弥生彩華の挑戦 第6話


 予想外の出来事に弥生は動転していた。いいや、この状況は予想できていたはずだ。ただ、可能性の中で最も最悪な状況だったがゆえに、その可能性から目を背けていただけだ。


「ちょっとクヌギちゃん!! 逃げなきゃ!!」


 クヌギの身体を必死で引っ張る。しかし、体は動かない。悲鳴どころか、声ひとつ上げない彼女に違和感を感じ、顔を覗き込む。


「……ちょっと噓でしょ!!」


 クヌギは泡を吹いて気絶していた。あまりにもベタな展開に、弥生は更に混乱する。


「ええっと、気絶して泡を吹くのは気道の圧迫が原因だから……とりあえず横に……って無理じゃん!!」


 弥生はクヌギの身体を横たえようとするが、彼女の腕を掴む腕に阻まれる。


 どうしよう、どうしよう。いまさら如月先生に連絡を入れたところで、如何ともしがたい。かといって、今の自分に何ができるのだろう。


 不安や恐怖といった感情が弥生の中で渦巻く。その感情は、棺の中の存在にとって願ってもないご馳走だった。


 ギギィギィー。重い何かが引きづられる音と共に、開きかけていた棺が更に開く。その隙間から、腕の主である動く死体が姿を現した。


 枯れ木のような肌。ガリガリにやせ細った体躯。まさしく弥生がイメージしていた動く死体の造形そのものだった。


 いいや、これは弥生のイメージがそのまま形になったものだ。なぜなら目の前のこれは、弥生の恐怖心を存在承認とし生じた怪異なのだ。


 弥生にその自覚はあった。しかし、恐ろしいと感じてしまう気持ちはどうにもならない。


「あ、あぁ」


 思えば弥生は、怪異を怪異と認識してその姿を見る経験を殆どしてこなかった。如月心霊相談所に来ていた今井は幽霊だったが、応対した時は人間として接していたし、深春ちゃんの妖精はその力を目の当たりにしながらも妖精の姿を見てはいない。


 過去の記憶が脳裏をかすめる。部屋を覗く影法師。家族の悲鳴。ゆっくりと手を引かれ、扉が開く。真夜中だというのに、嫌に綺麗な黄昏の世界。


 パリンと軽い衝撃音で弥生は我に返る。振り返ると、ミズキがガラスケースを叩き割り、中の磨かれた剣を取り出していた。


「彩華先輩、どいてください!」


「ちょ、ちょっと待って!」


 弥生が身をかがめると、大剣を携えたミズキが弥生を軽々と飛び越え、動く死体に向け振り下ろす。その衝撃で、動く死体は仰け反り、クヌギを掴む手が緩む。


 その隙にクヌギの身体を引っ張り、棺から遠ざける。弥生が想定していた通り、埃の積もった床はよく滑り、弥生の力でも気絶するクヌギを運ぶことが出来た。


「ミズキちゃんも早く!」


 あの気弱そうな後輩が、ここまで豪胆に行動できることに驚きつつも、今は詳しく問い詰める気にはなれない。弥生はとにかく逃げる事しか考えられなかった。


「彩華先輩。私ならこれ、倒せます」


「はぁ? 何言いだすのよ。そんな事無理だから、早く逃げるわよ」


「無理じゃありません。彩華先輩が信じてくれれば、ですけど」


「……もしかして」


 確かに、この動く死体が弥生の恐怖心を存在の礎としているのなら、弥生がミズキなら倒せると信じる事で、その思いは現実となる。


 そして、ミズキの言葉はその事を知っているかの口ぶりだ。


「わかった。信じるわ」


 ミズキは怪異の特性を理解している。このどこか冴えないこの後輩は、如月先生と同じ専門家だ。弥生の恐怖心はやわらぎ、動く死体は動きを止める。


「やぁッと!」


 見るからに重そうな大剣が、再び怪異に振り下ろされる。その勢いに気圧されて、思わず目を逸らしてしまう。


 獣のうめき声のような低い悲鳴が聞こえ、弥生がミズキを見ると、動く死体の姿は消えていた。まるで、もともとそこには何もなかったかのように、蓋が開いた空っぽの石櫃だけが鎮座しているだけ。


 ああ、終わったんだ。


 弥生はほっと胸を撫でおろす。この石櫃の事や、怪異に対して慣れた行動を取る後輩と、疑問は山積みだったが、今は助かった事を素直に喜ぼう。


 ぱんぱんぱん。


 背後から手を叩く乾いた音が聞こえ、安堵しかけていた弥生はビクリと肩を震わせる。


「こ、今度は何!?」


 振り返ると、倉庫の出入口に男が立っていた。


 背が高く痩せ型。黒いローブのようなロングコートを羽織り、肩までかかった長髪をオールバックに撫でつけていた。何かの芸術家のような印象を受ける。


「あ、鬼目さん。もう来てたんだ。見てたなら助けてくださいよ」


「私が手を下すまでもありませんでしたよ。部屋への侵入に鍵開けの技術を持った人物を使い、感受性の高い人物で箱の特異性を証明する。私の課題を見事に成し遂げてみましたね」


