確かに死んだはずなのに

確かに死んだはずなのに 第1話


 如月きさらぎは応接室で白く細い布が無数に取り付けられた木の棒を振う。これは祓串はらえぐしと呼ばれる道具で、神道におけるお祓いに用いられる道具である。俗にお祓い棒という名称で呼ばれるアレだ。


 祓串の振う先には、五十代と思わしき禿頭の男性が肩をすくめて目を閉じていた。どこか悲壮な印象の男は、今井いまいという名前で如月心霊相談所の常連客だった。


「終わりました。これで、今井様に憑りついていた叔父様の霊は除霊されました。ですが、次は霊障が発現する前に来てくださいね」


「はい、ありがとうございます」


「それでは、こちらに」


 如月が促すと今井は慣れた様子で受付に戻り、弥生やよいに相談料を支払って帰って行った。


 ガラス扉のラッチボトルがカチャンと軽い音を立てて固定されると、弥生が口を開く。


「今井のじいちゃんも懲りないね。お子さんの学費、大丈夫なのかなぁ?」


「ありゃ完全に病気だな。そのお陰でうちは儲かっているんだから、余計な心配はするなよ」


 今井はいわゆるギャンブル依存症だった。大学生と高校生の子供がおり、マイホームのローンも有るというのに、ギャンブルで更に借金を積み上げているらしい。


 初めてこの相談所を訪れた時、如月は相談する場所を間違えた客だと考えたが、今井は想像を絶する相談をした。


 曰く、自分の叔父も相当なギャンブル狂いだったという。そして、自分がギャンブルにのめり込んだのは、その叔父が亡くなった直後であり、これには何かしらの因果関係があるはずだ、との事だ。


 如月は内心呆れながら、彼の欲している言葉を言い続けた。そして、お祓いによって問題を解決する事を提案。形ばかりのお祓いをした後に、こう言い添えた。


『今はアナタの元から叔父の霊は離れています。しかし、いつ再びアナタに憑りつくか分かりません。もしまたパチンコ店の前で足を止める事があれば、店には入らずここに来てください。いつでもお祓い致します』


 こうして今井というリピーター客を獲得したのだった。もっとも、彼が如月心霊相談所を訪れるのは、決まってギャンブルで大負けした後の事だが。


「それにしても、よく今井のじいちゃんも叔父の霊なんて信じてるよね。本当は幽霊なんて存在しないのに」


「……幽霊は存在しないと思うか?」


 弥生は驚いたように顔を上げる。


「えっ? この前、三戸部みとべが来た時に否定してたじゃん。人間の想像力が具現化したものだって」


「確かに、殆どの怪異は人間の想像より生まれる。そして、より多くの人間が怪異を認識する事でその力を強める。その条件でいくと、幽霊は二つのパターンで存在する可能性があるだろう。一つは……」


 如月が言いかけた所で、受付の扉が勢いよく開く。


「よう、クソ詐欺師。儲かってるか?」


 入って来た人間の人相を見て、如月はしまったと思い表情を歪める。金髪のロングヘア―にサングラス。派手な柄のシャツの上から虎の刺繍が入ったジャンパーを羽織った、街中で会ったなら絶対に距離を置きたくなる青年は、横暴な態度で相談所の敷居をまたぐ。


師走組しわすぐみのチンピラが何の用だ」


「おっ、弥生ちゃーん。今日も可愛いねぇ。あれ、もしかしてネイル変えた? 手見せてよ」


 青年は如月を無視して弥生に駆け寄り、手を握ろうとする。しかし弥生はその手を振りほどくと、事務的な冷たい笑顔を作る。


「ただいま営業時間中となりますので、お引き取り願います。もしテナントの事でお話があるようでしたら、弊社の如月が対応致しますので、どうか閉店後に再度お越しいただければと思います」


「なんだよ、つれねぇなぁ」


「おい、長月ながつき。本当に冷やかしなら帰ってくれ。こっちは仕事中なんだ」


「いやいや、そうはいかねぇ。こっちは若頭の指示で来てんだから、話ぐらいは聞いてくれよ」


 この長月という男は、如月心霊相談所の入っているビルを所有している、師走組のチンピラだ。いわゆるヤクザだが如月から見れば大家であり、面倒だとは思いつつも無下にはできない相手である。


