いざ往かん微風寺 第3話


「鵺?」


「なんだ、鵺も知らんのか? お前もこの業界の人間なら、妖怪の事ぐらい勉強しておきなさい」


「違う、そうじゃなくて……」


 鵺といえば、様々な動物のパーツが組み合わさった妖怪だ。海外にもキマイラやマンティコアなど、類似の怪物については数多く存在している。ゲームや漫画などの影響か、今の日本では随分有名になったものだ。


「妖精や座敷童なら、まだ人間にとって有益な場合もある。だが鵺は人間を襲ったり、病気をはやらしたりする怪異じゃないのか?」


「確かに鵺は負の側面ばかりが目立つ妖怪じゃ。一応、息子の出世の為に鵺に化けて退治された母親の話もあるが、あまり有益という印象は受けないな」


 早月和尚は湯呑を持ち上げ、一口飲む。つられて如月も手を伸ばすが、ふと気になって手を止める。


「このお茶も飲んだら黄泉戸喫になるのか?」


 川の先であるこの地では、貰ったミカンも迂闊に口に入れてはならない。真偽のほどはさておき、そう教えられたばかりだ。


「これは静岡産の茶葉じゃ。心配には及ばん」


「ああ、そうか」


 如月は湯呑を持ち上げ一口すする。温かく、けれども熱すぎない丁度良い塩梅の香り高いお茶だった。


「もっとも、座敷童が淹れたお茶じゃ。何が起こるか分からん」


 その言葉に驚いて、思わず飲み込む。


「ジジイてめぇ!」


「冗談じゃ。それに、座敷童は不幸より幸運の印象の方が先行しておる。むしろ縁起物だと思った方がええ」


 早月和尚は余裕の表情で笑う。完全に話のペースを握られ、如月は歯ぎしりする。詐欺師を自称する如月にとって、会話のイニシアティブを相手に握られるという事はこれ以上ない屈辱だ。


 そういえば、ここに来てから早月和尚のペースにハマり、切り出せずにいたが、そもそも如月が微風寺を訪れたのは、師走ビルに現れた神無カナンの対策を相談に来たのだった。


「鵺の話よりも、電話でした幽霊の相談に乗ってくれ」


「これこれ、年長者の話は黙って聞くもんじゃよ。時間はまだたっぷりあるじゃろうて」


 早月和尚はそう言って、如月を無視して話を続ける。


「鵺は猛獣のパーツが組み合わさったような姿から、獰猛なイメージを持たれがちじゃな。しかし同時に、一定の姿を持たない、捉えどころのない存在としても有名じゃ。何より鵺に襲われたという伝承はほとんど無い。ゆえに鵺の凶暴性は後付けであり、その特性は疫病をもたらす事のみであったと考えられる」


 滔々とうとうと鵺に関する講釈が始まり、如月はため息をつく。こうなってしまっては、早月和尚が満足するまで話は終わらないだろう。


「原因の分からない疫病を、鵺という妖怪のせいだと想像したんだな。今なら細菌やウイルスといった科学的な原因を見つけ、対策も確立されているが、神々や信仰が世界のことわりだった時代はあらゆる災いを怪異のせいにするしかなかった。だから、世界中で第三種の基になる怪異が大量に生まれてしまった。まったく、困った事だ」


「困った……か。確かにワシ等は科学が支配する世界においても、先人が残した残滓より出ものたちと戦わなくてはならない。しかし、当時の人々にとって、新たな怪異を生み出す事はどのような意味があったと考える?」


「意味? せいぜい安心ぐらいじゃないのか。災いの原因……つまり全く理解できない疫病に、姿形を想像できる鵺という名前を付ける事で、未知の恐怖から逃れたんだろ。そのせいで鵺という怪異が生み出され、更に疫病が広がるとは知らずにさ」


「いいや、逆じゃ。新しい怪異を生み出すという事。これは災いを鎮める為の人類の知恵じゃ」


「鎮めるって……どうして?」


「考えてもみろ。悪さをする妖怪の伝説において、妖怪が勝利した伝説がはたしてあっただろうか?」


 如月は考える。なるほど、早月和尚の言いたい事が理解できてきた。


「つまり、どうしようもない災いを怪異のせいにして、それを退治すれば災いを鎮められるという事か」


「うむ。平家物語には近衛天皇の病の原因を鵺とし、それを源頼政に討たせる事で回復させたという話がある。つまり、災いを呼ぶ怪異とは、当時の人の手には負えない災いを鎮める為に生み出されるものなのじゃ」


「……人間の手に余る妖怪や幽霊はいたと思うが」


「それらは神としてあがめればよい。荒魂と和魂の考え方は、お前も理解しておるな?」


 如月は頷く。クリスマスの夜にその考えを思い起こしていた為、記憶に新しい。日本の神には災いを呼ぶ荒魂と恩恵を与える和魂の二つの側面がある。つまり、倒しきれない程に強力な怪異を生み出した場合は、捧げものをして祀る事で災いを鎮めることが出来る。


「つまり、何にしても怪異が原因とすれば、現実の問題を解決できるって事か」


「その通り。怪異というものは、人の手には負えない巨大な存在を制御するための装置だったんじゃ。そして、人間の想像は常に人にとって都合よく考えられるものじゃ。だから一部の例外を除いて、殆どの怪異は人間が制御できる。それはお前さんの抱える、自我を持った幽霊に対しても有効じゃろうな」


 突然自身の問題へと話題が波及して、如月は驚きを隠すようにお茶をすする。


「お前さんに憑りついた幽霊は、存在承認の大部分をお前さんに頼っておる。だからお前さんに否定されると存在が維持できないと考え、お前さんの大切だった人間の姿を借りて現れたのじゃろう。裏を返せば、その幽霊の占有権はお前さんにあるという事じゃ」


「私があの女を操ることが出来る……って事か?」


「若い娘を自由に操れるとすれば、それはそれは羨ましい限りだが……まあ難しいじゃろうな。その幽霊には基となった人間がいる。その人間の意志が優先される以上、お前さんの自由にはできん。しかし、他の怪異以上に対等な取引はできるじゃろう。それこそ、お前さんの都合の良い条件を飲ませる事が出来るはずじゃ」


「……あの女と交渉するつもりは無い。目障りだから一刻も早く消えて欲しいんだ」


「それならば、どうすれば消えてくれるか聞けば良い。幽霊である以上、何かしらの強い感情……要は未練を残している可能性が高い。それを解決すれば、きっとお前さんの前から姿を消すじゃろう。後は、そやつを完全に人間にしてしまうという手もある。多くの人間から人間と認識された怪異は、揺るぎない存在承認の代償として完全な人間として具現化する」


「それは危険ではないのか?」


「危険なものか。ここ神無川や恐都では人間と妖が入り乱れて生活しておる。元妖怪の人間なんて、世界にごまんとおるじゃろう。ワシとしては、その幽霊に対して、人間にしてやる代わりに働かせるのがお勧めじゃ。お前さんの話では、その幽霊は怪異でありながら怪異の成り立ちを理解しておる。きっとワシ等の仕事の役に立つはずじゃ」


「……」


 如月はどうしたものかと思案しつつ、ぬるくなったお茶を一気に飲み干した。

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