階段を下る女からの提言
階段を下る女からの提言
「……断るか」
空亡計画。人口妖怪。それは実に胡散臭い話に協力しろという依頼だった。
確かに世間の人々が空亡という妖怪を認知すれば、怪異を無条件に滅する事の出来る妖怪を作る事は可能かもしれない。しかし、それを制御し管理する事は可能なのだろうか。
怪異に関して、分かっている事は少ない。人の想像が全て実現するというなら、この世は地獄となっているだろう。
なぜ一部の人間の想像は具現化するのか。そもそも、なぜ人間の想像は現実になるのだろうか。第三種以上の怪異の様に、過去の人間の存在承認を受け続ける怪異のメカニズムはどうなっているのだろうか。
とにかく、怪異は謎に満ち溢れている。そんな怪異を人工的に作るなど、狂気の沙汰だろう。
それに、具体的な依頼内容も怪しい。
神無川県の
しかし、メールに書かれた一文が如月の気を強く引く。
『空亡計画は
閏。如月と鬼目の幼馴染であり、二人に怪異の知識を与えた張本人。十年前に第五種の怪異により取り殺されたはずだが、最近その前提が崩れる事件が起きた。
彼女と同じ姿をした、
もしかすると閏は生きているのかもしれない。
そして、もし生きていれば、この空亡計画を進めた先で、彼女の足取りに関わる何かを得られるかもしれない。
「……いや、やはりだめだ。リスクを冒す必要は無い」
君子危うきに近寄らず。閏は死んだ。それでいいじゃないか。
メールを削除しようとカーソルを合わせる。鬼目の仕事と関わると、ろくなことにはならない。
「何見てるの?」
背後から声を掛けられ、驚き振り向く。そこには、神無カナンの姿があった。
「てめぇ……不法侵入だぞ」
「あら、幽霊にも法律が有効とは知らなかったわ。三年以下の懲役か十万円以下の罰金だったかしら」
嫌に現実的な事を言う幽霊だ。如月は呆れ、ため息をつく。
「この前、屋上から飛び降りたまま消えてくれれば良かったのに」
「誰かが飛び降りる現場を見てくれれば、存在承認の足しになると思ったのだけれど、結局意味は無かったわ。幽霊として生きるのも楽じゃないのね」
「フン。幽霊として生きるか。矛盾だな」
「ええ、そうね。それよりも、そのメールだけれど……」
カナンが如月の背後からモニターを覗き込む。今日は室内に出た為か、顔を隠していた帽子はかぶっていなかった。白いレースのワンピース姿と魅入られる
「これがどうかしたのか?」
沈黙が気持ち悪く、思わず尋ねてしまう。
「いや、ここに書かれている足細山だけど、この体の持ち主が興味を持っていた所だなって思って」
「何だって?」
この体の持ち主とはつまり、閏の事である。思いがけず閏の事が話に上がり、如月は動揺を隠せない。
いや、冷静に考えろ。空亡計画はもともと閏が考えていたものらしい。そして、鬼目が見つけた空亡の特徴と類似性がある伝説の事を閏が知っていてもおかしくない。
「……閏は生きているのか?」
如月はカナンに尋ねる。彼女は以前、存在承認を集める手伝いをすれば、閏を殺す事に協力すると言っていた。裏を返せばそれは、閏は生きているという事なのだろうか。
「さあ? 生きているといえば生きているのかもしれないし、死んでいるといえば死んでいるのかも」
「つまり……お前と同じという事か?」
カナンは間違いなく死んでいる。それは間違いないだろう。師走組が調べた過去の死亡者のリストに名前があったし、それを裏付ける情報元もこっそり調べていた。
しかし今はこうして如月の目の前に存在している。彼女の言葉を借りるなら、幽霊として生きている。矛盾した言葉だが、ここまではっきりと自我を持ち存在感を放つ幽霊ならば、その表現も言いえて妙である。
「どうなんでしょうね。怪異に関する知識のない私は、アナタ達と違って自分の状況も受け売りでしか言い表せないんですから」
カナンは答えをはぐらかす。まったく、食えない女だと如月は思う。
「それより、私の提案は受け入れてくれるのかしら? まずはあの
「……難しいな。閏が生きているにしろ死んでいるにしろ、アイツと関りの有る怪しげな幽霊を、易々と従業員に紹介するほどブラック企業ではないんでね」
「あら残念。そうなると、実力行使しかないかしら」
「実力行使? 何をするつもりだ」
「そうねぇ。例えば、あの子の帰りを見計らって、ナンパでもしちゃおうかしら」
カナンはお道化た様子で言う。その仕草が生前の閏と重なり、吐き気がする。
「本当はお前が閏だったってオチじゃないだろうな」
「まあ心外。でも、あの人の姿を借りている以上、どうしても動作の癖は影響を受けちゃうのかしら。……どうしても信用できないなら、一つだけ助言してあげる。足細山には行かない方がいいわ。あの人の痕跡は見つからないと思うし、多分だけれどアナタは死んでしまうわ」
「死ぬ、か。そんなに危険なのか?」
「ええ。あの人が興味を持ちながらも、決して近づこうとしなかったもの。自分の手に負えるものでは無かったって言ってたわ」
「……お前はその話をいつ聞いた?」
閏の生前か死後か。このカナンという幽霊を全面的に信用したわけではないが、今は閏に関するヒントはこの女しかない。
「さあ、どうだったかしらね。私からのヒントはここまで。もし協力関係を結べるのなら、もう少し親身に寄り添ってあげる。それじゃあ、また会いましょう」
カナンは一瞬にして如月の視界から消える。まるで、元々そこには何も存在していなかったかのように。
「……どうしたものかな」
「まあ、信用できない怪異が行くなと言うのなら、この足細山には何かがあるのは間違いないだろう」
如月はカーソルを削除ボタンから返信ボタンへと移動させ、クリックする。そして、昔馴染みである鬼目に向けて、渋々承諾する旨と報酬は弾むよう要求する文章をしたため、送信した。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
背後から差し込む夕日は、今日も綺麗だった。
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