続・階段を下る女 第2話


「それじゃあ、おつかれさまでしたー」


「おう、お疲れさん」


 シフトが終わった弥生を見送った如月は、モニター室に戻りビル内を監視しつつ、端末でメールのチェックを行う。


 如月心霊相談所へのメールの問い合わせは多い。怪異に関する事件に巻き込まれた人々は、対面での相談よりも文章でのやり取りを希望するからだ。


 その方が心理的ハードルが低いのだろう。根本的な解決に至るには、どうしても対面の方がやりやすいのだが、メールのやり取りでも金になるのだから問題ないと如月は考えていた。


 この日の新規問い合わせは三件。これらをどのように金に換えようかとほくそ笑む如月は、そのうち一件のメールを見て表情を歪ませる。


「……マジか」


 如月がカーソルを合わせているメールの件名は「仕事を手伝え」。差出人の欄には「鬼目正月」とあった。


「コイツが連絡を寄こすとは、大事だな」


 誰にとなく呟く如月は、苦虫を噛み潰したような渋い顔をしていた。


 鬼目は如月の昔馴染みであり、同業者だった。しかも、第一種や第二種の怪異で細々と稼ぐ如月と違い、第三種や第四種の事件を専門に扱っている。鬼目率いる対怪異実行部隊は、名目上は探偵という位置付けだが、日本政府や米軍とも裏では繋がりがあり、怪異が引き起こす大規模災害の対策に奔走している。


「……鬼目のヤツなら、このビルの女も一瞬で片を付けるんだろうな」


 如月は自分自身が抱えている問題を考えつつ、他二件の問い合わせの対応を始める。鬼目の仕事に関わるとロクな目に遭わない。それ以上に、鬼目とは様々な因縁があるのだ。


 何か適当な理由をでっち上げて、仕事は断ろう。そう考える如月は、ちらりと卓上の写真立てを見る。


 十年前の写真。如月と鬼目と、もう一人。琥珀色の瞳をした専門家の三人で撮った写真。この写真を見るたびに、如月は今の体たらくに嫌気がさす。その嫌気が、如月の慢心や傲慢を取り除いてくれるため、こうして仕事場に置いているのだが……。


「まぁ、今は人の事より自分の事だな。目の前の問題から片付けていこう」


 如月は通常の問い合わせの返答を送信し、時計を見る。針は十六時半を少し回った辺りを示していた。


「……そろそろ行くか」


 如月はコートを羽織り、相談所に鍵をかけて外へ出る。そのまま、非常階段を昇り、喫煙所のある屋上へと向かう。


 多くの怪異の出現には再現性がある。


 同じような時間、同じような場所、同じような条件。


 これが一致しなければ、同一の怪異と認められず、人間からの存在承認を得られないからだ。


 そして如月は今、階段を下る女と遭遇したあの日と同じ状況を作り出した。


 黄昏時に一人で屋上に向かう事。華歳と共に階段を昇った時は現れなかったため、恐らくこれが、あの女の出現条件だろう。


 逆にここまで同じ状況を再現しておきならが再び出現しないというのであれば、あの女は生きた人間であり、何かしらの方法で師走組の監視網を潜り抜けた人物という事になる。


 それはそれで不気味な話だが、相手が生きた人間か怪異かの違いは大きい。その違いで、対応方針が百八十度変わるのだ。


 カンカンカン。


 鉄製の階段は足を踏み出す度に乾いた音を立てる。この音に呼応して、今にもあの女が姿を現しそうで、如月の足取りは重くなる。


 当然の話ではあるが、怪異に自分から会いに行くのだから、最大限の警戒を払い進まなければならない。


 以前はただ如月の横をすり抜け階段を下るだけだった女も、あれから時間が経過し成長している可能性もある。何かしらの危害を加えて来る可能性も否定できない。


 カンカンカンカン。


 しかし、期待に反して女は現れない。今回の対応については、再び階段を下る女と対面する事が必要だった。


 確証は無いが、階段を下る女は幽霊なのだろう。しかし、三戸部の職場に現れたという存在とは別の者だ。


 おそらく、長月から貰ったリストの中の誰かが、三戸部の話した階段を下る女と共通する何かがったのだろう。二つの要素が組み合わさってた所を如月に認識され存在承認を得たのかもしれない。


 あくまでこれは仮説だが、もしもこれが正しければ、存在承認の礎となっているのは如月自身だけだ。弥生や師走組の面々も階段を下る女の存在は知っているが、存在承認を行っているかと言えば首をかしげる。仮に行っていても、微々たる力だろう。


 つまり、如月自身が存在を否定すれば解決するのだ。


 では如月が存在を否定できない理由は何だろうか。それは、対象の正体が不明瞭である事に起因していた。


 発生源、名前、経緯。そういった正体が全て憶測の域を出ていない。要は分からないのだ。そして、分からないものを如月は意識せざるおえない。気になってしまうのだ。


 ならば対策は簡単だ。対象の正体を確定させてしまえばいい。七面倒な調査も、対象の名前を確定する程度なら必要ない。


 階段を下る女と対峙して、リストから当りを付けた名前で呼びかけ反応があればそれでいい。後は経緯や発生源を適当にでっち上げ、自分で納得すればそれで終わりだ。


 自分で自分の認識を歪めるのは、怪異に関わる人間にとっては必須のスキルだ。それが出来なければ、関わった時点で怪異に力を与えてしまう事になる。


 ゆえに如月は、自身を騙す事に関しては自身があった。


「……だが、そもそも対象に会えなければ意味がない」


 カンカンカンカン。


 階段は踊り場で折り返し、その先に続く十三段を登り切ればもう屋上だ。如月は落胆するように肩をすくめる。


 結局あの女は現れなかった。ここまで同じ状況を作り出したというのにだ。肩透かしを食らったような心持だが、それならそれで対策はある。


 この前の女は本物の人間だったという事で納得すればいい。仮にあれが怪異だったとしても、これで如月からの存在承認は断たれるはずだ。


 せっかくここまで登って来たのだから、一服してから戻る事にしよう。


 階段を昇り切った先。遮蔽物の無い広々とした空間の片隅に、ポツンと簡易的な灰皿が設置されている。誰も片付けをしないが為に、こんもりと吸い殻が積みあがったその灰皿の側に帽子をかぶった女は立っていた。

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