3-2 お仕事はボディガード(兼雑用)
バイト初日。
サクラは学校が終わった瞬間飛び出すようにメイカの通う私立校へ向かった。
正面玄関のすぐ横にある駐車場には、町並みに不釣り合いな重厚感、光沢感に溢れる黒塗りの高級車が停まっている。
「あの車に乗るのか……」と、やや気おされつつも、サクラは勇気を振り絞って声をかけた。
「メイカさーん!」
「ごきげんよう。時間通りですわね」
メイカが中から後部座席のドアを開けて、シートをぽんぽんと叩きながら乗車を促す。
サクラは恐る恐るといった足取りで乗り込み、慎重な手つきでドアを閉めた。
「シートがつやつやしてて温かい……ふぉぉ、運転手さんがいる!」
「当然ですわ、わたくしが運転すると思いましたの?」
「そ、そうですよね……あっ、座るときハンカチ敷いたほうが良かったですかね?」
「敷かなくていいし、座ってから聞いても遅いのではないかしら?」
慣れない環境でうろたえるサクラを面白そうに眺めながら、メイカは運転手に車を出すように指示した。
スムーズな発進と加速で車は出発し、メイカはフッとサクラに微笑みかける。
「こちらは車でしたのに、わざわざ出向いていただき感謝しますわ」
「そんな、わたしのほうが学校早く終わるんだから当たり前ですよ」
「ふふ、遅くなりそうなときは迎えに行きますわね」
「あ、いや、大丈夫です! 合わせます! 学校の中抜けは得意ですから!」
「あまり誇れないスキルですわね」
申し出はありがたいが、このような車で迎えに来られては騒ぎになってしまいそうだ。
実はサクラとメイカの下校時間にそれほど差はなかったので、こうしてサクラが来た理由にはそういう側面も大きい。
あははー、と乾いた笑い声を出しながら、今日のアルバイトについて訊ねた。
「ところで、メイカさんのボディガードって……どういうことですか?」
メイカの提示した業務内容は、メイカの雑用兼ボディガードだった。
業務時間中はメイカに付き従い、簡単な頼まれごとをしつつ、身辺警護をしてほしいとのことだ。
とはいえ、生活に必要なスケジュールの管理は既にプロが行っているし、警備も専門のセキュリティサービスがしっかりとついている。
どちらも二十四時間、徹底しているというわけではないが、それはサクラも同じこと。アルバイトは放課後から夜までの数時間で無理なく組まれている。
そのような短時間のバイト感覚でいいのか。一体、何から守ればいいのか。サクラの疑問は至極当然のものだった。
それはメイカも承知しているようだったが、説明しづらい事柄らしく、困り顔で話し始めた。
「いまいち信憑性というか、妥当性に疑問の残る話なのですけど……最近、巷で窃盗が横行しているそうですの」
「窃盗事件?」
「えぇ、ですが、まだ事件にはしていないそうですわ。
被害に遭ったうちの一人がお父さまの知人のご子息なのですけど、彼の財布がいつの間にか抜き取られていた、というの」
「スリですか!?」
話からして、そのご子息が裕福な家庭にあることは想像に難くない。
そんな彼の財布が盗難に遭ったとすれば、被害額はサクラの財布の何倍、何十倍、いや何百倍になるかもしれない。
お金の話に敏感な今のサクラにとって、一瞬で沸点に達しかねない話題だった。
しかし、対するメイカの語調は盛り上がりに欠けていた。
「うーん、まぁ……確かに被害には遭ったけど、現金は数万円しか入ってないし――」
「数万円しか!?」
「今はそこじゃないの。
彼は高校生でカード類は所持しておりませんし、身分証も学生証程度。
いっそ、財布をリペアして中古屋に流したほうが儲かるのではと思うほどですわ」
「えぇ、そんな手間のかかることします……?」
「しないでしょうね。彼以外にも複数の被害があるようで、その誰もが企業令嬢や資産家の令息といった裕福な家の子供なのですわ」
金持ちの財布だからといって、お金がたくさん入っているわけではない。
むしろ、厚みや重さを嫌って現金を持ち歩かない可能性もあるし、財布すら持たない人もいるだろう。
カードだって利用停止の申請はそこらの一般人よりしっかりやるだろうし、不自然な決済もバレやすい。
「手間やリスクはあるのに実入りは少ないという、なんとも割に合わない話でしょう」
