八百細様 第6話


 高校生の集団が謎の場所で降りてから、バスの車内では特に違和感を感じる事は起こらなかった。途中で乗って来た老人が物珍しそうな様子で如月と弥生をまじまじと見ていたぐらいである。


 しかし、問題が無いのはバス内部の話であり、一枚窓ガラスを挟んだ外の世界は、実に怪しげな世界だった。


 異様に案山子が設置された田んぼ。参道を進む黒い影法師の列。聞いた事も無い獣の声。道路で茫然と立ちすくむ女性。それらのうち幾つかは現実のものなのかもしれない。しかし、これらの中に怪異はきっと混じっている。そう如月の研ぎ澄まされた感が告げていた。


 しかし、それらにも興味を持たぬよう心を閉ざす事で、危険を回避し続ける。


(……気つの疲れる場所だ)


 神無川は怪異のホットスポットだ。普段なら決して近寄るような真似はしない。しかし、仕事となれば仕方がない。慣れない事に神経を使い、まだ現地に到着していないというのに、既に若干の疲れを感じ始めていた。こんな事ならば、神無川の怪異に精通している早月和尚に相談してから来るべきであった。あの老人ならば、神無川を移動する上での注意点を熟知しているはずである。


 如月の後悔をよそに、何とか無関心を貫いているうちにバスは目的地へと辿り着く。


 八通芽町は斜面に点々と集落が寄り集まったような、奇妙な町だった。町に面する道路は舗装されているが、そこから先は段差がバラバラな階段を昇って行かなければならない。バス停で降車した瞬間、弥生は魂が抜け落ちるのではないかと心配になるぐらい深いため息をついた。


「如月せんせ~い。ここ登るんですか……?」


「ああ、最後の踏ん張りどころだ」


「……キャリーケース、持ってください」


「嫌だ」


「え~、ちょっとぐらいお願いしますよー」


 弥生とそんな会話をしつつ、如月はバスが去った先の道路を見ていた。鬱蒼とした樹木に挟まれたアスファルトの道路。その先の橋を渡った更に先に、今回の目的地である足細山はある。


「……如月先生、何見てるんです?」


「ん? いや、何でもない。それよりも、早く行くぞ」


「え~、これ持ってくださいよ~」


「ほら、頑張れ。階段の先では温泉が待っているぞ」


 如月は適当に弥生を励ましつつ、階段を昇っていく。左右には民家がひしめき合い、窓が開け放たれていたり、外に設置された水道が凍らないよう水が出しっぱなしになっていたりと、そこかしこから人間の生活の香りを感じる。


 しかし、不思議な事に肝心の人間の姿は無かった。


「……なんか、不自然ですよね」


「ああ、人の姿が無いな」


「えっ、怖い事言わないでください。さっきから何人かとすれ違ってるじゃないですか」


「……」


「じょ、冗談ですよ。そんな怖い顔しないでください。でも、私が思ったのは、どうしてこんな所に集落があるのかって所です。普通の人だったら、もっと平地に住むものじゃないですか?」


「まあ、確かに……」


 どうにも嫌な予感ばかり感じてしまう。八通芽町に来るまでも、怪異と思わしき存在に散々遭遇したという事もあり、如月は極力周囲への興味をシャットアウトしようと努める。


 そんな事をしている間に、階段は終わり開けた空間へと出る。そこには周囲の民家よりも、一回り大きな建物が建っていた。入り口には看板がある。どうやらここが、今日の宿らしい。


「……やっと着いた」


 弥生は自身のキャリーケースにもたれ掛かり、げっそりと項垂れる。


「ほら、とっとと行くぞ」


「あう……ちょっと休ませてよぅ」


 如月は寄りかかる弥生ごとキャリーケースを引っ張って、目の前の建物へと歩みを進める。入り口にはインターフォンが設置されていた。


 不自然な立地な上、人間の気配は感じるが誰も居ない集落。ここまでの状況を鑑みるに、この宿も一筋縄ではいかない何かが待っているだろう。


 覚悟を決めインターフォンを押す。よくあるピンポーンという軽い音と共に、「はーい」と張り上げるような女性の声が聞こえる。


 程なくして、スライド式の扉が開き、中から女性が姿を現す。


「ようこそおいでくださいました。ご予約の如月様ですね。私はこの宿のオーナーの細田ほそだと申します」


 少し肉付きの良い女性だった。年は如月よりも少し上ぐらいだろうか。丸顔で愛嬌のある、男女問わず他人から好かれそうな人だというのが、如月の第一印象だった。


「はい、二部屋で予約していた如月です」


「ここまで来るの大変だったでしょう。どうぞお上がりください。お部屋の準備はできておりますので」


 如月と弥生は顔を見合わせ、細田に促されるまま玄関口で靴を脱いで中へと入る。中は木造の民家という趣だが、受付と帳簿、呼びベルに木彫りのクマと、一応は宿泊宿の体裁を整えている感じだった。


「客室は二階となっておりますので。あ、足元お気を付けください。それと、裏手には温泉が引いてありますが、浴場は一つしかありませんので、入浴の際はお声がけください」


 流暢に説明を受けつつ、二階の客室に案内される。二階には四部屋あり、如月と弥生は奥の向かい合った左右の部屋が割り当てられた。


「食事は十九時にお部屋にお運びいたします。もしお二人でご一緒されるようでしたら、片方のお部屋に二名分お運びいたしますが如何致しましょう」


「それでしたら、私の部屋に用意してください」


 如月はそう言いつつ扉を開ける。中は簡素な和室だった。清掃は行き届いており清潔で、大きく縁どられた窓から入る外に光によって、開放感のある居心地のよさそうな部屋だった。


「それでは、私は一階に居りますので、何か分からない事があれば受け付けの呼びベルでお呼びください」


 そう言って細田と名乗ったオーナーは一階へと降りていった。弥生は自分の部屋に荷物だけ置くと、すぐさま如月の部屋へと上がり込む。


「なんか……ちょっと拍子抜けって感じですね」


「ああ、そうだな」


 八通芽町までの道中や、集落の中で誰も居ない事を考えると、どうしてもこの宿にも何か不穏な予感を感じてしまっていた。しかし、いざふたを開けてみれば、慣れた様子の女将さんに、どこも不自然な所のない客室が待っていた。


 正直な所、拍子抜けだ。まだ安心できる訳じゃないが、思っていたよりは真っ当な宿で思わずため息が漏れる。


「それじゃ、私はさっそく温泉に行ってきます! 誰かがここまで荷物運びを手伝ってくれなかったから、汗かいちゃった」


 弥生は皮肉を言いつつ、如月の部屋を後にする。如月は、その皮肉に苦笑しつつ、今日の今後の計画について思考を巡らすのであった。

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