八百細様 第8話
如月は一人で足細山へ向かうつもりで外へと出た。もっとも気になっていたのは、公民館に保存されているという八百細様についての文献だが、そちらは村長でなければ鍵を開けることが出来ず、その村長は農作業に出ている為、帰りは日が暮れてからになるという。
ならば、足細山の中腹に作られているという柵を下見に行こうと考えていた。
宿の外に出ると、敷地の隅で一人の子供が縄跳びで遊んでいるのが目に留まる。その子供も如月の存在に気づいたらしく、目が合った途端、縄跳びを中断して小走りに駆け寄って来た。
「おじさん、うちのお客さん?」
「……君はここの子供なのかい?」
「うん」
年は小学生の三年生か四年生ぐらいだろうか。おかっぱで小柄。服は洋服だが、どこか微風寺の座敷童と似たような雰囲気の少女だった。
「さっき、中で話してるの聞いちゃったけど、おじさんは公民館に行きたいの?」
「ん、ああ、まあ」
「鍵、開けてあげよっか?」
「……君は鍵を持っているのか?」
少女は首を横に振る。
「物置の床に穴が開いているところがあるの。床下からソコに入って、中から鍵開けられるよ。たまに皆でそうやって中入って遊んでたの」
なるほど。子供ならではの抜け道があるという事か。しかし、どうせ夜になって村長に頼めばよい。わざわざ子供を使って、気が引けるような方法に頼る必要は無いのだ。
「ありがとう。でも、夜になったら村長さんに頼んでみるつもりだから」
如月は少女の好意を無下にしないよう、やんわりと断りを入れる。
「ふーん。でも村長さん多分開けてくれないよ。あの人、外から来た人の事嫌いだから」
少女が食い下がるとは思っていなかった如月は、思わず面食らう。しかし、彼女の言葉は一理あるようにも思えた。
外界から隔絶された陸の孤島で、八百細様という怪しげな土着信仰が根付いた村の長が、外からやって来た素性のしれない男に村の秘密をすんなり明け渡すのだろうか。
もちろん、交渉事においては如月は自身があった。しかし、百パーセント懐柔できるかというと、その確証はない。
ならば、この娘を頼りにした方が確実ではないだろうか。
「……君、名前は?」
「ベニコ……細田ベニコ」
「ベニコちゃんだね。それじゃあ、公民館の場所まで案内してくれる?」
「こっち……」
如月はベニコと名乗った少女について、集落の階段を昇り始める。
「ベニコちゃんは皆で公民館で遊んでるって言ってたけど、君のほかにもこの集落には子供がいるの?」
「うん。ケンちゃんとかジュンちゃんとか、あとは花子お姉ちゃん」
「お姉ちゃんがいるの?」
「うん」
細田という苗字から、このベニコと名乗った子供は宿の娘で間違いないだろう。ということは、その姉の花子という人物も細田の娘なのだろう。
「じゃあ、お姉ちゃんも公民館の抜け道について知ってるんだね?」
「うーん……覚えているのかよく分からない。もう一緒に遊ばないから」
「……もう遊ばないの?」
「死んじゃったから……」
少し不味い事を聞いた気がして、如月は口をつぐむ。このベニコという娘が、死をどのように理解しているかは分からないが、その理解をむやみに搔き乱す事は危険だった。
子供の純粋さは、怪異を生み出しやすい。卯月家の娘が生み出したような妖精が顕著な例だが、他にも子供が身近な人間の死を受け入れず、その存在が生きていると仮定したごっこ遊びをすることで幽霊が具現化する可能性は跳ね上がる。
しかし、このベニコという娘に限っては心配いらないだろう。言葉足らずではあるが、頭はしっかりしている様子だし、花子お姉ちゃんの死を現実のものとして受け入れている様子も感じられる。如月が余計な事を吹き込まなければ、このまま現実の世界のままで過ごしていけるだろう。
そんな事を考えている内に、如月は目的地へと到着する。
「ここ」
細田の宿の様に、開けた土地に建てられた建物だった。横に長くトタン張りの、お世辞にも立派な建物とは言い難い風貌だ。
「入り口で待ってて。鍵開けてくるから」
「ああ……よろしく」
ベニコはスタスタと駆け出して、公民館の裏手に回る。しばらくして建物の中から足音が聞こえたかと思うと、がちゃりと入り口の錠が開く音がして、扉が開く。
「ほら、凄いでしょ」
開いた扉の陰から顔を覗かせたベニコは、満面の笑みで誇る様に胸を張る。
「……ありがとう」
如月は礼を言いつつ中に入り、下駄箱で靴を縫で上がり込む。公民館の中はだだっ広い武道場のような部屋で、奥には二つの小さな扉がある。片方は開け放たれており、中には掃除用具や置物、その他よく分からない雑多なものが垣間見える。おそらく、あそこがベニコが侵入した物置なのだろう。
「それで、八百細様についての本はどこにあるのかな?」
「あっち」
ベニコは開け放たれていないもう一つの扉を指さす。如月は足早にその扉を開くと、中は手狭な給湯室だった。
そして、給湯室の一画には小型の本棚が備え付けられていた。どれも表紙の無い本で、蔵書数は精々二十冊程度だろうか。
「八百細様についての本はこれだよ」
ベニコは古臭い一冊の薄い本をそこから抜き出し、如月へ手渡す。紙は黄ばんでおり、古書特有の独特な香りが鼻孔を刺す。
ぱらりとめくってみると、如月にも読める日本語で書かれていた。古い書物だと、今とは随分違う日本語が使われている事があり、その点が気掛かりだったが、どうやら杞憂らしい。
ページ数はおよそ百ページ前後。これならばと、如月は端末を取り出しアプリケーションを起動する。カメラでかざしたページの文字を自動で検出し、テキスト化してくれるアプリだ。
「ベニコちゃん、悪いんだけど、ちょっとだけ待っててくれない?」
「うん、いいよー」
ベニコは元気よく返事をする。この少女はなぜ手助けしてくれるのか不思議に思いつつ、如月は古書に書かれた文章をスキャンしてゆく。
文明の利器とは素晴らしいもので、百ページ足らずの本であれば、ものの五分で端末に収めることができた。
「待たせたね。それじゃあ戻ろうか」
「うん」
如月は古書を元の場所に戻し、そのまま下駄箱へと引き返す。靴を履き公民館の表に出ると、ベニコが鍵を閉める。公民館の中でばたばたと子供が走る足音が聞こえたかと思うと、やがて裏手からベニコが姿を現す。
「ありがとうね。おじさんは宿に戻ろうと思うけど、ベニコちゃんはどうする?」
「ジュンちゃんと遊んで来る!」
ベニコはそう言うと、如月を置いて集落の階段を駆けて行った。
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