弥生彩華の挑戦 第5話


 中は埃っぽい倉庫だった。その事に、弥生は違和感を感じる。


 確かにクヌギの言った、整然と散らかっているという言葉は的を射ていた。人の通れる空間を残して、大小さまざまな土偶や埴輪。乱暴に置かれた錆びた鉄製の剣や盾。ガラスケースに収められた剣と盾は模造品だろうか、随分と磨かれ真新しい印象を受ける。そして、部屋の大半を埋め尽くす本や書類などの紙の束が並べられている。


 しかし、本の山が崩れている様子は無いし、出土品と思わしき物たちも倒れていたり転がっていたりはしない。設置した人間の空間を合理的に使おうという意図の感じられる置き方だ。


 つまり荒らされた形跡はない。間違いなく言える事は、今日は動く死体が現れなかったという事だ。


 ではこの埃っぽさはどういう事だろう。弥生は床に目を落とす。先を行くクヌギの足跡がくっきりと残っている。


 ミズキの言葉では、先日この部屋で見たという動く死体は、中を荒らしていたと言っていた。その言葉が正しければ、この整然とした資料の山は誰かが並べ直したという事になる。


 しかし現実には誰かが足を踏み入れた形跡がない。もしも誰かが部屋の中で資料を並べ直したのなら、足跡が残るほどの埃っぽさに説明がつかないはずだ。


 弥生はミズキの方を見る。この何を考えているか分からない後輩に対して、少し疑いの感情を抱き始めている。


 しかしこれではっきりとした事が一つある。ミズキの言葉が全て正しいと仮定した場合、彼女が見たのは不審者という線は消えたのだ。これは超常的な何者か、つまりは怪異が絡んだ事件である。


「ねえ、もう……」


「あ、これが噂の棺桶じゃない!?」


 もう帰ろうよ。そう言いかけた所でクヌギが声を上げる。弥生が視線をそちらに移すと、クヌギが部屋の奥に安置された石櫃を指さしていた。


 見慣れない石櫃だった。重厚な石の囲いに、蓋は木製らしい。こういう物は普通、蓋も同じ素材で作るものでは無いかと疑問に思う。


 そして石櫃を異質たらしめているのは、まるで蓋が開けられることを警戒したかのように、何重にもチェーンが巻かれている事だった。


「あ、また南京錠じゃん。ラッキー」


「ちょっとクヌギちゃん。開けようとしなくていいから……」


「鍵があったら開けてみる。これ、うちらの業界じゃあ常識だから」


 何の業界だよ。そう突っ込みたかったが、心の中だけに留めておく。いちいちクヌギの発現に構っていては、こちらの精神が持たない。


「……でもこれじゃあ、中に動く死体が入っていても出てこれないよね」


「では、開けてみましょう」


「よっしゃ!」


「何でそうなるのよ」


 ピッキングを始めるくクヌギを、後ろから弥生が制する。一体どうしてこいつらは、ろくに考えず行動したがるのだろう。


「だめだめだめ。何で鍵が付けられてるか考えてよ。これを開けられないようにする為でしょ!?」


「つまりやましい事があるって事だ!! 二十三時十二分犯人確保!!」


「……そろそろキレるよ?」


「あ、ごめん」


 弥生が冷たい目でクヌギを一瞥すると、流石の彼女も少しやりすぎたと反省した様子だ。


「でも、この棺は開けてみてください」


「ちょっとミズキちゃん」


「すいません、彩華先輩の言いたい事も分かります。でも、やっぱり私、気になるんです。この棺の中に収められているものが。もしも中が空っぽだったり、ガラクタとかが納められていれば、あの時に私が見た動く死体は勘違いだったって納得しますから」


「うーん、でも……」


 弥生は考える。このままミズキが疑念を抱いたままでは、それがやがて存在承認になり、動く死体の噂を補強する事にはならないだろうか。ここで中を確認し、その疑念を晴らしておかなければ、本当に怪異を生み出しやしないか。


 しかしこれは賭けでもある。もしも中にミズキが見たという死体が収められていた場合、逆に存在承認を補強する事になる。


「……わかったよ。でも、中を見たらすぐに撤収するからね」


 よくよく考えてみれば、ここで棺の中身を確認せずに帰れば、ミズキの疑念を増幅させる結果しかない。しかし、中を改めればその疑念を払しょくする可能性が生まれる。ならばもう、開けるしかないじゃないか。


 そして、もしも中に死体が収められていた場合、すぐに如月先生に連絡を入れよう。あの人ならば、その状況でもミズキの疑念を取り払う術を思いつくかもしれない。電話をするには遅い時間だが知るもんか。急に私のシフトを削ったのだから、それぐらいの報いは受けて貰おう。


「よし、それじゃあ今度こそ開けるよ?」


「何だろう……このやりとり、すごく既視感があるわ」


 この部屋に入る時にも似たようなやり取りをしていた気がして、弥生は軽くめまいを覚える。きっとこの棺桶の中から鍵のかかった箱が出てきたとしたら、まったく同じやり取りをしてしまうのだろう。


 クヌギが入り口と同じ手順で南京錠を外す。その軽やかな手つきには思わず感心してしまう。


 そういえば、彼女が鍵を外す事に関しては長けているが、果たして再び鍵を閉める事はできるのだろうか? 原状復帰が出来るか確認していなかった事に、今更ながら気づき、弥生は一抹の不安を覚える。


「開いたよ」


 南京錠が外れると同時に、錠前で固定されていた鎖がジャラジャラと音を立て床に落ちる。その音に一瞬ビクリと体を震わせる。


「流石です、クヌギ先輩!」


「えっへっへ。ほら、彩華も褒めてよ」


「あー、すごいすごーい」


 弥生はやる気なく手を叩く。それでもクヌギはご満悦といった表情で「いやぁ、それほどでも」と照れて見せた。


「さぁて、それじゃあ、お待ちかねの御開帳!」


 クヌギはそのまま木製の蓋を横から押す。重厚な蓋はゴゴゴと地響きのような音を立てながら、ゆっくりと横にずれる。


 さて、鬼が出るか蛇が出るか。何かあれば即座にクヌギの服の襟を掴んで、後ろに引きづって逃げよう。これほど埃っぽい床ならば、簡単に滑って運べるだろう。そう弥生は身構えていた。


「……えっ?」


 クヌギが柄にもない声を上げる。異常を察した弥生は即座に襟を掴んで身を引き寄せようとするが、クヌギはバランスを崩しただけでその場から動かない。


 なぜなら、石櫃の開いた隙間から、枯れ木のようなガリガリの腕が伸び、クヌギの腕をがっちりと掴んでいたからだ。

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