続・階段を下る女 第3話
女は手すりに手をかけ、落ちゆく夕日を真っ直ぐに見据えていた。帽子で顔は隠れ、その表情を読み取る事はできない。足音から如月の存在に気づいているはずだが、こちらを一瞥することは無い。
しかし、あの時すれ違った女で間違いないだろう。
如月は階段を昇った事と緊張により乱れていた息を調え、鉄製の非常階段から屋上の敷地へと入る。
シチュエーションが違う事に一抹の不安を感じながらも、如月は作戦通りに声をかける。
「……
長月から渡されたリストの中で、外見からの年齢が最も死亡時期に近いと予想される女性。それが神無カナンだった。
年は二十八。死因は転落死で、十年前にこの場所から飛び降りたのだという。
一体どのような経緯で自殺に至ったのか、どうしてこの場所だったのか。それは分からない。十年前ならば、親戚筋を辿って情報を集める事はできるだろうが、それは真実ではないだろう。認識のバイアスと時間経過による美化で、もはや原型を留めない作り話へと成り果てているはずだ。
だが、今はそんな事はどうでもいい。問題なのは、如月の呼びかけに何かしらの反応を示すかどうかだ。
何でもいい。呼びかけに応じる、音もなく消える、そこから飛び降りるでもいい。あらゆる行動を肯定と取る心構えはできている。
そして、何かしらの動作を行った瞬間、如月の中で階段を下る女の正体が神無カナンである事が確定する。その存在が如月にとって理解の範疇に収まる事が分かれば、ただの怪異と断じ、存在承認の供給を断つことが出来る。
女はゆっくり振り返る。
これで終わりだ。
「久しぶり。私の事、覚えている?」
「ッ!!
その瞳を見てしまった瞬間、如月はしまったと思い口を押さえる。しかし、もう遅かった。
「初めまして。そしてありがとう。アナタのお陰で、私の存在は補強されたわ」
「てめぇ……何者だ?」
「あら、さっき言っていたじゃない。私の名前は神無カナン。十年前にこの場所から飛び降りて死んだ、バカな女よ」
風が吹き、神無は帽子を押さえる。その仕草や声色もまるで人間のようだが、彼女の弁では十年前に死んだ存在だという。
「……どういう事だ。私の知っている怪異は、まともに人語を介する存在はほとんど居なかった」
仮にいたとしても、第三種以上の高度な怪異だ。僅かな人数から存在承認を得ているだけの第二種では、自由に言語を手繰るのは難しい。相手を怖がらせるために、特定のパターンの言葉を発するのが関の山だ。
「あら。今井はアナタと普通に話していたと思うのだけれど」
「今井の事を知っているのか?」
「ええ、同じ専門家に助けてもらった者同士って所かしら。あぁでも、あのオッチャンと同列に扱うのは勘弁して頂戴ね。私は特別だって言われているから」
如月はより一層警戒を強める。今井は師走組の面々に専門家の存在を匂わせていた。如月の見解では、それは如月自身の事を指していると考えていたが、どうやら違うらしい。
この神無と今井は、何者かの手によって蘇ったのだ。それも、人語を介する強い存在承認を得て。
「いろいろと聞きたい事があるが……貴様と閏の関係は何だ? どうして……」
同じ顔をしている?
閏とは、鬼目と同じく如月の昔馴染みであり、怪異の存在やその存在の定義を共に探っていた仲間だった女性だ。そして彼女は、九年前にとある第五種の怪異と関り、命を落としたと認識している。
そして、目の前の神無は閏と瓜二つの容姿をしていた。
「……この身体は私が貰ったの。正確には私の身体と記憶を渡す代わりに、彼女の魂の一部と共に与えられたのよ。そして、時が来たらこの場所で私を退治しに来る相手にこう言えば、絶対的な存在承認を得られると教えらえたわ」
久しぶり。私の事、覚えている?
それは閏から如月への言葉だった。閏からの言葉だからこそ、如月は目の前の神無と閏を同一視してしまい、反射的に存在を認めてしまったのだ。
そして、ここまで聞けば神無と今井の背後に居た専門家が閏である事は想像に難くなかった。
「あの女……閏は死んだはずだ」
「死が全ての終わりだなんて、生きている人間の戯言。むしろ人間は死んでからが本番よ。人生なんて、その準備期間でしかないわ」
「貴様の死生観なんてどうでもいい。私たち生きた人間は、死んだ人間を許容してはいけないんだ。この世界は生きた人間の為のものだから。お前らみたいな存在が今更出しゃばると、その前提が揺らぐ。だから私は……貴様を祓う」
如月の言葉に神無は微笑する。くそ、こんなにも人間味に溢れた幽霊なんて危険すぎる。街中の喫茶店で彼女がコーヒーを飲んでいたとして、彼女が幽霊だとは誰も思わないだろう。普通の人間と見分けがつかないのだ。
そんな存在を許容してしまえば、もはやこの世とあの世の境界は崩れてしまう。もっとも、死後の世界があると仮定しての話だが。
「……如月正樹。アナタに私を消す事はできるのかしら?」
「方法はある。貴様のような人間に溶け込むことで存在承認を得る怪異は、やがて人間に近づくだろう。その時に、貴様を物理的に死に至らしめれば、存在は消滅するはずだ」
「そう……また私を殺すのね。せっかくまた会えたのに」
まるで閏のような声色で神無は言う。
「……お前は一体誰なんだ?」
「言ったでしょう、魂の一部も分け与えられたって。私は確かに神無カナンよ。けれども、アナタという脅威を退ける為に、彼女の意識がどうしても必要だったの。逆を返せば、この魂があればアナタは私を殺せない」
神無は如月に駆け寄り、手を握る。
「せっかくまた会えたのだから、素直に喜びましょう。また昔みたいにデートをしましょう。そして一緒に人ならざる存在と戦いましょう!」
「……そのために、私に存在の承認を強要するのか?」
「アナタからは存在を承認して貰ったわ。次はそうね……あの可愛らしい助手の子を紹介してくださらない?」
如月は神無の手を振りほどく。
「お前は閏ではない。神無カナンだ。閏の振りをして私をたぶらかすバケモノめ! 私が貴様を人間にしてやる義理は無い。存在承認を得たいなら好きにしろ。しかし、完全に人間として具現化したその時は、私は貴様を殺してやるからな」
如月の剣幕に神無は肩をすくめる。
「残念ね。作戦は失敗かしら。それじゃあ、第二のプランでいくわ」
神無はワンピースのスカートをはためかせながら、ひらひらと踊るように鉄柵を超える。そして、片手で柵を握り身体を屋上の外に出しながら、満面の笑みで如月に言い放つ。
「私を人間にしてくれたら、閏を……アナタの幼なじみを完全に殺してあげる」
「なッ!」
「それじゃあ、考えておいて」
そう言い残して、神無は手を離しビルの下へと落下していった。
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