八百細様 第4話
「とりあえず、契約書はこっちで作成して後日送付する。お前はサインして送り返してくれればいい」
「中身はしっかり確認させていただきますよ。何といっても、詐欺師が作成した契約書ですから。細かい文字で何が書かれているか分かったものじゃないですから」
「フン。用心深い事には素直に感心するが、お前をペテンにかけるほど後が怖い事をする勇気はないな」
売り言葉に買い言葉で大人たちが盛り上がる中、ミズキは所在なさげにしていた。弥生に出されたオレンジジュースも既に飲み干しており、残った氷の塊を口に含み飴玉の様に舐めている。
その様子を見かねて、弥生は助け舟を出す。
「如月先生。私は先に契約書の初稿を作成してまいります。詳細な契約内容が確定しましたら、追記できるようにしておきますので」
「ああ、助かる。今回はイレギュラーが多い分、定型的な契約書では不十分だからな」
「フフフ。随分優秀な助手をお持ちですね。羨ましい限りです」
「お褒めに与り光栄です。差し当たって、初稿の内容をミズキ様と確認し合いながら作成したいのですが、構いませんでしょうか?」
如月と鬼目はその意図を理解したらしく、二人して口元を緩める。
「ミズキ、行ってきなさい。ついでに弥生さんから事務仕事のイロハを学んで来てくれると、私としては助かるのですが」
「はーい、彩華先輩よろしくおねがいしますー!」
ミズキは勢いよく立ち上がると、弥生の傍へ寄る。そのまま二人は応接室から出ていった。
「いやぁ、彩華先輩も策士ですなぁ。あの交感神経レベルが下がる空間から逃げ出す口実に、可愛い後輩を利用するとは……職務怠慢?」
「仕事はちゃんとやってるし、交感神経レベルとかよく分からない言い回しは使わないで欲しい。あとミズキは可愛い後輩じゃなくて、可愛くない後輩よ」
「うわ、ひどい」
弥生はため息をつきつつ、執務室で業務用のPCを起動させる。よくよく思い返してみれば、ミズキと関わるとため息の数が多くなる気がする。
それにしても、今回の件は普段の仕事とどこが違うというのだろう。如月先生の様子を鑑みるに、相当な危険が伴うという事は分かる。しかし、その実感が弥生には無かった。
もっとも、弥生には分からない事が多すぎたのだが。空亡計画、八百細様、そして如月と鬼目が嫌に気にしている閏という人物。一体、足細山では何が待っているというのだろうか。
「先輩、何を急に深刻そうな顔をしてるんです?」
「……あんたと絡むと、ため息が増えて幸せが逃げちゃうなって考えてたの」
「えー!!」
ミズキは驚いたように声を上げる。
「自分の幸せよりも私と一緒に居る事を大切にしてくれるんですか!? それってある意味、アイの告白ですよ!! いやぁ、先輩。わたし、まだ心の準備が……」
「違う違う、どうしてアンタは何から何まで曲線カーブを描く様な解釈をするのよ」
どんな皮肉も嫌味もミズキには通用しない。手持無沙汰の後輩を思いやって、あの話し合いの場から連れ出したものの、数分前の好意を早くも後悔し始めていた。
「はぁ」
弥生は再びため息をついてしまい、慌てて口を押える。このままではいけない。無茶苦茶な後輩に付き合うよりも、自分の仕事をしなければ。そう持ち直して、起動したPCを操作し文章作成ツールを立ち上げる。テンプレートに保存された契約書のフォーマットを呼び出し、先ほど如月たちが話していた内容に沿う形で修正を施す。
「こんな感じでどう?」
弥生はミズキに修正した文章を見せる。本来であれば、契約書を作成している画面をクライアントに見せるような真似は絶対にしないが、今回は関係者全員がプライベートでも関係のある相手という事もあり特別だ。
少し気が緩みすぎだろうか。そう心配になる弥生だったが……。
「う~ん、分からん。彩華先輩がいいって言うなら、大丈夫なんじゃないの?」
「……まあ、こうなるよね」
ミズキが相手なら心配は杞憂だろう。仮作成した契約書を確認してもらうと言った手前、念のため見て貰ったが、そこから何かを企むような後輩ではない。
「ところでさ、アンタも足細山には行くの?」
「あー、はい。多分ですけど行くと思います」
「ぶっちゃけ、空亡計画とか八百細様とかどう思うよ?」
先ほどの話では、鬼目と如月ばかりが話を進めていた為、弥生とミズキに口を挟む余地はほとんど無かった。特にミズキは、弥生の出したオレンジジュースに口を付けるばかりで、一言も発言をしていない。彼女はこの一件について、どのように考えているのだろうか。
「うーん……ぶっちゃけ、よく考えた事ないんですよねー。とりあえず、怪異っていうのが良くないもので、それを倒せるなら何でもいいのかなって。でも怪異を倒すために新しい怪異を作るっていうのは、なんだか危険な香りで、ちょっとだけワクワクしてるかも。その為に空亡に似ている神様を見つけなきゃいけない理由は、正直理解していないです」
「ふーん……でも、ミズキは怪異を倒す術を身に付けるために鬼目さんの所で働いてるのよね? さっきの如月先生の話じゃないけど、空亡計画が上手くいって、怪異が根絶されたら意味なくなっちゃうとか考えないの?」
「それについては、ちょっとだけ思う所があります。実はうちの家系、先祖は妖怪らしいんですよ」
思いがけないカミングアウトに、弥生は一瞬驚く。
「本当?」
「ええ、本当です。だって親戚のおじちゃんとか、絶対妖怪ですもん」
「それは……人間なんじゃないの?」
親戚のおじちゃん云々はさておき、考えてみれば珍しい話ではないのかもしれない。全国には実在の人間が妖怪や神様として扱われてきた伝説が多く残されている。それらの人々にも子孫はいたのだし、いわゆる本物の怪異とは別の歴史的な観点からは、案外ありふれた話なのではないだろうか。
「まあ、空亡って妖怪が怪異を根絶するってなった時に、妖怪の末裔である私は滅ぼす対象になるんじゃないかなって心配は、ちょっとだけあります。でも、鬼目さんの事なので、きっと空亡を作る時にうまい事設定してくれるとは思ってますけど」
「へぇ。鬼目さんの事、信頼してるんだね」
「はい。だって一応あれでも師匠ですから」
正直弥生には、そこまでの信頼を如月に対して寄せていなかった。頼りにはなるし、お世話にはなっているが、それでもあの人は他人をだまくらかす詐欺師なのだ。
「彩華先輩はどうなんですか? なんか今回の件に随分乗り気みたいですけど、空亡計画に関わりたい理由でもあるんです?」
「えっ、私?」
急に自分の考えを問われ、弥生は思わず答えに窮する。確かに、今回の件から外されそうになった先ほどの会話に割り込んで、自ら同行を志願した。しかし、そこに深い考えがあった訳ではない。単に蚊帳の外にされるのが癪だっただけだ。
「私は……まあ、なんとなくかな」
「なんとなくで危険と言われている話に首を突っ込むって、彩華先輩なかなかクレイジーですねー」
「アンタにクレイジーとか言われると、すっごい腹立つわね」
「えー、酷い……」
しかしミズキの言う事ももっともである。今回の件は如月先生曰く、相当な危険が付きまとうらしい。どこがどう危険なのかは、まだピンと来ていないが、あの人が危険というのなら相当だろう。
せっかく命を懸けるのだから、生半可な気持ちではだめだろう。今回の一件から、きっちり何かを学ばなくては。弥生は密かに、自信を奮い立たせていた。
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