妖精の住む家 第3話
約束の土曜日。弥生に連れられてやって来た卯月家の外観に、如月は面食らっていた。
一般家庭の住居にしては広すぎる敷地は、真新しい小洒落たブロック塀で囲われ、その先には三階建ての立派な邸宅が見える。
インターフォンを押し、弥生が名乗りを上げると、装飾の施されたアイアンアーチの門が自動で開く。敷地に足を踏み入れると、如月の予想をはるかに上回る空間が広がっていた。
邸宅へ続く歩道の周りを、まるで刺繍の様に整然と並び咲く花々。その幾何学的な配置から、イギリス式庭園をイメージしている事は容易に想像できたが、普通の神経を持った一般人ならば自宅にこのような庭園をこさえようとは思わないだろう。
庭の隅に置かれたガレージには、海外の高級車が停められている。それも、一台だけでなく三台も。一体どういう思考回路で車を複数台購入しようと考えるのだろうか。
「卯月夫妻に会う前にちょっといいか?」
「なに?」
「今回の件をネタに、卯月夫妻をうちのお得意様にしてもいいか?」
お得意様とはつまり、カモである。弥生は如月を睨みつけ鋭い声で言った。
「ダメ。その時は警察行くからね」
「……分かった」
弥生が警察に駆け込めば、業務内容を知って協力していた弥生自身も同罪なのだが、その自覚はあるのだろうか?
邸宅に辿り着いた如月と弥生を、卯月妻と思わしき女性が迎え入れる。
「初めまして如月さん。本日は娘の件でご足労頂きありがとうございます。弥生ちゃんもありがとうね」
「奥さんこんちはー! 旦那さんは……海外出張なんだっけ。大変だねー」
弥生がなれなれしい挨拶をする相手は、金持ちそうだが嫌味の無い中年の女性だった。体にぴったりと合った黒いワンピース。子供を産んだとは思えない華奢なスタイル。指輪やネックレスは一目で高価だと分かるものだが、傲慢さや厭らしさが感じられない。朗らかな表情からも、今の生活に満足している様子がうかがえた。
手の行き届いた庭園に豪華な邸宅。そして幸せそうな家族。妖精が娘に憑りつくのも理解できる。
「どうも初めまして。わたくし、如月心霊相談所の如月と申します。うちの従業員の弥生が、いつもお世話になっております」
如月が笑みを繕って名刺を渡す。受け取った奥様は、一瞬だけ表情を崩して猜疑に満ちた表情を見せる。
そして、如月の表情から自身の猜疑心を悟られたと感づいたのか、奥様は誤魔化すように笑う。
「本当に心霊相談所を名乗られているのですね」
「ええ、インパクトがあるでしょう? 実際の業務はカウンセラーなのですが、キサラギカウンセリングよりも認知されると思いまして。世の中には本気で心霊現象に悩まされている方々が居ますが、彼らのほとんどは精神な問題から幻覚や幻聴を感じています。そんな人々の窓口になれればと開業しましたが、仲間内からは心霊詐欺師なんて呼ばれております」
「それはそれは……」
如月は惜しみも無く自身の情報を吐き出す。もちろん虚実を交えての事だが、正体の知れない相手というのは、必然的に警戒の対象になる。
ましてや、弥生からもたらされた情報では、如月は心霊相談所という怪しげな商売をしているのだ。卯月妻から見て、不審に思うのも仕方がない。
そこで如月は、冗談を交えながら一応筋の通る説明を行った。これでとりあえずは信用して貰えるだろうか。
「お茶の準備をしております。そこで詳しくお話を聞かせて頂けませんか?」
「ありがたい申し出ですが、先に娘さんとお話させて頂けませんか? できれば二人で」
再び卯月妻に猜疑の表情が浮かぶ。それを素早く察知した弥生が間に入る。
「あ、奥さん安心して。私も立ち会うから。深春ちゃんには変な事させないから」
「……まあ、弥生ちゃんが付いてくれるなら」
奥様は如月ではなく弥生を信用した様子で頷く。そして、二人は居間ではなく三階にある娘の部屋へと通される。
「深春―。入るわよ!」
奥様が子供部屋にノックをして開ける。出迎えたのは、可愛らしい少女だった。
「あ、弥生さんだ」
「こんにちは、深春ちゃん」
弥生が身をかがめて、子供と同じ目線で挨拶をする。自然とそんな事ができるとは、弥生も成長したものだ。
「……君が深春ちゃんだね。はじめまして、おじさんは如月っていうんだ」
如月も弥生を真似て、深春と同じ目線で話す。しかし、深春は怖がって、弥生を盾にするような形で如月から隠れる。
「ごめんなさい。娘は人見知りで……」
奥様が半開きの扉から中の様子を覗いつつ言った。如月は背後を振り返り、奥様に笑みを見せる。
「大丈夫ですよ。子供は皆そんなもんです」
如月は心の中で仕事の邪魔だと毒づきながら、それを悟られぬよう慎重に表情を作る。文句を言っても仕方がないので、仕事に取り掛かる。
「深春ちゃんは妖精さんとお友達なのかい」
名前を呼ばれた少女は、ゆっくりと弥生の陰から姿を現す。そして、こくりと可愛らしく頷いて見せた。
「そうなんだ。おじさんも昔は妖精さんとお友達だったんだよ」
「……おじさんも?」
「うん。今も妖精さんはこの部屋に居るのかな?」
深春は窓を指さす。如月はその先に視線を向け、語り掛ける。
「はじめまして、深春ちゃんの妖精さん。いつも深春ちゃんを守ってくれてありがとう」
如月は妖精に向けて語り掛ける。すると、窓にかかっていた薄手の遮光レースカーテンが微かに揺れ動く。
「おじさんも妖精さんの事見えるの?」
「妖精さんは大人になると見えなくなっちゃうんだ。深春ちゃんも、いつかお別れしなきゃいけないよ」
「なんで?」
深春は如月を睨む。
如月はここが分水嶺だと考え、慎重に言葉を選ぶ。
「深春ちゃんと遊んでくれる妖精さんは、本当は存在していないんだ。今はまだいいかもしれないけど、存在しないものとばっかり遊んでいると、深春も存在しないものになって消えちゃうんだよ。お父さんやお母さんとお別れしたくないでしょ? だから、おじさんと約束しよう。中学生に上がるまでに、妖精さんとはちゃんとバイバイすること」
「……ヤダ!」
深春は鋭い声で断る。直後に異変が起こる。
「キャ!」
バタン。誰が触れるでもなく、強い力で扉が閉まる。様子を覗っていた奥様は、その勢いに当てられ、部屋の外へとはじき出される。
ドアノブがガチャガチャと音を立てるが、扉は開く様子が無い。妖精が何かしらの力で閉ざしているのだろう。母親の叫び声も聞こえない。これも妖精の力なのか、単に部屋が防音なのかは知る術が無い。
勉強机の上に散らばっていた文房具が宙に浮き、ペン先や分度器の針などの鋭い部分がまるで威嚇するように如月に向けられる。
少女自身も宙へと浮き上がり、窓を背後に如月を見下ろす。
「妖精さんとお別れしない。ずっとずっと一緒なんだよ」
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