3-5 ギャル銭身につかず
金髪のツインロールを外した轟メイカは、もはやお嬢さまではない――――かというと、そうでもなかった。
普段から上品を心がけ、身なりや所作に気を配り、お嬢さま然とした生活を送るメイカには隠しきれないオーラというものがある。
それでもお嬢さまの代名詞である縦ロールを外すと、一気にキャラクターとしてのお嬢さまらしさは薄れる。
外見こそ記号化されたお嬢さまではなくなるが、まるっきり別人になるわけではないのである。
「適当なところで停めてちょうだい」
メイカがいつもの口調で指示すると、運転手はコンビニの駐車場へと車を停めた。
運転手は静かに溜息を吐きながら、手元の腕時計を見て言った。
「また一時間後でございますか?」
「ええ、必ず戻りますからドライブでもしていなさい。
こんな狭い駐車場に高級車が長居しては迷惑ですわ」
実際、何人かはチラチラと視線を向けて通り過ぎている。
運転手は深い溜息をついて、後方のドアを開けた。
「お気をつけて」
「ありがとう」
どうせ止めても無駄だとばかりに、小言を挟まずに運転手はその場を離れた。
メイカは小さく微笑みながら車を見送ると、グッと伸びをして開放感を味わった。
(久しぶりに悪い癖が出ましたわね……)
普段はお嬢さまとして振舞っているメイカだが、自覚するアイデンティティは純粋なお嬢さまではない。
それゆえに我慢しきれなくなったときは『お忍び』で、お嬢さまではない轟メイカとして街へ繰り出すのである。
幼い頃より続く悪癖を黙認してくれる運転手は、メイカが生まれる前から轟家で働いている男性だ。
風貌は白髪の老紳士で、燕尾服さえ着ていれば執事そのものなのでメイカに禁止されていた。
「さて、どうしましょうか……」
どうせ、たったの一時間。
キリの良い時間設定は幼い頃のメイカが決めたもので、その頃はそれで充分だった。
やがて年を重ねるにつれて悪癖自体は減ったが、たまに発症すると今度はこの一時間がもどかしく思う。
しかし、メイカ自身が悪癖だと自覚している以上、延長を申し出ることなどできやしない。
(……ま、いつものようにぶらつきながら考えましょう)
お嬢さまでありながら、お嬢さまでありきれない。
その矛盾を抱えたメイカの精神構造は、自身を客観視しすぎるところから来ている。
『一流のお嬢さまになりますわ』
母により施されたやや偏ったお嬢さま教育の成果により、メイカは幼少よりお嬢さまらしい振る舞いが身についていた。
むしろ幼少のほうが疑うことを知らない分、純粋培養のお嬢さまであったと言える。
しかし、それは一般的な家庭で育った母が憧れた『お嬢さま』のイメージに沿ったお嬢さま。
要素を凝縮して詰め込まれたメイカは、あまりにお嬢さまらしく育ち過ぎた。
『わたくしはお嬢さまですわ』
これは轟家の令嬢が実際にお嬢さまと呼んで然るべき立場であったからこそ、起こってしまった事態でもある。
ほかのお嬢さまたちと顔を合わせていくうちに、メイカは簡単なことに気付いた。
本物は髪型が金髪縦ロールとは限らないし、独特のお嬢さま口調で喋らない。口元に手をあててオーッホッホと高笑いもしない。
『お嬢さまって、わたくしって一体……』
当然だった。
お嬢さまたちも等身大の人間で、人それぞれに個性というものがある。
周りはお嬢さまとして育てられたお嬢さまであって、『お嬢さま』として育てられて『お嬢さま』になったのはメイカだけだった。
『ごめんね……メイカ、ごめんね……』