「犯人もお金持ちの財布なら、お金がたくさん入ってると思ったんじゃないですか?」
「そんなおバカな犯人でしたら捕まってますわ!」
サクラの短絡的な意見にストレートな正論を返すメイカ。
話が少しずつ見えてきたサクラは、知りたい情報へと話題の舵を切った。
「どこの誰かもわかってないんですか?」
「それどころか、犯行の手口すら不明ですわ。
わたくしの知る限りでは、二週間のうちに七件。
被害者本人や周囲の人間に気付かれることなく、財布だけを抜き去っているらしいですわ」
近いうちで七件ともなると、紛失や置き忘れといった可能性は低いだろう。
ターゲットがお金持ちに限定されているという点も、人為的な犯行を匂わせている。
とりあえず、サクラは自身に求められていることを理解した。
「つまり、わたしはスリの犯人を捕まえればいいんですねっ!」
張り切るサクラに苦笑いを浮かべつつも、メイカは真剣な表情で頷いた。
「あくまでわたくしのボディガードであって、捕まえるのは警察の仕事……と言いたいところですが、できるならそうしてほしいところですわね。
被害届が出されていないとなると、警戒を強化する以上の対策はとれないでしょうから」
「どうして被害者の方たちは事件にしていないんでしょう?」
メイカは軽くうつむきながら顔を曇らせた。
「不気味だから、だと思いますわ」
「不気味……?」
「考えてごらんなさい。気付かないうちに物が盗まれているなんて、想像以上の恐怖ですわ。
実害が少ないとはいえ、また被害に遭ったら? 次はもっと大事なものに手を出されたら?
盗難以上のことをされるかもしれない。それも被害に遭う寸前まで、気付けないかもしれない」
お金持ちだからこそ防犯意識が高い、リスク管理を徹底している。
裏を返せば、それらをすり抜けて行われた犯罪に対して、人一倍の精神的ダメージを味わうことになるのかもしれない。
「被害は続いておりますが、二度狙われたという事例はありませんわ。
財布だけで事が済むのなら、ことさら騒ぎ立てたくはないという心情も理解できますわね」
「……メイカさんはどうして、わたしにこの話を?」
不意に疑問が湧いたサクラは何気なく質問した。
盗難が発生していることはわかったが、メイカが解決に前向きである理由がわからない。
サクラのようなナチュラルヒーローな性分でもなければ、関わりたくないと思うのが普通だ。
「わたくしに危険があるということは、周囲や家族にも危険が及ぶ可能性がありますわ。
それに対処できる力があるのですから、最大限の努力をすることは当然でしょう?」
「それは……立派な考えだと思います」
「そうでもなくてよ。わたくしは自分のことしか考えてませんわ」
淀みなく語られたメイカの言葉に嘘があるようには思えなかったが、サクラはその澄ました態度に釈然としないものを感じた。
その気持ちがあまりに顔に出すぎていたのだろう。メイカは眉間にしわを寄せて、口をすぼませながら言った。
「それに……お母さまがとても心配してくださるの。あまり心労をかけたくないわ」
お嬢さまに憧れるあまり、娘をお嬢さまキャラに育て上げてしまったメイカの母のことをサクラは知っている。
麗しのマダムといった格好をしているインパクトの塊のような人だが、実は身体があまり強くないらしい。
メイカがお嬢さまを貫こうとするのも母親思いであるからこそで、そんな母親のためにも早く事件を解決したいのだろう。
「あなたが母にプレゼントがしたいという気持ちも共感できますし、これならお互いに利益があるでしょう?」
利益などという言い方はしているが、その実は家族思いで芯のしっかりした人だとサクラは思った。
俄然、やる気が湧いてきたサクラはグッと身を乗り出して宣言した。
「犯人、必ず捕まえてみせますね!」
「ふふ、わたくしも頼りにしてますわ」
事情がわかったサクラは、まだ見ぬ犯人を絶対に許さないと気合いを入れた。
しかし、誰にも気付かれずにスリを行う技術がありながら、いまいちそれを活かしきれていないセンスと計画性のなさが気にかかる。
高い能力があるのに使いこなせていないポンコツ感は、サクラにとってイヤーな親しみを感じる相手を想起させた。
(まさかね……あいつらだったら、わたしを狙うはずだし)
