階段を下る女 第4話


 西日が差し込み、如月心霊相談所の執務室がオレンジ色に染まる中、如月と弥生は事務所の締め作業をしていた。


 如月が今日一日で客から受け取った金額と、弥生の発行した清算書の金額が一致しているかのチェック。弥生が端末で新規客の情報を表計算ソフトに入力という分担だ。


「今日の新規客……この三戸部ってオッチャンは、実際のところどうだったの?」


 受付で記入させたアンケート用紙を転記しながら、弥生が口を開く。


「何が聞きたい?」


「いや、話聞いてたら随分と手ぬるいなって思ったから。もしかして“本物”だったのかなって思ったけど、対応が百均の数珠をプレゼントしただけだし」


 弥生は三戸部に飲み物を出した後、受付には戻らずモニター室へ行っていた。これは如月と客とのやり取りを監視し、トラブルに発展しそうな場合に適宜対応をする為だ。


「三戸部の見た女が、“本物”の怪異なのかは分からない」


「なんだよ、ペテンじゃん」


「詐欺師だからな。だが、“本物”になりうる可能性は高いと判断した。だから、手を打った」


「どーゆーこと?」


 如月は手を止め、弥生を見る。


「解釈の問題だよ。三戸部は階段を下る女を幽霊と解釈したがっていた。これは新たな怪異が出現する条件としては十分なものだ」


「解釈……じゃあ結局その女の人は実在するって事? それを幽霊だと思い込んでるって……」


「いや、おそらく実在しないだろうな」


「なんだよ。分かりやすく説明しろ」


 弥生はヒールを履いた足で机を蹴る。本気で癇癪かんしゃくを起したのではなく、冗談半分だというのは長い付き合いから理解しているが、ヒールだけでなく机にも傷がつくから本当にやめて欲しい。


「じゃあ分かりやすい例を出すぞ。弥生は夜中の病院で髪の長い白い服の女を見たとする」


「あー、テレビから出て来るアレみたいな奴ね」


「弥生はどうする?」


 弥生は少し考えてから口を開いた。


「とりあえず写真を撮って、SNSに貞〇発見って投稿するかな」


「いいね。その時に、病院の名前と写真を撮った部屋も投稿してみよう」


「営業妨害で訴えられない?」


「多分訴えられるが、新たな怪異を生み出す為だ。我慢してくれ」


 弥生はくすりと笑う。


「さて、その女というのが実は、単に長い髪で白い服を着て病院を歩き回るのが趣味の人間だとする」


「なにそれ、やばいヤツじゃん」


「そうだな。病院側も迷惑だからやめるよう再三注意している。しかし、その女は貞〇のコスプレで病院の徘徊を止めない。その間に、弥生のSNSを見た人が病院に入院してきた。その患者はどうすると思う?」


「うーん……私の投稿を引用して、自分も見たって呟くんじゃない?」


「ああ、そうだ。そんな患者が増えれば、やがて幽霊の出る病院の噂はネット上で広がる。事態を重く見た病院は警察に相談し、不審者の女は不法侵入で逮捕される。そして、病院は幽霊など出ないと声明を出す。しかし……」


「その程度で、ネット上で広がった噂は収束しないでしょ」


 弥生の言葉に如月は深く頷いてみせる。


「その通り。幽霊病院の噂は尾ひれがついて広がり続ける。噂を聞いた患者は不安に思う。もし、入院中に女の霊が現れたらどうしよう。そんな恐怖心こそが“本物”を生み出す。多くの人々の恐怖心は、やがて願いとなって病院に集まり、夜中に院内を徘徊する女という怪異になって具現化する。このように複数の人間が同一の存在を思い描いた物が実際に姿を現したものを、怪異第二種と私は定義している」


 如月は怪異を五種のカテゴリに分け、それぞれに応じた対応を研究していた。もっとも、安定して成果を上げられているのは第一種と第二種のみであり、第三種に対しての勝率は五分五分、第四種と第五種についてはお手上げと言った状態だった。


 如月は再び金勘定の作業を始める。


「ちょっと待ってよ。その第二種? の怪異が生まれる仕組みは眉唾だけど理解できたわ。だけど、今回は三戸部ってオッチャンしか対象を見てないんでしょ? だったら、話は変わって来るんじゃない?」


「ああそうだ。だから今回の件は、第二種が生まれる前段階で具現化したものだろうな。つまり、一人の人間の想像が現実のものとして見えてしまうパターン。これが怪異第一種だ。さっきの例に戻すと、弥生が病院で見た貞〇のコスプレをSNSに投稿しなかった場合だな。しばらくして、不審者の女は逮捕されたが、そんな事を知らない弥生が再び同じ病院に入院したとする」


「どんだけ病弱なんだよ私は」


「まあまあ。経過観察で再入院とか良くある話だろ。とにかく、弥生は再入院の折、前回見た女の事を思い出す。またアレと出会ったら怖いなと。そんな思いは現実のものとなって姿を現す事がある。まぁ、第二種と違って第一種は他人に見る事はできないのだけれど」