そう考えるうちにお嬢さま学校には馴染めなくなり、塞ぎこむことが増えた。
家にいることが多くなると、周りの大人たちの声がよく聞こえるようになった。
『あの母親は、育て方を――えた』
「ウギャーッ!! ムリ、マジムリ! 絶対とれなーいっ!!」
(……何かしら)
思考が徐々に沈んでいったところで、耳障りな喧騒がメイカの耳に飛び込んでくる。
声のした方向に歩いていくと、店舗の一画に設けられたゲームセンターがあった。
「バグってんじゃないのぉー!?」
声の主は金と茶の混じった髪色をした制服姿の娘だった。
ガシャンガシャンとクレーンゲームの筺体を揺らしながら、はっきり迷惑と言えるほどの音量で騒ぎまくっている。
周りの人々は遠巻きに彼女を見つめるばかりで注意をしようという人間は一人もいない。
それも仕方がないのかもしれない。グループで騒いでいるのも注意しづらいが、一人であれだけエキサイトする人間は別の意味で関わりたくない。
いずれ店舗の責任者か誰かが来るだろう、とメイカも踵を返そうとしたとき、母親らしき女性と小さな女の子が瞳に映った。
女の子はクレーンゲームがやりたかったのか、母親の腕をギュッと握りながら騒ぐ彼女を見ていた。
(母親と二人で買い物かしら……)
事情などわかるはずもないが、メイカには困り顔の母親と動かない女の子がどうしても放ってはおけなかった。
「……はぁ」
メイカは誰も寄りつかない騒ぎの中心にズカズカと靴音を鳴らしながら近づき、勢いもそのままにぴしゃりと言い放った。
「あなた、外まで聞こえるほどやかましくてよ! 少し頭を冷やしたらいかが!?」
「へっ?」
アクリル板にへばりつくようにクレーンの景品を見つめていた彼女が振り向く。
女子高生、かどうかもわからない制服姿の彼女は、とぼけた顔でメイカを見返した。
「え、ウチ声出てた? てゆーか、アンタ誰?」
「ただの通りすがりですわ」
「えー、ハンパじゃないオーラ出てんだケド……ウチはパニィって言うんだ。よろー」
名乗らなかったメイカに対して、気軽なピースを振りまきながら自己紹介するパニィ。
あまり細かいことは気にしない性格のようだったが、声をかけた以上は迷惑行為を止めなければいけない。
メイカは軽いノリに流されないように、お嬢さま感マシマシでパニィを叱る。
「よろー、ではなくてよっ! あなた、このような児童の憩いの場を占拠して恥ずかしいとは思いませんのっ」
悪いことをしている自覚はあるらしく、パニィはしょんぼりと肩を落とした。
「だってぇ、わるくまシリーズのぬいがマジ欲しくてー……」
「ぬい?」
「アレ……」
パニィが指差したのは、顔半分が包帯で覆われている目つきの悪い不気味なクマのぬいぐるみだった。
メイカはあまり可愛いとは思わなかったが、パニィのつけている髪留めが同じキャラだということに気付き、本当に好きなのだということはわかった。
「ですが、人様に迷惑をかけてまで欲しがるものではありませんわ」
「ちゃんとお金は払ってるし、あんなのウチ以外に欲しがる子いないし!」
「そういうことでは……」
「敵幹部のマスコットっていう不人気キャラで、商品化もされてなくて、ここの景品でしか見かけないくらいだし!」
「なんてチグハグな商品展開ですの」
「しかもアレ、二十四話と二十五話しか登場しない包帯わるくまバージョン」
「ニッチすぎますわ! 子供ウケという言葉はどこへいきましたの!?」
声を荒げてツッコミしまくっていたメイカは気付いた。
(ハッ、わたくし彼女のノリに流されてますわ!?)
