確かに死んだはずなのに 第4話
西日の差し込む事務所の中で、今日も二人は締めの作業をしていた。
夕日とは不思議なもので、どれほど心が荒んでいようと感動と
その危険な感傷を振りほどくように、如月は目の前の売り上げ金の計算に勤しんでいた。
怪異が存在を維持するために必要な存在承認は、その存在を信じる人数で決まる訳ではない。もちろん人数も重要な要素ではあるが、それ以上に感情の振れ幅が重要な役割を果たしている。
現在の世界は科学という宗教を人々が信仰しているがゆえに、安定した物理法則を成立させているが、局地的な感情の高まりにより物理法則が揺らぐ場合がある。
そこに人間の妄想が具現化する余地があり、個人または団体の妄想が感情を糧に実態を持ったものが怪異である。
そして、美しすぎる黄昏は人間の感情を強制的に揺さぶらせる。
黄昏の彩りは人間を喜ばせ、黄昏に包まれた人間は怒りを忘れ、黄昏の儚さに人間は哀愁を抱き、黄昏の世界で人間は安楽に浸る。
もっとも純粋な感情が集まるこの時間は、新たな怪異が産声を上げるには理想的な環境と言えるだろう。
「……おかしいな」
「どうしたん?」
「今日の売り上げが足りないんだ。弥生、何か欲しい物でもあるのか?」
弥生はキーボードを叩く手を止め「チッ」と舌打ちをしつつ如月を睨みつける。
「監視カメラの映像でも確認したら? 私の無実が分かるから」
「冗談だよ。しかしそうなると……長月がくすねたのかな?」
ドンと机を蹴る音が響く。弥生が鬼のような形相で如月を更に睨みつける。
「私があんなクズに金盗まれるようなヘマしねぇよ! 帰る時だって、妙な動きして無いかモニターで確認してたっての」
なるほど。弥生は長月が帰ると同時に、感情に任せて塩をぶちまけていたが、その直前までしっかりと監視の仕事を遂行していたらしい。やはりこのアルバイトは優秀だ。
如月は塩が撒き散らされるシーンを回想し、思わずクスリと笑みを溢す。幽霊や妖怪などの怪異を扱う自分が、怪異よりもヤクザを恐れている事が客観的に可笑しく思えたのだ。
「なに笑ってんだよ」
「ああ、すまんすまん」
如月は再び清算書と向き合おう。差額と顧客ごとの支払額を照らし合わせて、未払いの客がいないか確認しようと思い立った時、受付の扉をノックする音が聞こえてきた。
「チッ。さてはあのクズ、また来やがったな」
弥生は脱兎のごとく駆け出し、モニター室へ入る。如月は手元の金を封筒に仕舞い込み、慌てて金庫へと仕舞い鍵をかける。
金庫のロックが掛かった事を確認していると、弥生が落ち着いた様子でモニター室から出て来る。
「ヤクザにしてはまともな奴が来てるよ」
「
今度は如月が受付に向けて駆け出す。華歳は師走組の若頭で、如月自身も親身な付き合いがあった。
「よう。うちの長月が迷惑かけたな」
受付の扉を開けると、弥生の言葉通りに華歳の姿があった。黒髪をオールバックに撫でつけ、体にピッタリなサイズのスーツを着た長身の男。
一見すればやり手のサラリーマンのようにも見えるが、鋭い目つきと派手な柄のネクタイ、毒々しい紫のピンブローチがこの男がただ者では無い事を物語っていた。
「まったくだ。ああいう手合いはうちの弥生にも悪影響だから、できるだけ近寄らないようにしてほしい」
「それは無理な相談だ。如月とはビジネスの関係だからな。うちの商売は飴と鞭を使って利益を得る。長月は鞭だと思って付き合ってくれ」
「フン。飴の癖に食えない男だ」
どこか不穏な会話だが、二人の表情は何処か穏やかだった。
「こんな所で長話も何だ。入ってくれ」
「いや、今日は長居するつもりは無い。それより、一服付き合わないか?」
華歳が上を指さす。如月は逡巡した末、「ちょっと待ってろ」と言って煙草を取りに戻る。
