妖精の住む家 第4話


「何よこれ!! こんなはっきり超常現象って起こるものなの!?」


「いつも言っているだろう。世の中には科学では解明できない存在は実在する。ってな!」


 先の尖った複数の鉛筆が如月の眼球を目掛け勢いよく迫る。如月は手近の壁に掛かっていた赤いランドセルを取り、顔を守る。


 本来妖精の奇跡は人の目を忍んで行われる。真夜中に靴を修理したり、誰にも悟られぬよう惚れ薬を飲ませたり。


 しかし、子供は例外だ。多くの人々が子供の頃に妖精と遊び空を飛んだ経験がある。皆その事を忘れているだけだ。


 そして、もう一つ例外がある。妖精の事を覚えている人間の前では、奇跡を行使できるのだ。これは閉鎖された空間内ですべての人間が妖精を肯定する必要がある。その為、妖精を信じかけているが全肯定はできていない母親は邪魔だったのだ。


「どうすんのさ、これ!!」


 腰の引けた弥生が、いつ自分に向けて文房具が飛んで来るのかとヒヤヒヤした様子で、両手を前に向けている。いつも強気な彼女が、そんな醜態を晒しているのが可笑しくて、如月は思わず口元を緩める。


「妖精の行動はこの少女の感情に起因している。とりあえず落ち着かせるのが手っ取り早いな。私が妖精の攻撃を引きつけるから、弥生はあの少女を抱きしめてあげなさい」


「む、無理っしょ!!」


 まあ、刃物を持った相手に抱きつけって言っているようなものだし、弥生には難しいか。それならば、一か八か言い包めてみるしかない。


「深春ちゃん。妖精さんとサヨナラしなくてもいい方法を教えてあげるから、やめてくれないかな?」


 安っぽい工作用のカッターが如月の耳元をかすめる。どうやら話を聞く気は無いらしい。そもそも理屈で人を言い包める詐欺師と、感情の赴くままに行動する子供は相性が悪いのだ。


「……如月先生。深春ちゃんを落ち着かせれば、妖精を何とかする事はできるん?」


 弥生がおずおずと言う。


「ああ、話さえ聞いてくれればな」


「そう。じゃあ、任せるわ」


 宙を浮く文房具が、如月目掛けて再び放たれる。その瞬間、弥生が如月の前に躍り出る。


「ちょ、おまえ!」


「いっったあぁぁ!!!」


 弥生がオーバーな表現で悶える。


「弥生さん!!」


 驚いた様子の深春が弥生に駆け寄る。


 押してダメなら引いてみよ。確かに激昂して暴力を振う子供は、相手を傷つけた瞬間に罪悪感から大人しくなるものだ。弥生はその罪悪感を利用したのである。


「深春ちゃん。大丈夫だよ、ちょっと怪我しただけ」


 弥生は手首や頬に軽い刺し傷を負った程度で、出血もそこまで激しくない。だが、もし首や目に刺さっていたら……。


「……これで分かっただろ。妖精の力は時として人を傷つける。もしも深春ちゃんが妖精と別れたくないのなら約束しなさい。妖精の力を人や物に向かって使わない事。妖精が勝手に悪戯しないよう、きちんと手綱を握る事。そして、誰にも妖精の存在を見咎められない事。いいな?」


「……?」


「つまりね、妖精さんが悪い事をしないように、ちゃんと仲良くしてあげて。あと、妖精さんの事は誰にも内緒だよ」


 弥生は傷口を押さえながらも、うまく血を滲ませ深春に見せつける。小技の利いた娘だ。


 妖精の力が弱まったのか、扉が勢いよく開き血相を変えた母親が飛び込んできた。


「深春!!」


 茫然と立ちすくむ少女を、母親は力強く抱きしめる。そして、散らかった部屋には目もくれず、鋭い視線で如月の事を睨みつける。


「弥生。今日はお暇するぞ」


「えっ、でも……」


「本日はお騒がせ致しました。失礼いたします」


 如月は困惑している弥生を引っ張り、階段を降りて卯月家を後にした。卯月妻は見送りにも来ないが、仕方のない事だろう。怪しげな闖入者である如月よりも、愛娘の容態の方が心配なのだ。


「ちょっと、このままでいいの? 何も解決してないと思うんだけど」


「解決なんてできっこないのさ。あの深春という少女は、妖精に感化され過ぎている。今の彼女が、妖精の存在を否定するなんて無理な話だ」


「だから、遅効性の毒を忍ばせるって……」


「毒よりも必要なのは薬だった。信じる妖精をできる限り無害なものに変えてやるのが、今できる精一杯だ。その点、お前の怪我はファインプレーだ。あのメルヘン少女には、いい薬になったろうよ」


 屋敷の敷地から出る時に、如月は立ち止まり三階の部屋の窓を睨みつける。


「どうしたの?」


「……これからもお前は卯月深春を気に掛けろ。私をどれだけ悪者にしてもいいから、今日の事を詫びて卯月夫妻との関係を維持してくれ。そして、アレが悪さをしないよう、牽制し続けるんだ」


 如月は窓を指さす。


「アレ……って、どういうこと? あそこに妖精がいるの?」


「アレは広義の意味では妖精だろうな。もっとも、オベロンやパックとは程遠い存在だ。もっとも、妖精からは卒業した弥生には、姿を見る事はできないだろうが」


 シェイクスピア著の夏の夜の夢に登場する妖精の名前を引き合いに、如月はアレを睨みつける。


 そこには、ブヨブヨの緑色の人型が窓に張り付いてた。手足が嫌に長く、顔のあるべきところには大きな口だけが存在している。


 そして、その口元は如月をあざ笑うかの如く、歯をむき出しに笑みを浮かべていた。

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