八百細様 第7話
宿に戻り、携帯端末に保存した八百細様についての文献を読んでいると、弥生が如月の部屋にやってきた。
「何読んでるの?」
温泉から上がったばかりなのか、生乾きの髪に浴衣姿の弥生は、どこか艶やか映る。
「八百細様についての文献。ちょっと公民館に忍び込んで、中身をスキャンさせてもらった」
如月は公民館に忍び込むにあたり、ベニコという少女の協力があったことを伏せておいた。常識人の弥生が、泥棒まがいの行為に子供を巻き込んだと知れば、どんな辛辣な言葉が飛んで来るか予想できたからだ。
「ふーん。それで、内容はどうなのさ」
弥生は興味があるのか無いのか分からない様子で、湯呑にお茶を淹れ始める。
この文献によって八百細様について分かった事はいくつかあった。
まず、この八通芽町の人々から見た八百細様は、神としてあがめる対象というよりは、迷惑な隣人といったスタンスを取っている事だった。
それは細田に八百細様の話題を振った時にも感じたものだ。あの時の細田の様子は、村の崇める神の怒りを恐れるというよりは、厄介なヤツだから刺激しないで欲しいといった感じだった。
次に八百細様の正体についてもおぼろげながら見えてきた。八百細様とは特定の一個体を示すものでは無く、細と呼ばれる存在が寄り集まった姿の事を指していた。
考えてみれば道理である。八百という言葉は数え切れぬほど沢山という意味の言葉だ。ならば、沢山の細が集まった存在を八百細と呼ぶのは自然なのかもしれない。
この情報は鬼目にとっては痛いものだろう。彼は空亡という既存の創作怪異と八百細様を同一視させるために如月をここへ遣ったのだ。今から空亡を細という存在の集合体だと世間に認めさせるのは、時間も労力も要する仕事になる。
そして最後に、八通芽町で行われている儀式についてだ。
これは細田が語っていた生贄の儀式と大差ない内容だった。秋に山で捕らえた獣を足細山の山頂に運び、そこに置いて帰ってくれば良い。これをすることで、八百細様の怒りをかうことは無くなり、翌年の豊穣が約束されるというものだった。
ここで気になったのは、八百細様が豊穣の神としての一面を持っている事だ。今まで、八百細様は山を訪れた者を喰らう悪鬼のような印象ばかり先行していたが、ここに来て取って付けたかのような恩恵が示されたのだ。
日本の神には荒魂と和魂の考え方がある。超常的な存在を受け入れやすくするためのテクニックではあるが、どうにも八百細様は荒魂だけで成立している存在だと考えていた為、この事実は意外なものとして映る。細田の話では、八通芽町は広大な畑を抱える農村のようだし、確かに豊穣の神の側面は決して不自然なものでは無い。
如月は古書から得られた情報を、かいつまんで弥生に伝えた。
「ふーん。それじゃあ、もう依頼は達成だね」
「……どうしてそうなる?」
「だって、空亡の元ネタを探すのが今回の依頼の目的なんでしょ。それだけ八百細様の情報が集まったなら十分じゃない? 八百細様は空亡にはなりませんって結論でさ」
「確かに、現状の情報では八百細様と空亡を同一視させることは難しいだろうな。小さな存在の集合体、豊穣の神としての側面。空亡計画に用いるにはあまりにも不利な状況だ。しかし、まだ足細山の探索もしていないのに依頼を完了と断じる事はできないな」
「まあ、そうなりますよね」
「とりあえず、途中報告を鬼目にしておかなければな」
「あー、如月先生。ここ……」
弥生が何かを言いかけたが、その時には如月は鬼目宛に電話をかけていた。しかし、無機質な自動音声による定型的なアナウンスが流れるばかりだった。
「……」
「ここ、電波通じてないんです」
「それじゃあ、電話を借りて……」
「さっき女将さんに聞いたんですけど、電話線も引いていないらしいです」
「じゃあ、どうやって外と連絡を取っているんだ?」
「……伝書鳩?」
流石に伝書鳩は無いだろう。一体いつの時代だ。
「……いやちょっと待て、それはおかしいぞ。私はインターネットでこの宿を予約したんだぞ」
「あ、それはなんか代行会社みたいな所が代わりに予約を受け付けてるみたいですよ。それを伝書鳩で送ってもらって……」
きっとこの集落では、前を通る立派な道路が唯一の外界との窓口なのだろう。確か足細山の開発計画に伴って整備された道路だったと言っていたはずだ。そうなると、開発計画前のこの集落はどのような暮らしをしていたのだろうか。
「……いや、今はそんな事はどうでもいい。それよりも、鬼目とコンタクトを取る方法を考えなければ。郵送するとなれば、一体何日かかる?」
「え、知らないけどさ。むしろこれってチャンスじゃない?」
「チャンス?」
「ええ。だって、私たちの報酬って時間換算じゃない。そして私たちは連絡の取れない状況にあるわ。つまり、鬼目さんがこっちに出向いて来るのを待っているだけで……」
「……確かにそうだな」
弥生と如月は顔を見合わせて、企むようにほくそ笑んだ。
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