コホン、とわざとらしくせき払いをして、メイカはパニィという少女を観察する。
白シャツに、ライン入りのベスト。首元のボタンは留まっておらず、ネクタイも意味のないほど緩みきっている。
着崩した制服も目につくが、何より足元のルーズソックスが目を引く。
メイカが言うのもなんだが、一世代前のアニメやマンガから飛び出してきたようなコギャルファッションである。
(キャラの濃い子ね……)
本当にメイカが言えたことではないのだが、それがパニィの第一印象だった。
外見からの印象に頼るのも良くないが、パニィが素直に忠告を聞き入れるとは思えなかった。
メイカはスッとクレーンゲームに目をやり、目的のぬいぐるみの位置を確認した。
(……いけますわ)
こういうときは度胸が大事であると、メイカは語気を強めてたずねた。
「……アレが取れたらおとなしく帰りますわね?」
「え、そりゃ帰るケド」
「よろしいですわ」
メイカは百円玉を取り出し、ワンゲームで決めるために神経を研ぎ澄ませる。
ボタンを押し、クレーンを見極め、ここだというタイミングでボタンを再度押す。
「ええっ、ウソ! ガチィ!?」
パニィが驚嘆の声を上げる。
アームの先端がガシッとぬいぐるみを離さずに受け取り口へと運んでいく。
ぽすん、とぬいぐるみが落ちてくるまでわずか数十秒の出来事だった。
あまりの衝撃にあれだけ欲しがったぬいぐるみを取ることも忘れ、パニィはメイカの手を掴んだ。
「マジ感謝! コイン百連チャンしても取れなくて人生終わってたトコだった!」
「それは随分と散財しましたわね……あら?」
パニィとのやり取りを見ていた客たちが、一発勝負を鮮やかに決めたメイカに拍手を送り始めている。
メイカが気にしていた親子もいつの間にか観衆と化して、感激した表情でパチパチと手を叩いていた。
それを見てメイカもホッと胸をなでおろすが、このままでは結局騒ぎになってしまう。
「感謝はいいから、ほら! 約束ですわ、早く行きますわよ!」
「オッケー! じゃあ皆さん後は楽しんでネ! わっ、待ってー」
メイカはパニィの手を引きながら、小走りで店を後にする。
だいぶ離れたところまで来たところで立ち止まり、息を整えながら、ふと気付く。
(一緒に出てきてしまいましたわ……)
若干の気まずさを感じながら手を解き、メイカは颯爽と別れの挨拶を切り出した。
「ぬいぐるみ、よかったですわね。では、ごきげんよう」
「あ、ちょい待ち」
だが、パニィはメイカを逃がさなかった。
ガシッと手を握り直し、ぶんぶんと振り回す。
「ちょー助かりまくった! なんかお礼とかいる? お金払っとくべき?」
パニィはがさごそとポケットを漁りながら、ジャラジャラ小銭を取り出す。
用意はしたが使わずに済んだと思われる小銭たちが、こんもりと両手に乗っけて差し出される。
溢れて地面へと落ちる小銭がチャリンチャリンと音を立てる。メイカは慌てて声を張った。
「ちょっとどんだけ入ってますの!? ああ、こぼさないで拾いなさい!」
メイカはパニィが落とした小銭を拾い集めながら、精神的な疲労感に溜息を吐いた。
リフレッシュのつもりで散歩をしていたのに、なんだか損をした気分である。
と、そろそろ一時間が経とうとしていることに気付いた。
「これで全部ですわね……さて、わたくしはこれで失礼いたします」
「えぇーっ! せっかくだし、お茶とかしちゃわない? おごるし!」
「結構ですわ。謝礼も必要ありません」
メイカがきっぱりと断ると、パニィは唖然とした顔で言った。
「マジかっけー……ホントに何者なん?」
「通りすがりの、ただのお嬢さまですわ」
「すげー、マジお嬢すげー!!」
(お嬢呼びする方が増えましたわね……)
一期一会の相手にお嬢呼びを否定するほどメイカは傲慢ではないし、もう約束の時間も近かった。
メイカはこれまでのやり取りを払拭するように深々と一礼し、今度こそ別れを告げた。
「では、失礼いたしますわ」
「ありがとー、またねー!」
また、があるかは知らないが、メイカは余計な口は挟まずに笑顔で手を振った。
(……色んな方がいるものですわね)
あれだけ最先端と逆行しているギャルも珍しいと、メイカはついつい口元が緩む。
世の中は広い。お嬢さまとして生きるだけでなく、戦隊として悪と戦うことになるなんて、最初は属性過多だと思ったものだが、なんとかなっている。
やたら正義感に溢れていたり、やたら熱血だったりする人がいるのだから、お嬢さまだなんて特別でもないのかもしれない。
メイカは妙な納得をしながら、車の待つ駐車場へと戻った。
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