詰まらせた。
しかし、ノワールに会いに行くとなればメイカを連れて行くわけにはいかない。
ノワールやパラノイアに対峙する以上、サクラが魔法少女であることは隠せないだろう。
(言っちゃおうかな……でも変身を見られたわけでもないのに自分からバラすのは……)
そこはサクラの譲れない矜持である。
下手な嘘や誤魔化しは得意ではないし、サクラは正直に話すことにした。
「危ないかもしれないので、メイカさんを連れて行くわけにはいかないんです」
「危険ですの? それならなおのこと複数人で行ったほうがいいのではなくて?」
「いえっ、大丈夫です! 情報をくれる人に会うだけですから!」
「うん? それならわたくしも一緒でよろしいのでは……?」
「駄目です! 襲われるかもしれませんから!」
「襲われますの!? そんな危ない人のところに一人で行かせられませんわ!」
「ああ、いや、襲われるのは話がこじれたときだけかも……」
「やっぱり襲われますのね!?」
「えぇっと……」
付き合いの長いライバル魔法少女に会いに行く、ということをぼかして伝えたいだけなのにうまくいかない。
ぼかすには元々が濃すぎる話だからだろう。サクラは諦めてすっぱりと言い切った。
「本当に大丈夫ですから信じてください」
真剣な瞳で訴えかけるサクラを見て、メイカは静かなトーンで言った。
「……わたくしが一緒だと、何か不都合がありますのね?」
「あ、えっと、はい……」
核心をつかれて声が小さくなるサクラ。
「そんなしょぼくれなくてもわかりましたわ、だからシャキッとなさい」
サクラを励ますように優しく声をかけたメイカは、サクラが顔を上げたのを見ると姿勢を正した。
「信じさせたからには裏切るのはナシですわよ」
「はいっ! 今度こそ任せてくださいっ!」
元気一杯に宣言して駆け出すサクラの背を見送って、メイカは静かにドアを閉める。
「出してちょうだい」
「ご自宅でよろしかったでしょうか?」
「いいえ、予定通り商店街に向かって……息抜きしたい気分ですわ」
走り出す車内でメイカは左右につけたエクステを外した。
無雑作に投げられた縦ロールを横目に、メイカは流れる車窓のほうを向いていた。
「……何か隠してましたわねぇ」
呟いた言葉とは裏腹に、そんなことはどうでもいいという風な表情で、メイカはぼんやりとしていた。
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