いつも戦っている悪の組織のポンコツなほうを思い出したサクラだったが、すぐに頭を切り替える。
車はいつの間にか中心街を走っており、メイカのマンションとは方向が違った。
「ところで、これはどこに向かってるんです?」
「財布を持って町に出なければ、犯人とも会えないでしょう?」
「え、囮になるんですか!?」
「もちろん、そのためのボディガード兼雑用ですわ」
思いのほか犯人確保に体当たりな姿勢に驚きつつも、サクラはたびたび耳に残る『雑用』に引っかかった。
「……そういえば、雑用って何をするんですか?」
「難しいことではありませんわ。服をたくさん買うから、着替えを手伝っていただきたいの」
「あぁ、なるほど……」
両手に大量の荷物を持たされたり、似合うかどうかの質問を延々とされ続ける長いショッピングのお付き合い。
よくあるお嬢さまのお付きが経験するアレを、サクラもやることになるのだろう。
「はは、メイカさんなら何を着ても似合いそうですけど」
「何を言っているの? あなたの服を買うんですのよ?」
「――え」
突然のメイカの言葉に理解が追いつかず、思考にブレーキがかかるサクラ。
それと同時に車も停まり、普段は絶対に行かないであろうブランドショップの前に降ろされた。
ウキウキしているメイカに腕を引っ張られながら入店するサクラ。店員から「いらっしゃいませ」と声をかけられてハッとする。
「…………わたしのぉ!?」
+ + +
一方、ノワールは陰鬱な空気漂うパラノイアのアジトを訪れていた。
定例会のほかには来ることも滅多になくなった場所だが、実はこの薄暗くジトっとした空気は嫌いではなかった。
アジトではアンダス婦人が新しいヤングレーの研究をしており、変わらない光景にノワールは小さく笑みを零した。
「こんにちは。ご機嫌いかが?」
「ノワール? あなたがこんな時間に来るだなんて、珍しいざますね」
研究――ヤングレーの頭に刺した金属棒へ電気を流す手を止めて、アンダス婦人が振り返る。
ただ痺れさせているだけにしか見えない行為にどんな意味があるのか。
ノワールは考えるだけ無駄だと切り捨て、さっさと用件にとりかかる。
「ちょっと今月の出撃を減らさないかと相談に来たのよ」
「どうしてざます?」
「やることがあってね。まとまった時間を作りたいってわけ」
「ふん、どうしてあなたの都合に合わせてやる必要があるざますか」
「いいけど、ハートにやられたって助けてあげないわよ?」
「ぐぬぬ……まぁ、いいざます! どうせ今月は研究で忙しいざます!」
最も出撃回数が多いアンダス婦人は、最もノワールに助けられている。
それを理解しているからこそ、悔しさを抑えてノワールの要望を承諾した。
「ありがとう。あとでダウトにも話をしておいてね」
「言われなくてもしておくざます」
今はまだ、太陽が空にある時間帯だった。
ダウトはアジトの奥深くで眠っており、起きてはこない。
ノワールはそれを承知で、このタイミングで話をしたのである。
(深く追及されかねないし、余計なリスクは避けて正解だわ)
ノワールはダウトのほかにもう一人、姿が見えないことに気付いた。
「ところでパニィはいないの? あの子にも話しておいてほしいんだけど」
「あぁ、パニィなら気にすることないざます……最近は毎日のように外出を繰り返しては、遊びほうけて帰ってくるのがお決まりざます……ああ、情けないざます!」
「そ、そう……それなら出撃どころじゃないわね」
アンダス婦人は言うことを聞かない娘を嘆くかのように肩を落とし、再び研究作業に戻った。
すんなりと用事が済んだノワールは、挨拶もそこそこにアジトを後にした。
(さて、これであの子も少しは暇ができるでしょう)
多少、自己満足的な優越感に浸りながらも、ノワールはどことない違和感と胸のざわつきを感じた。
パニィが気ままに過ごして生きてるなんていつものことだが、毎日遊んでいては尽きるものも尽きてしまうはずだ。
姿形が高校生ギャルとはいえパラノイアの怪人なわけだから、まともな遊び方をしていないのかもしれないが――
(あの子、普段は動かないくせに、動くとロクでもないことしかしないのよねぇ……)
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