「若頭に誘われたんで、ちょっと席を外す」
「あーはいはい。お金、数え直しておくね」
弥生の気の利いた言葉に後押しされ、如月は華歳と共に非常階段へ向かう。
今日はあの女は現れないのだろうか。以前、三戸部からの相談の後、この非常階段で姿を現した帽子の女。明らかに常人では無い雰囲気を纏ったアレは、一体どのような感情から生まれた存在だったのだろうか。
「どうした?」
周囲をしきりに気にする如月を不審に思い、華歳が声をかける。
「……何でもない」
「さては、長月の言っていた女だな」
「いや、まぁ」
華歳の言葉に、如月は曖昧な返事をする。それを肯定と捉えた華歳は、階段を昇りながら笑みを溢す。
「あんなに可愛い助手にも手を出さない如月にも、ついに春が到来か。長月の報告は嘘八百だったが、最も嘘くさい話が真実とは。これは師走組も本腰を入れて捜索しないとな」
どう説明したものかと思案しているうちに、二人は屋上へとたどり着く。遮蔽物の無い広々とした空間の片隅に、ポツンと簡易的な灰皿が設置されている。誰も片付けをしないが為に、こんもりと吸い殻が積みあがったそれの側で、二人は煙草に火をつける。
「今回の件は本当にすまなかった。長月のヤツが机をぶっ壊したって吹聴していたが、もし本当なら弁償させてくれ」
「いや、貸しにしておくよ。それよりも、今回の件で死んだヤツについて教えてくれ」
もし長月に吹き込んだ嘘で事態が収束しなかった場合、間違いなく長月は再び怒鳴り込んでくるだろう。その時は生きた人間だと知らを通す腹積もりだが、一つだけ引っかかる事がある。
専門家の存在だ。
怪異に対して精通している人間は、如月の知る限り片手に収まる程度しか知らない。中には悪意を持って怪異に接する人物も居る。そんな手合いが関わっているとすると、一筋縄で解決するとは思えない。何より如月自身、身の振り方を考え直さなければならないだろう。
しかし現状では情報が少なすぎる。手掛かりとなる今回死んだ人物の情報も、長月はほとんど語らなかった。自分の組が強請っていた相手なのだから、下っ端が不用意に情報を漏らさないのは当たり前だが、強い権限を持ち如月個人とも関係を構築している華歳ならば、口を割るかもしれない。
「……ろくでもない男さ。派遣社員で大した給料も貰ってない癖に、ギャンブル狂いが高じて首が回らなくなり、俺たちみたいなところから金を借りるようになった。家のローンや二人の子供やらと、堅実に生きなきゃならない身分の癖に、どうして馬鹿な真似をするのかね。もっとも、俺たちはそういうクズのおかげで飯が食えてるんで、何とも言えないんだがね」
妙な既視感を覚えた如月は、煙は吐きながら恐る恐る尋ねる。
「その男の名前は今井って奴じゃないか?」
「なんだよ、既に調べはついてるってか? フン、恰好つけやがって」
瓢箪から駒とはこのことか。嘘をつくつもりが、いつの間にか本当の事を言っていた。
長月の話に出ていた専門家とは、おそらく本当に如月の事だったのだろう。売上金が合わない件も、存在しない存在から受け取った金銭なのだから、何となく説明がつきそうだ。
「いや、まさかな」
「どうした、狐につままれたみたいな顔して」
「……狐につままれたんだよ」
「はぁ? まぁ、辛気臭い男の話よりも女の話だ。如月の目を覚まさせた女ってのは、どんな奴なんだ?」
その後、華歳は如月の探している女についてしつこく質問攻めにした。身長、体型、胸のサイズ、芸能人ならば誰に似ているか。しかし、如月はそれら全てに生返事で返す。
黄昏は緩やかに終わりを迎え、漆黒が世界を満たし始める。今宵もどこかで、新たな怪異が産声を上げようとしていた。
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