八百細様 第3話


「ふん。大体の話は把握した。つまり、お前の手の込んだ自殺に付き合えという事だな」


「手の込んだ自殺とは心外ですね。我々人間が怪異に対して優位に立つ為の、盛大な賭けですよ」


 如月は目の前の旧友を睨みつける。何が賭けだ。もしも八百細様とやらが、土着神として祀られている本物の怪異だった場合、その存在の不可侵のテリトリーに足を踏み入れるという行為が、どれほど危険だと思っているのか。


 その土地に足を踏み入れれば生きては帰れないという禁足地は、日本のみならず世界中に存在している。中には毒ガスが発生していたり、方向感覚が失われる地形だったりと合理的な理由による場所もある。


 だが、大半は「その土地に足を踏み入れれば生きては帰れない」と人々が信じた為に、土地そのものが怪異と化したものだ。


 そこに弁明も良い訳も通用しない。木からリンゴが落ちるように、水を冷やせば凍るように、ただただ当然の理として、足を踏み入れれば帰って来れない領域。それが禁足地だ。


「そんな危険な場所に行くことの何が賭けだ。何より、その空亡計画もナンセンスだ。もしも本当に空亡とかいう妖怪を生み出せたとして、それをどう使役するつもりだ」


「その対策は空亡を生み出す際に手を打ちます。空亡は人間の言う事を聞くとか、ただ視界に入った怪異を滅ぼして廻るとか、そんな感じの特性を流布する物語に組み込めばよいのです」


「ふん、そんなに上手くいくかよ。それに、奇跡が起こってに使役することができても、その先で全ての怪異を滅ぼした後に待っているのは、俺たちみたいな怪異で飯を食ってる奴らが全員失業する未来だぞ」


「えっ、心配はそこなの?」


 弥生のツッコミは無視を無視して、鬼目は鼻を鳴らす。


「その時は皆で居酒屋でも始めればよいでしょう。怪異のはびこる世界よりは、我々が食いっぱぐれる世界の方が幾分マシです。それは閏の残した意思でもありますよ」


「……もしも閏が怪異化していたとしても、同じことが言えるか?」


「……仮定の話をしないで頂きたい。そんな事はあり得ないでしょう」


 鬼目は仮定の話と切り捨てたが、如月には思い当たる節があった。


 神無カナンの存在と、彼女の言い放った意味深な言葉。彼女が如月を惑わす為の嘘である可能性も否めないが、もし真実であったならば、閏の事を崇拝している鬼目は一体どのような行動に出るのだろうか。


 そしてこの件には閏の影がちらついている。関わるには危険だが……。


「報酬は通常の倍貰う。それと弥生は今回の件に関わらせない。その条件なら引き受けよう」


 如月は自分の見えない所で何か大事が起こるよりは、その渦中に身を置いた方が、事態を把握できる分その対応ができると考えた。


「報酬の件は了承しましょう。しかし弥生さんは連れてきてください」


「さっきも話したが、弥生を連れて行くつもりは無い。今回の相手は危険すぎる」


 弥生は会話を黙って聞いていたが、口をムッとしたようにへの字に曲げる。


「危険だからこそ、連れて行き経験を積ませるのです。我々の業界は秘匿性が高い分、常に人材不足です。後進を育てるのも、怪異を扱う者の務めですよ」


「何が後進だ。お前の空亡計画とやらが上手くいけば、この世から怪異の脅威は取り除かれるんだろ。だったら、後継ぎなんて必要ないじゃないか」


「それがこの世界にとっての理想ですが、空亡計画が成就するには何十年という年月が必要です。八百細様が空亡と同一に足る存在だったとしても、それを世間に流布し常識化させなければなりませんから。その間、怪異の脅威から人々を遠ざける術を持つ人間は一人でも多いに越したことはありませんから」


「フン。大層な理念だな。だが残念なことに、如月心霊相談所は営利団体なんだ。世間様の為に奉仕の信念で怪異と向き合うお前を否定する訳じゃないが、うちは利益にならない事はしない。今回の件だって、倍の報酬が貰えないなら断っているところだ」


 如月の思惑としては、閏の痕跡を探る事と、鬼目が危うい道に進まぬよう見張るという意図があったが、それを悟られぬためのカモフラージュとして報酬の部分を強調した。


「……だったら私も連れてってよ」


 しかしこの発言に異議を申し立てたのは弥生だった。


「弥生は黙ってろ。これは鬼目探偵事務所と如月心霊相談所の法人同士の交渉だ。お前が口を挟むところじゃない」


「何が法人よ。どっちも妖怪とか幽霊とか普通は存在しない物を扱ってる、胡散臭い連中じゃない。それに、如月心霊相談所の目的がお金だっていうなら、私も連れて行くのが筋でしょ。うちの相談料設定は、人×時間で計算されてるんだからさ。私も行けば、倍の報酬をふんだくれるわ」


 自分もその胡散臭い連中の一人であることを棚に上げ、弥生は足細山への同行を申し出る。


「フフフ。随分と商魂たくましいお嬢さんですね。クライアントを前に倍の報酬をふんだくるなんて言葉はいただけませんが。ほら、如月。彼女もこう言っております。空亡計画は随分とパトロンに恵まれていますので、弥生さんの分も報酬を払いましょう。なぁに、将来有望な同業者への先行投資です」


 如月は考える。金の面ではこれ以上ない仕事だ。弥生も連れて行けば報酬は倍。いや、もともとの報酬が倍なのだから、合計で四倍の金額になる。更に自ら足細山へ出向くのだから、稼働も長時間になる。下手をすれば、今回の仕事だけで半年分の収入が得られるかもしれない。


 しかし弥生を連れて行くとなると、仕事も増える。自分の身を守る事もギリギリだというのに、まだ怪異への対応を熟知していない部下の命も守らねばならない。そのうえで、鬼目が望む調査結果を得るというのは、至難に思えた。


 いや、待てよ。そもそも現地で弥生を危険な目に遭わす必要は無い。山の麓で聞き込みや地元文献の調査だとかの情報収集をさせておけばよい。


「弥生はどうしても今回の件に関わりたいんだな」


「うん。鬼目さんの言う後進を育てるって話もあるけど、この前のミズキちゃんのヤツで何もできなかった事が悔しかったから。だから少しでも怪異の事を学べればって思うの」


「お前は怪異を学んで何がしたい?」


 如月の問いに弥生は言葉を詰まらせる。しかし、すぐに気を取り直して口を開く。


「何をしたいかを見つけるために勉強する。大学生ってそういうものじゃないの?」


「……フン。口ばっかり達者になりやがって」


「きっと師匠に似たんですよ」


「鬼目は黙ってろ。……分かった。弥生が今回の件に同行するのを許可しよう」


 弥生は安心したようにため息をつく。如月は思惑通りに事が進みそうで、内心ほくそ笑んだ。

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