 表情を変えずに金を数える如月に対し、弥生は首をかしげる。


「それって、妄想と何が違うの?」


「そこが第一種の難しい所だ。他人からは、怪異に遭遇した人の言葉が妄言なのか第一種なのかの判断は不可能。そのうえ、実害が出るケース……つまり怪異に襲われ怪我をするとかだな。これも、第一種の場合はほとんど無い。現実に干渉するだけの力が無いんだろう。ゆえに、第一種が存在するかを証明する事は非常に難しい。だが第一種の対策は簡単だ。存在を認知している人間が、その存在を否定すればよい」


「あー、妄想とほとんど見分けのつかない怪異だから、本人の心持次第で消すことが出来る……だから解釈次第なのね。でもじゃあ、どうして三戸部に対して『あんたの妄想だ』って否定してやんなかったの? そっちのが手っ取り早くない?」


「弥生は病院で二回も貞〇を見たって話を私にしたとする。私が『幽霊なんているはずがないだろ。何かの見間違いだ』と頭から否定する。弥生は自分で見た物と私の言葉、どちらを信じる?」


「うーん……一回なら見間違いだと思うけど、再入院の時に見ていたら自分を信じるかな」


 如月はうんうんと頷く。


「そう。一度や二度なら見間違いでも、毎日階段を下る女と遭遇していた三戸部にとって、それは妄想ではなく事実となっていた。これを現実的にストーカーだとか偶然だとかで片付けられれば良かったが、三戸部は答えを超常的な存在に求めてしまった。三戸部が周囲にこの話をすれば、階段を下る女は第二種となって周囲の人間にも認知できる怪異になる可能性がある。だから、認識をすり替えて歪めた」


「認識のすり替え? なにそれ?」


「幽霊という印象を強めてやったんだ。曲りなりにも専門家である私が幽霊と断定すれば、それは三戸部にとってある程度、真実味を帯びる。そのうえで、魔除けの数珠を付ければ大丈夫だと言い聞かせれば、次に暗い階段を上るときに女が出現する可能性がぐっと下がる。人間は頭から否定されるより、肯定されたうえで対策をしたから大丈夫だと言われた方が、信じやすいのだよ」


「あー、女の霊はいたかもしれないけど、自分の前にはもう現れないと思うって事? そんなにうまくいくものなの?」


「怪異の存在のいしずえは人間の承認だ。今回の場合は三戸部一人の認識に依存している。この三戸部の認識が少しでも揺らげば効果はあるはずだ。もっとも、その女が実在する人間で三戸部のストーカーという可能性も捨てきれないが、その場合は腕のいい探偵でも紹介してやるさ」


 如月は売り上げの計算を終え立ち上がる。そのまま金庫に金を入れ、弥生に「一服行ってくる」と言い残し外へ出る。


 弥生の視線を背に受けながら、如月は相談所から外に出る。そのまま非常口から外に出て、非常階段を使い屋上へと向かう。このビルでは、屋上でしか喫煙を許されていなかった。


 夕日に包まれる中、カンカンカンと音を立てながら鉄製の階段を上りつつ、如月は三戸部の事例を考える。


 今回の件を第一種の怪異だと仮定した場合、一つだけ腑に落ちない事がある。三戸部は一体どうして階段を下る女という想像をしたのだろう。


 もっとも単純な解釈はこうだ。初めて三戸部が遭遇した女は実在する人間だった。その姿になぜか恐怖した三戸部が、翌日に階段を上る際に『昨日の女とまた会ったら怖い』と考えた場合だ。これならば第一種の発現条件は満たせる。


 カンカンカン。


「……無理があるか」


 ならば、もっと別の理由……例えば如月自身が知らないだけで、階段を下る女の都市伝説が流行している場合。この場合、怪異は複数の人間の想像が具現化した第二種となる。


 カンカンカンカン。


「いや、この場合なら三戸部自身から都市伝説に関する情報が開示される。なにより、私のアンテナに階段を下る女の情報が引っかかっているはずだ」


 ともすれば、やはり女は実在する存在だったのだろうか。いや、それならば前職の先輩の証言が食い違う。或いは他の可能性……もっと上位のレイヤーに存在す怪異であった場合はどうだろうか? 第四種、第五種に分類される怪異であれば、人間の存在承認は不要である。


 カンカンカンカカンカンカカンカカン。


 階段の音に違和感を感じた如月はふと階段の先を見上げる。


 そこには、帽子を深く被ったワンピースの女が居た。つばの長い帽子の死角になって顔は見えない。


 カンカンカン。


 女は如月の存在を全く意に介さない様子でそのまますれ違い、階段を降りていった。


 その女を驚愕の表情で見ていた如月は、思わず呟く。


「いや、まさかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る