いざ往かん微風寺

いざ往かん微風寺 第1話


 如月きさらぎはこの日、心霊相談所を休みにし電車に乗り込んでいた。


 先日如月が接触したじゅんと同じ姿をした幽霊の対策は、自身の手に余ると判断し、人の手を借りる事を決めていた。初めは鬼目おにめに連絡を入れようかと考えたが、ちょうど仕事の依頼が来ていた事を思い出し断念する。このタイミングで相談なんてしようものなら、その依頼を引き受けざる負えないだろう。


 次点の候補として思い浮かんだのが微風そよかぜ寺の生臭坊主、早月和尚はやつきおしょうだった。彼は金儲けに貪欲で、如月心霊相談所で使用しているお守りや神具については神道にまつわる物でも彼が手配してくれていた。今回の件も電話で頭出しをしたところ、金一封を包めば相談に乗ると引き受けてくれた。


 都内と隣県を隔てる霊川たまがわ。全長百三十八メートル、流域面積千二百四十平方キロメートルの川を超えると、神無川県かながわけん河先市かわさきしへと入る。普通の人間は知る由もないが、ここから先は怪異により支配された世界だった。


 港町として栄えた代償に外界の怪異を多く取り込み、独自の世界が形成されてしまった邪市よこしまし。長い歴史により確固たる存在承認を得た怪異が支配する禍魔蔵市かまくらし。温泉街として栄えながらも、様々な伝説が息づく神々の領域、八虚音はこね


 これらを有する神無川県は、恐都きょうと奈羅なら畏環手いわてに次ぐ、怪異のホットスポットとして、その道の専門家からは恐れられる場所であった。


 早月和尚の居る微風寺はここ河先に建てられ、神無川県から都内へと怪異が流入することを留める役割を担っている。早月和尚の人格はさておき、その実力は本物であり、特に第五種の怪異への対応は国内でもトップクラスの実績を誇っていた。


『つぎは~かわさき~かわさき~』


 車掌の特徴的なアナウンスに呼応して、如月は立ち上がる。到着した駅で降り、駅前のロータリーからバスに乗り込む。


 車内には疎らに乗客が乗っていた。地元の人間と思わしき買い物袋をぶら下げた老婆に、スーツ姿のサラリーマン。学校はどうしたのだろうか、制服姿の女子高生も居た。


 霊川を越えた先にあるから河先。なんとも安直な名前だと思うが、霊川を三途の川と見立てるとその意味合いは変わって来る。都内を人間の世界と仮定した時、ここは人のことわりを超えた先の世界という事だ。


 しかし、一般のほとんどの人はその事を知らない。知らずにこの地で普通に暮らしている。それが如月には不思議でならなかった。早月和尚のような専門家の尽力もあるのだろうが、これほど人間と怪異が密集しておきながら、大きな問題にならないのは何故なのだろう。


 バスが走り出す。すると、車内前方に座っていた女子高生の身体が段々と透けてゆく。一つ目のバス停である○○高校前を通り過ぎると、その姿は跡形もなく消えてしまった。サラリーマン風の男は真後ろに座っていたというのに、その事に気づいた様子はない。


 おそらく、あの女子高生は幽霊だったのだろう。ここ神無川では、石を投げれば怪異に当たると言われる程、人間社会に怪異が溶け込んでいる。如月は消えゆく女子高生の幽霊を見ながら、テレビ番組で一時流行ったアハ体験のようだと思っていた。


「あんた、気づける人なのかい?」


 如月の背後に座る老婆が声をかけて来る。如月は驚きつつ振り返る。


「……何の事ですか?」


「とぼける必要は無いさね。この辺りには、よく出るのさ。でも、そんな露骨な態度をするもんじゃないよ。ああいうのは寂しがりやだからねぇ。気づいてもらえると分かれば、構ってもらえると思って付きまとわれちまうよ」


 老婆の言葉は的を射ていた。補足をするならば、連中は寂しがりやなのではなく、存在を認めてもらう事こそが糧なのだ。


 バスの運転手が次の停留所を呼びかけると、老婆が緩慢な動きで停車ボタンを押す。


「まあ、気を付ける事だね。ほれ、ビタミンC」


 老婆は買い物袋からミカンを取り出すと如月に手渡した。


「……ありがとうございます」


 バスが停車する。老婆はにっこりと笑みを残し、ゆっくりとバスから降りていった。


 再び走り出した車内、渡されたミカンを観察する。特にこれと言って特徴のない、普通のミカンだ。手ぶらで来てしまった為、どうしたものかと持て余す。ポケットに仕舞い込むことも考えたが、早月和尚に渡す金の入った封筒と一緒にするのは気が引けた。


 そうこうしている内に、バスは目的の停留所に近づく。慌てて停車ボタンを押し、ICカードで運賃を支払いバスを降りる。


 ここが川の先だという事を思い出し、ふと笑いが込み上げる。地獄の沙汰も金次第とは言ったものだが、今は電子決算にも対応しているらしい。


 閑静な住宅街で降りた如月は、目的の微風寺に向けて歩き出す。貰ったミカンを手元で弄びながら。


 舗装されたアスファルトの道の先に、墓標や卒塔婆が立ち並ぶ一帯が見えて来る。そこが目的の微風寺だ。


 敷地まで辿りついた如月は、左右を砂利に挟まれた石畳を行く。その先の本殿には、袈裟けさに身を包んだ老人がだらしなく腰かけていた。


「よう、如月クン。今日は別嬪べっぴん愛弟子まなでしは一緒じゃないのかね?」


 如月の来訪に気づいた老人は声を張り上げつつ立ち上がる。元気なジジイだと心の中で思いつつ、如月は歩調を早めて老人の前へ向かう。


「今日は弥生には暇を出した。下手に連れてきて、スケベ爺に絡まれても可哀想だからな」


「なんだい、楽しみにしておったのに」


 柔和な印象を受ける禿頭の坊主は、残念そうに肩をすくめる。彼が如月の知人であり、ある種で同業者の早月和尚その人である。


「まあ、せっかく来たのだから立ち話も何だ。話はそっちでゆっくり聞こうじゃないか」


 早月和尚は本殿ではなく、敷地内に建てられた自宅を指さす。


「本殿じゃないのか?」


「さすがにこの時期の本殿は、寒くて敵わん。それに、詐欺師から受け取った金をお釈迦様の前で勘定するのは、流石に憚られるんでな。ほれ、とっとと行くぞ」


 なるほど。道理である。この生臭坊主にも、宗教家としての分別がある事に驚きつつ、早月和尚の後について彼の自宅へと上がり込んだ。

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