八百細様 第5話


 都心から特急浪漫電車に乗り込み、霊川を越え小一時間。たどり着いた赤務駅で乗り換えた後、ローカル線で更に数十分。ここまで来ると、田園風景が広がる長閑な片田舎が広がっていた。


「……やっと到着?」


 旅行用のキャリーケースを引く弥生が、ほとんど手ぶら同然の如月に聞く。


「いいや、ここから更にバスで一時間程だそうだ」


「うげげぇ」


 げっそりとうなだれる弥生をよそに、如月はバス停の時刻表を確認する。


「……次のバスは三十分後か」


「えぇ~。こんな何もない所で三十分も待つんですか?」


「仕方ないだろ。それに、このバスを逃すと次は半日後だ」


「嘘でしょ~」


 バスが来るまで三十分。そしてバスに乗ってから一時間。確かに、かれこれ数時間移動してきて、更にここから目的地に着くまで一時間半もあるのは、中々に堪える話だった。


 足細山の調査の初動は、如月組と鬼目組の二班に分かれて行う事になった。というのも、鬼目は存在承認増幅器である石櫃の入手に専念する必要があったからだ。


 鬼目が石櫃の所有者である浅上教授相手に交渉を進めている間、如月たちは先行して現地に赴き、麓の町で聞き込みや伝承の調査などを行うという分担だ。


 そして、大学での仕事が終わり次第、鬼目組は如月組と合流し、調査内容に基き準備を整え、万全の体制で足細山へ足を踏み入れるという予定だった。


「それにしても……こんな所に温泉があるだなんて、私全然知りませんでした。そこは少し楽しみなポイントですね」


「……日本は大体どこを掘っても温泉が出るもんだ。ましてや、山々に囲まれた地域ならなおさらな」


 如月と弥生の目的地である、八通芽町は三方を山に囲まれた盆地の小さな町だ。限界集落とまではいかないが、時代に残された古風な集落で、事前の情報ではコンビニ一つないらしい。


 しかし、コンビニはないというのに温泉宿は一軒だけ営業している。民宿に毛が生えた程度の規模だが、それでも大手予約サイトから宿泊予約が行えたのだから、最低限の設備ぐらいは期待できる。


 図らずも小旅行という形になってしまったが、如月個人としては、弥生や鬼目、得体のしれない鬼目の弟子という面々で温泉宿に宿泊するというシチュエーションは、背筋の凍る話だった。


「……まともな宿だと良いんだがな」


「ん? 先生なんか言いました?」


「いや、何でもない」


 宿という場所は怪異の集まりやすい条件が整っている。旅行というものは、人間の感情を高ぶらせやすい。そのうえ、不特定多数の人々が宿泊するのだから、感情エネルギーの総数は相当なものだ。


 そこで何かしらの事件や事故が起これば、行き場のなかった感情エネルギーを存在承認とし、怪異が生まれる。例え取るに足らない噂話だったとしても、具現化してしまう。そのうえ、一度広まった噂を足掛かりに、訪れる人々から多くの存在承認を得て、力をつけてゆく。


 もっとも、それは最悪のパターンであり、大半の宿は怪異の生まれる切っ掛けである噂話が生まれることなく、平和に営業している。しかし、これから向かう先は八百細様という土着神を祀っている八通芽町だ。神が身近な社会では、怪異を受け入れやすい下地が出来ている。閉鎖的な村社会で、どのような噂話がひろまっているのか、予測できない分、警戒するに越したことは無いだろう。


 そんな事を考えつつ、如月と弥生は黙って駅前のベンチに腰掛け、バスを待つ。やがて、予定時間よりも十分遅れたバスが、視界の先の道をゆっくりと向かって来るがの見えた。


「……一応言っておくが、現地に到着するまでは周囲に気を配らないように。不自然なものを見つけても、声を上げたり私に報告したりするなよ」


「はぁ? 別にいいけど、何でです?」


「怪異は自分に興味の無いものには興味を示さない。存在承認の糧にならないからな」


 つまり、無関心を貫くことが怪異に対する最大の防御策だ。その点に置いて、今回の仕事は最悪と言える。八百細様の調査とはつまり、八百細様という存在に興味を示していると動議なのだから。


 バスが駅前のバス停に停車する。誰かが降車する様子は無く、如月と弥生はそそくさと乗車する。


「……このバスも大丈夫なのだろうか」


 ICカードが普及したこのご時世には珍しい、整理番号を発行するタイプの精算機から紙を抜き取り、弥生と並んで手前の席に腰掛ける。


 しかし、如月が警戒を強めたのは旧式の精算機のせいではない。バスの中に広がる異様な光景のせいだった。


 車内の乗車客は大半が高校生らしき学生で占められていた。それだけならば、田舎ではよくある光景だ。だが、彼らは誰一人として口を開かず、本や携帯といった娯楽品も持たず、ただ真っ直ぐに座っていた。


(……無関心無関心)


 如月は違和感を感じつつも、気にすれば何が起こるか分からない不気味さから、彼らから意識を遠ざける。隣の弥生は、携帯を取り出し操作している。普通の若者であれば、彼女と同じような行動をするものだと、どこか如月は安心を覚える。


 バスは走り出す。窓の外はいくら進んでも変わり映えのしない田舎風景が広がる。時折民家のようなものを見かけるが、一体あそこに住む人はどのような生活を送っているのだろうか。


 しばらくして、バスの運転手が次の停車場の名前を読み上げる。不思議と、如月にはその名前を聞き取ることができなかった。


 ぴんぽ~ん。


 停車を希望するボタンが押され、真っ赤なランプが点灯する。そして、聞き取れない停車場に到着し降車口が開くと、今まで座っていた高校生たちが一斉に立ち上がり、その停車場で降りていく。


 彼らがどこへ行くのか、興味を持たぬよう意識を集中させる。窓の外には、ビックリマークが書かれた標識が立っている。確か意味は「その他の危険」で、通常の標識では表現できない危険を示す標識だ。マークの下には危険の理由が書かれているはずだが、このバス停の先にある標識にはそれがない。


(くそ、これだから霊川の先の世界は嫌なんだ)


 高校生たちが全員降り、バスは緩やかに発進する。そういえばこの前、微風寺に行く途中のバスでも高校生の幽霊を見た気がした。最近はバスと高校生という組み合わせが流行っているのだろうか。


 標識の地点を超えても、何も起こらない事で如月はようやく安堵した。隣にすわる弥生は、飽きもせず携帯を操作している。よく見ると、無線のイヤホンも耳に取り付けていた。


 確かにこれなら外部からの情報をほぼシャットアウトできる。怪異に対する対策が無関心であるならば、手元の携帯端末に集中する事はこれ以上ない効果がありそうだ。


 思いがけない発見に心を躍らせつつ、バスは再び田舎道を走り始めるのであった。

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