「ちょっとミズキ。この人だれ? というか、アンタ何者なの?」


「彩華先輩と一緒ですよ。怪異の知識を持った鬼目さんの所で、弟子をしつつ色々教えてもらってるんです」


「……如月先生の事、知ってるの?」


 弥生は心の中で、弟子じゃないけどと呟きつつ尋ねる。


「はい。業界の中ではそこそこ有名人ですから。あと、彩華先輩には謝らないといけない事があります。動く死体の噂って、私のでっち上げなんですよ。この箱が、鬼目さんの見立て通りの物か確かめる為の実験でした」


「じゃあ、この箱は何なのさ?」


 その問いには、鬼目と呼ばれた出入口をふさぐ男が答える。


「存在承認の増幅器ですよ。如月の所の弟子なら、存在承認は分かりますよね? 想像を現実世界に具現化する為の感情エネルギーです。ミズキは存在しない噂話をアナタに聞かせ、それを実在させて見せた。本来、人一人の存在承認では、他者の目には見えません。つまりは、その箱により存在承認が増幅された事を示します」


 分かるようで意味の分からない話が続く。とりあえず、この男は弥生に敵意が無いらしい。


「さてミズキ。今日はもう引き上げますよ。私はこの箱を合法に手にする為、方々に手を打ちます。きっと私の目的の役に立ってくれますから」


「目的って?」


「弥生さん。アナタは空亡という妖怪を知っていますか?」


 弥生はちょうど民俗学の講義で聞いた単語に驚く。


「……誤訳から生まれた妖怪としか」


「誤訳ですか。まあ、正確には意図的に誤訳されたのですが良いでしょう」


「意図的に誤訳? どういう事?」


「妖怪に限らず怪異とは、何かしらの事象に対して非合理的な解釈を行う事で生まれます。その解釈を人為的に操作すれば、自分の望む怪異を生み出せるとは思いませんか?」


「ええっと、確かに?」


「そこで一部の専門家たちが集まり、とあるプロジェクトを立ち上げました。その名も、空亡計画。あらゆる怪異に対して、絶対的な特効を持った妖怪を人工的に作り出そうという計画です」


 なんだか話が大きくなり、弥生は適当に相槌を打つ。


「その為に、様々な媒体をけしかけ、全ての妖怪を葬り去る空亡という架空の妖怪をでっち上げたのです。要は、現代版の銀の弾丸です。あれもあらゆる怪異に対して効き目はあるという設定ですが、どうも最近のネットロア発の怪異に対して効き目が弱い」


「その空亡計画? と、この箱は関係あるの?」


「はい。空亡という架空の妖怪は、ある程度世間に広まりました。しかし、それが出典の無い架空の存在という事も同時に広まっています。その為、空亡の具現化には未だに至っておりません。しかし、その箱ならば存在承認を増幅することが出来る。存在承認増幅のメカニズムが分かれば、出典の無い架空の妖怪でも、具現化できる可能性があります」


「ふーん。まあ、私には関係のない話ね」


 何だか話を聞くのが面倒になり、弥生はそろそろ引き上げたいと考えていた。あらゆる怪異に対して強く出られる妖怪を作るという意図は理解できる。しかし、人工的に妖怪を作るという話が、どうも胡散臭いのだ。


「何を言っているのです? 如月の弟子であるアナタが、この件と無関係な訳がありません」


「はぁ? なんで如月先生の名前が出てくるんですか?」


「如月はこの計画と深い縁があります。それに、私がこの箱と並行して進めている、空亡の出典をでっち上げる計画で、如月にも仕事を依頼しています。もっとも、メールを無視されているので、後日そちらに伺おうとも考えておりますが……」


 こいつら、今度うちに来るのか……。弥生は面倒な事になりそうだと内心辟易しつつ、ため息をついた。


「さて、随分と長話をしてしまいました。私はこれでお暇しましょう。可愛い弟子の成長を見られ、今日は大満足です。その調子で、後処理もお任せしますよ」


「はい! お任せください!」


 所在なさげに話を聞いていたミズキが、嬉しそうに声を上げる。そして鬼目は、コートをはためかせながら部屋を後にした。


「……なんか如月先生より変な人ね」


「鬼目さんは変な人じゃないですよ!」


 弥生のボヤキにミズキが反論する。しかし、具体的な反論は続かない事から、この後輩も実は変な奴だと思っているのではないかと邪推する。


「あー、はいはい。それよりも、どうするのこの状況。後処理を随分、安請け合いしたけど、何か考えはあるのよね?」


 弥生は部屋を見渡す。散らかる紙類に蓋の開いた石櫃。何より問題は、ミズキが持っている大剣が収められていたガラスケースだ。見事に叩き割られ、床にはガラス片が散らばっている。鍵もピッキングで開けた為、クヌギが目を覚まさなければ閉めることが出来ない。


「うーん……どうしましょうか?」


 ノープランか。予想はしていた最悪な返答に、弥生は頭を抱えた。

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