「だったら要件を聞こう。早いとこ済ませてくれ」


「そんなに急かすなよ。せっかくなんだから、ビールでも飲みながらゆっくり話そうぜ。置いてるんだろ?」


 如月は心底迷惑そうに舌打ちをして、応接室へ続く扉を開く。


「来い。弥生はビールを入れて持って来てくれ」


「畏まりました」


「へっ、話が分かるじゃねぇか」


 応接室に案内された長月は、勢いよくソファーに腰掛ける。如月はその様子を呆れながら、向かいに腰掛けた。


「それで、華歳かさいは何て言ってんだ?」


 如月が若頭の名前を言った途端、長月の態度が一変する。


「華歳さんだろうがよ!! てめぇ、うちの若頭を呼び捨てたぁいい度胸じゃねえか!! さっきから黙って聞いてりゃ、俺に対しても舐めた口きいてるよなぁ。どの様のつもりなんだよオイ!!」


 声を荒げながら長月はテーブルを蹴りつける。常人ならば間違いなく気圧される場面だが、如月は逆にスイッチが入る。海千山千の詐欺師としてのスイッチだ。


「……すいません。華歳若頭からの言伝を伺います」


 暴力を見せびらかした脅迫は、ヤクザにとっての交渉手段だ。長月は愚かな男だが馬鹿ではない。少なくとも、テナント料と警備費を定期的に回収できるクライアントに向けて、無意味な脅迫は行うような男ではないはずだ。


 これは、本題に入る前の挨拶だろう。呼び捨てやため口が問題だったのではない。何でもいいから適当な因縁をつけ、相手に恐怖心を植え付ける。そのうえで、より師走組にとって有利な条件で話を進めたいのだ。


 ならば取れる対策は一つ。相手の態度に関わらず心を平静に保ち、相手の狙いを見定める。そして、相手の譲歩できるぎりぎりのラインを見計らって契約を締結する。


「ッチ。俺はてめえのインチキに興味はねえが、華歳さんはお前に仕事を頼みたいんだとよ。これは如月の領分だってな」


「仕事ですか。それならば、見積もりを作成致しますので……」


 言いかけた所で二発目の雷が落ちる。


「ふざけんじゃねえ!! 誰がここのけつ持ってやってると思ってんだオイ!!」


 なるほど、仕事は頼みたいが金は出せないという事か。昭和にはこの辺り一帯を仕切っていた師走組も、平成に入り暴対法の締め付けが強まるとその力を徐々に弱めていった。善良な一般市民にとってはこれ以上なく有難い話だが、その煽りを喰らって依頼料をケチられるのは困ったものだ。


「……分かりました。仕事は無償で請け負います。その代わり、私のちょっとしたお願いを聞いては頂けないでしょうか?」


「ああん? ヤクザ相手に足元見るとはいい度胸じゃねえか」


 長月は相変わらず悪態をついているが、声色が柔和したのを如月は見逃さなかった。


「実は調べて頂きたい女性が居るのです。先日、このビルの非常階段で見かけた方で……詳しくは後ほどお伝えします」


この辺りが落としどころになるだろう。どうせ金が取れないのなら、師走組の下っ端どもを手足として使ってやる。運がよければ、有益な情報の一つぐらい手に入れられるだろう。


「人探しか。まあ、それぐらいなら別に構わねぇが……あの朴念仁の如月が女を探せたぁ気味が悪い。柄にもなく懸想でもしたのか?」


「ええまあ、そんな所です」


 如月の思惑通り、長月は話に乗って来た。


話がまとまったところで、応接室の扉が開く。お盆にグラスと瓶ビールを乗せた弥生が「失礼します」と一声かけて入って来る。


 如月は(タイミング見計らって入って来たな)と心の中で思いつつ、グラスを長月に持たせ、瓶ビールの中身を注ぐ。


「さて、それでは話を聞きましょう。妖怪にお困りですか? それとも幽霊ですか?」


 師走組の若頭が如月を指定したのだ。要件は怪異に関するトラブルと見て間違いないだろう。


「幽霊だ」


 長月はそう言ってビールを一気に飲み干した。

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