八百細様 第7話
部屋に備え付けられたお茶を淹れ、僅かな休息を取った如月は、一階に降りて受付に置かれた呼びベルを押した。
「はいはい、何ですか?」
すぐさま裏手から細田が姿を現す。怪しげな事ばかり起こるこの旅路において、細田の存在は現実感の伴ったものであるがゆえに、逆に異色を放っていた。
「変な事を聞くようですが、この集落には細田さん以外の人の姿を見かけなかったのですが、皆さんどちらに行かれているんですか?」
如月は本題の前に、自分が気になっている事から質問した。これには、こちらの目的を相手に悟らせず、相手がこちらの質問に答える意思があるかの確認の意図がある。如月の目的が八百細様の情報収集である事は、細田がこちらに協力的な態度である事が確認できてから明かすつもりだ。
「ああ、皆さんなら昼は畑仕事をしておりますよ。ここに来る途中、田んぼや畑がたくさん有ったでしょう? 冬の間に土起こしをすることで、寒さに弱い害虫を霜で殺してしまうんです。後は数人ですが狩猟に出ている男どももおりますよ」
ちょうどその時、遠くから響く様な銃声が聞こえる。
「……いわゆるジビエって奴ですか?」
「外界の人はそう言いますよね。八通芽町ではほとんど自給自足で暮らしていますから、別段珍しいものでは無いんですけどね。ああでも、山では変な所に入らない方が良いですよ。参道を歩く分には安全ですけど、少し道を外れると、獣と勘違いされて撃たれるかもしれませんから」
「そうなんですね……気を付けます」
如月はここまでの会話で、細田がこちらに対して敵意が無く、こちらの質問には素直に答えてくれる相手だと判断していた。
いっそこのまま八百細様の話を聞いてみようか。そう考えていると、細田の方から本題を切り出される。
「失礼ですが、お二人はどういったご用件で、うちに宿泊されるんですか?」
「……ちょっと調べもので」
「もしかしてですけど、足細山の事ですか?」
「ええ、まあ」
如月が言葉を濁すと、細田はどこか艶やかに苦笑して見せる。
「ここに宿泊されるお客様は、殆ど足細山が目当てですよ。ここに来る途中の整備された道路を見たでしょう? あれ、元々は足細山を観光地にしてペンションとか建てようって計画の名残なんです。結局八百細様に阻まれて、計画は頓挫したみたいですけど。その計画が進行していた時に工事業者や視察団の人達が、この八通芽町に泊めてくれって大挙して押し寄せたんです。それで、うちが宿を提供する事を引き受けたんですけど……」
「計画が頓挫して、客入りが無くなったって所ですか?」
「ええ、その通りです。せっかく裏山から源泉を引いてきたっていうのに、これじゃあ商売あがったりですよ」
「その……八百細様についてご存じの事があれば教えてください」
「ああ、八百細様ですね。私は見た事がありませんけど、あれには困ったものですよ。毎年、贄を捧げる事で大人しくしてもらってますけど、昔は随分と村人が被害に遭ったって聞きました」
「生贄を捧げているんですか?」
「ええ。あ、人間じゃないですよ。狩猟してきた鹿や猪です。秋に足細山の山頂に、十頭ぐらいの獣を運ぶんですよ。春になったら、その骨を回収して、裏山の塚に埋葬するんです。これで、八百細様が山から下りて来る事がありません」
「……足細山は禁足地と伺っていたのですが」
「普段は足を踏み入れてはいけませんけど、秋と春は八百細様が大人しいので、入ってもいいんですよ。ですが、夏と冬はいけません。特に冬の山頂は、生贄の元に八百細様が居るので一番危険です。むやみに近づけば、贄と勘違いされてどこまでも追いかけるでしょう。まあ、冬の足細山には入りたくても入れませんけど……」
「それは、結界でも貼ってあるんですか?」
「結界? いいえ、足細山の中腹には、ぐるっと山を一周するように格子が取り付けられているんです。八百細様はそんなもの通り抜けることが出来ますけど、人間や獣が山頂に近づいて、被害が広がるのを押さえる為ですね」
「なるほど……参考になりました」
如月が礼を言うと、細田は怪訝そうな顔になる。
「失礼ですが、どうして八百細様について調べてらっしゃるんですか?」
「実はわたくし、大学で民俗学の研究をしているものでして。八通芽町と足細山に変わった風習があると伺ったので、調査に出向いた次第でございます。いわゆるフィールドワークというやつです」
「はぁ、そういう事ですか」
細田はあまりピンときていない様子だが一応は納得したらしく、如月の言葉に頷いて見せた。
「それでしたら、八百細様についてまとめた記録が、公民館に置いてあったと思います。普段は鍵が掛かっていますが、村長さんに言えば開けてくれると思います」
「おお、それは助かります。その村長さんの家を教えて頂けませんか?」
「ここの段から階段で二ブロック下ったところの、左手にある民家です。表札に組合長の記載があるので、すぐに分かると思います。ただ、昼間は家族総出で畑仕事をしているはずなので、伺うなら日が暮れてからの方がいいと思います」
「そうですか……他に公民館の鍵をお持ちの方はいないんですか?」
「一応、村長だけですね。まあ、もしも公民館に鍵が掛かっていなかったら、勝手に入っても咎める人は居ないと思いますけど。金目のものがある訳でもありませんし」
田舎も最近はセキュリティが厳しくなりつつあると聞いていたが、八通芽町はどうやら例外らしい。その幸運に心の中で感謝していると、細田は厳しい顔で釘をさす。
「でも、冬の足細山には絶対に入っちゃいけませんよ。遠目に見るだけにしてください。もしも格子から先に足を踏み入れたら、アナタはもちろん、八通芽町も危険に晒される事になりますから」
「ええ、もちろんです。ご忠告ありがとうございます」
如月は礼を言って、そのままスライド式の扉を開き、宿から外へと出ていった。
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