八百細様 第9話


 柵の手前は斜面がなだらかで、少し開けた空間になっていた。


「それじゃあ、始めますよ」


「おう、とっとと確認しようぜ」


 鬼目はリモコンを操作して持ち込んだドローンを飛ばす。ドローンに取り付けられたカメラの出力は、如月が預かった鬼目の携帯端末へと出力される。


「へぇ、凄い」


 その映像を眺めながら、弥生は関心の声をあげる。映像は低空飛行で木々の隙間を縫うように、参道に沿ってゆっくりと山頂へ向かうものだった。


「今のところ変わった様子は無いな」


「ええ。やはり山頂付近に八百細様は居るのでしょうか」


「文献では山頂に贄を捧げろって書いてあったし、何かあるとすれば山頂だろうな」


「それでは、高度を上げて一気に山頂まで行ってみますね」


 鬼目がそう言うと、ドローンは木枝の隙間を縫って器用に高度を上げ、木々の上を飛んで山頂の映像を映し出す。


「……なにこれ?」


 弥生は疑問の声を上げる。


 山頂付近は草木が一切生えていない禿げあがった頭部のような一帯だった。しかし、よく見ると茶色い地面が微かに動いているようにも見える。


「ちょっと近づいてみますよ」


 ドローンのカメラはその一帯に近づく。すると、動く地表の正体が顕わになる。


「これは……」


「うえ、気持ちわる」


 そこには地面一帯を覆い尽くす大量の蜘蛛が蠢いていた。


「そういう事か」


「如月先生、なんですか?」


「いや、蜘蛛は昔、細蟹と呼ばれていた時期があるんだ。八百細様の八百は沢山という意味だが、細は蜘蛛の事を意味している。つまり、八百細様とは沢山の蜘蛛という事だったんだな」


「……これって怪異なんですか?」


「いや、おそらく足細山で独自の進化を遂げた新種だろうな。糸で巣を作っていない所をみると、地蜘蛛の仲間かもしれない。どちらにせよ、我々の出る幕ではない。残念だったな、鬼目」


 考えてみれば、鬼目が持っていた八百細様の容姿を描いた絵は、太陽でも何でもなかったのだ。円形の胴体に八本の脚。あれは一匹の蜘蛛を現した絵だったのだ。


 八百細様が暴食の神というのも、蜘蛛は肉食なのだから当然だろう。地表一帯を埋め尽くす量の蜘蛛なのだから、その食す獲物の量も図りしてれない。贄の儀式とは、こいつらに餌をやって麓に降りてこないようにする先人の知恵と考えれば理にかなっている。豊穣の神という側面は、ただ単に生態系の循環を示しているのだろう。


「うむむ。こうなると、流石に空亡計画に組み込むのは無理がありますね。残念ですが仕方ありません。八百細様は諦めて……っとこれは?」


 鬼目は一度言葉を切って、自身の端末の映像を凝視する。


「……逃げた方がいいかもしれませんね」


「それって、どういう……!」


 映像の中の蜘蛛たちが妙な動きを始める。山頂からある方向に向け、一斉に大移動を始めていたのだ。


「……こいつら、山に入った我々を餌と認識して、こっちに移動してきているのか?」


 弥生とミズキはその言葉を聞いて、一気に血の気が引いた様子だった


「……早く車に戻りましょう」


 面々は走って、斜面を転げ落ちるように下山する。何とか車が見えた当りで、背後からサワサワと風が木々を揺らすような音が聞こえ始めた。


「急げ!」


 一同はワゴン車に飛び乗る。鬼目が珍しく慌てた様子でエンジンを入れ、一気にアクセルを踏み込んだ瞬間、山の斜面から蜘蛛の大群が土砂のように流れ出た。


 弥生が悲鳴を上げる。鬼目が運転するワゴン車は、それらの蜘蛛の大群を踏み潰しながら走る。


「うぐぐ、蜘蛛の体液がタイヤに絡んで、ハンドルが持ってかれそうになりますね」


「お前、ここで事故でも起こしてみろ。この蜘蛛の大群に噛みつかれておしまいだぞ」


「分かってますよ、そんな事」


 鬼目の必死の運転で、なんとか蜘蛛の大群から距離を取る。


「っと」


 しかし、足細山の橋を渡り切った辺りのカーブでタイヤが滑り、ワゴン車は半回転して側面を勢いよく路側帯にぶつけてしまう。


「だ、大丈夫か!?」


 如月は後部座席を見ると、窓にひびが入った程度で弥生もミズキも大した怪我をしているようには見えなかった。


「……今のでエンジンが止まりましたね。これはまずい気がします」


「おいおい!」


 鬼目は必死に車のキーを回す。しかし、エンジンは聞いた事も無い唸りを上げるだけで、動く気配がない。


 更に間の悪い事に、反対車線からは足細山へ向けバスが走って行った。


「……これは本格的にまずい事になりそうだな」


「ちょっとどうするの!?」


 バスは橋の手前で異常を察したのか停車したのがバックミラーで見てた。橋の対岸には、大量の蜘蛛の群れ。これはけが人どころの騒ぎでは収まらないかもしれない。そう如月が覚悟した時、バスから大量の高校生がおりてきた。


「あれは!?」


 間違いない。如月たちが八通芽町に来る途中に遭遇した、不気味な高校生たちだ。彼らは橋を封鎖するように一直線に並ぶと、対岸に向けて歩き出す。


 するとどういった訳か、蜘蛛の群れが高校生の列から逃げるように散り散りに消えてゆく。それこそ正に、蜘蛛の子を散らすように。


 蜘蛛の群れが影も形も無くなった時、高校生たちは再びバスに乗り込む。そして、バスは何事も無かったかのように再び走り出し、対岸に消えていった。


「……何が起こった?」


「……分かりません。けれども、助かったという認識で問題ないでしょう」


 如月はハッとなり、ポケットをまさぐる。ベニコという子供の幽霊から貰ったボタンは、八百細様のお守りだという事を思い出したのだ。しかもベニコはバスに乗っていた人から貰ったと言っていた。


「あれ?」


「どうしましたか?」


「いや、何でもない」


 確かにポケットに入れていたはずの、あのほつれた糸が付いたボタンは、いつの間にか消えていた。足細山から逃げる時に落としただけなのか、それともあのバスを呼び寄せた事で効力を失い、消えてしまったのかは分からない。


 しかし、そんな事よりも今は命が助かった事だけで、如月は満足していた。

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