妖精の住む家

妖精の住む家 第1話


 妖精と聞いて、一体どのようなものを想像するだろう?


 背に羽は生えているだろうか。空を自由に巡る事はできるだろうか。男だろうか女だろうか。いいや、そもそも人の形をしているだろうか。


 きっと誰もが妖精の姿を思い浮かべる事はできても、誰かと共通の姿を思い浮かべる事は無いだろう。人によって大きさも形もバラバラな外見を想像するハズだ。


 一体なぜだろう。


 古来より妖精という存在は、様々な媒体を通して我々の側にいた。


 神話、伝説、戯曲、小説、歌、映画、漫画、ゲームetc


 それらに語られる妖精は様々な姿で描かれる。


 或る時は子供、或る時は大人。或る時は女性で或る時は男性。人間の事もあれば魔物の場合もある。人を助ける善であり、悪戯で人を困らせる悪でもある。


 妖精という怪異には無限の解釈があると言えるだろう。一部では、ドラゴンやワーム、日本の妖怪や中国の仙人も妖精と見なしている場合もある。


 では、何故これほど多様な姿で妖精が現れるのだろうか。


答えは単純だ。妖精とは、誰もが子供の頃に思い描いたイマジナリーフレンドが具現化した存在である。ゆえに、奇想天外で超常的な存在は総じて妖精になりえるのである。


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「何読んでるの?」


 大学の講義を終えた弥生やよいが相談所に入るなり如月きさらぎに尋ねた。今日は平日という事もあり、アポも飛び込みのカモも無く、平和な昼下がりを読書で過ごしていた。


「シェイクスピア。久々に読みたくなってな」


 如月は文庫本を弥生に向けて差し出す。表紙には厳かな妖精のイラストと共に「夏の夜の夢」と印字されていた。


 弥生は「ふーん」と空返事を返して、荷物をロッカーへと仕舞う。関心のない様子から、彼女はシェイクスピアを読まないのだろう。


「それよりもさ、如月先生にお願いしたい事があるんだけど」


「……何だよ藪から棒に。気味が悪いな」


「えーっと、そんなに警戒しなくていいよ。仕事を持って来てあげたの。ただし、私の知り合いの事だからカモにするのは無しだからね」


 仕事という単語を聞いて、如月は逆に警戒を強める。カウンセリング的な仕事であれば、適当に対処する事もできるし、如月自身の手に余るようなら真っ当なカウンセラーを紹介する事もできる。


 しかし、怪異が絡む仕事であれば話は別だ。もし今回の件に関わる怪異が第四種や第五種だった場合、弥生の知人を確実に救える保証は無い。赤の他人であれば、のらりくらりと追及を逃れつつ金をせしめる事はできるが、弥生個人にも責任の一端がある以上、不誠実な仕事はできないだろう。


「話を聞こう。引き受けるかどうかは内容次第だ」


「依頼人は私の大学の近くに住んでる卯月夫妻。地域ボランティアで知り合ったの」


「お前に地域ボランティアに参加するような、殊勝しゅしょうな心掛けがあるとは知らなかったな」


 如月の小言に弥生は口を尖らせる。


「私だって朝早くに地域清掃なんて行きたくなかったよ。でも、楽に単位が取得できるから仕方なく行ったの」


「怒る方向性はそっちなのか……」


 如月は少女の行く末に頭を抱えつつ、話の続きを促した。


「その地域清掃で、卯月うづき夫妻の奥様と仲良くなったの。それから、たまにお宅にお邪魔して、旦那様も交えてお茶をご一緒させていただくようになってね」


 大学の近くの学生街には、独特な人間が少なからず住んでいるものだ。全員が全員という訳ではないが、学生に対して積極的に関わろうとする人間は多い。おそらく卯月夫妻というのも、そういう手合いなのだろう。


「それで、茶飲み話に幽霊だかが出てきて、卯月夫妻が呪われてるって言い張るのか?」


「話は最後まで聞いてよ。二人には深春みはるちゃんっていう小学三年生の娘さんがいてね。この子が見えるって言い張るの」


「幽霊が?」


「違う。妖精さん」


 如月は頭を抱える。よりにもよって妖精とは……。


「……子供の言う事だろ。あまり真に受けるな」


「小学三年生なら、もう九歳よ。確かにまだ子供だけど、物事の分別がついて来る年頃だわ。それに、深春ちゃんの言葉だけじゃないの。卯月家では度々不思議な事が起こってる」


 怪異に関する事件に少なからず関わって来た弥生の事だから、子供の戯言か本物の怪異かぐらいは判断がつくだろう。その点は信頼できるがゆえに、如月は頭を抱えていたのだった。


「具体的には?」


「卯月家の庭には花壇があるのだけど、窓からその花壇を見ていた深春ちゃんが指を指して言ったの。“妖精さんがお花を摘んでる”って。奥さんが窓を覗くと、花壇の花が荒らされていたそうよ。朝に水やりをした時には、何にもなかったのに」


「近所の悪ガキが悪戯したんだろ。それか、その深春って子供の自作自演だ」


 弥生は如月を睨みつける。この女は、自身が怪異の存在を肯定すれば、それは存在承認となって怪異の力を強めてしまう事に気づいていないのだろうか。


「他にもあるわ。深春ちゃんは小学生に上がった時から一人部屋を与えられてるんだけど、夜中に深春ちゃん以外の女の子の声がするんだって」


「声色を変えるぐらい、子供でもできるだろ」


「……じゃあこれは? 離れたテーブルの上に牛乳の入ったコップが置いてあったんだけど、深春ちゃんが“妖精さんがミルク飲もうとしてるよ”って言った途端、コップがテーブルから滑り落ちたんだって」


「単なる偶然だ」


 人は偶然に意味を求める。その意味が怪異を生み出す事は往々にしてあるのだが、今はその説明をする必要は無いだろう。


「ええっと、他には……」


「もういい。とりあえず、卯月夫妻の娘に対するスタンスはどうだ? 娘の妄言を信じているのか、いないのか」


 弥生は首を傾げて考える。パーマのかかった髪が重力に引かれ揺れる。


「口では否定してるよ。でも、妖精の存在を信じていないというよりは、信じたくないって感じだと思う」


「つまりは信じているって事だな」


 純粋無垢な子供と、妄言を妄言と否定しきれない大人。怪異が育つには理想的な環境だ。更に今回は妖精が絡んでいる。これは慎重に事を運ばなければならないだろう。


「複数の人間の想像を拠り所にしているから、これは第二種の怪異だと思うの。如月先生なら、何とかできるんじゃない?」


 弥生の問いに如月は首を振る。妖精はもっと上位のレイヤーに属する怪異だ。


 せっかくの機会だ。弥生に怪異第三種の定義について講釈しておこう。

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