階段を下る女 第3話


「その女が新しい職場に現れてから怖くて……仕事を日中の内に片付けて、夜は残業しないようにして対策していますが、それもいつまで持つか分かりません。あの女が何者なのか分かりませんが、どうにかする方法はありませんか?」


 三戸部の言葉を頷きながら聞いていた如月は、重々しく口を開く。


「なるほど、状況は理解しました。念のための確認になりますが、その女が出始めた前後で身近に亡くなられた方はいませんね?」


「はい」


「では、生きている人間でその女性と似ている方に心当たりは?」


「ありませんけど……生きている人間は関係ないんじゃありませんか?」


 如月はにっこりとほほ笑むと、プリント用紙を取り出しボールペンで何かを書き込む。


「幽霊というものには、大別して四種に分けられます。こちらをご覧ください」


如月が提示した用紙には、手書きで浮遊霊ふゆうれい地縛霊じばくれい動物霊どうぶつれい生霊いきりょうと文字が書き込まれていた。


「今回の例では動物霊はあり得ないでしょう。これは言葉通り動物の霊でして、憑かれた人が奇行に走り、その特徴から憑りついた動物を特定される場合が多い。姿が見えたとしても、元の動物の形を取る事が殆どです。狐などは人間の姿を真似る事もありますが、目撃されるのは山中や田舎が主でして、街中……特に都内での目撃は非常に稀です」


 そう言って、動物霊と書かれた文字に斜線を引く。


「続いて生霊ですが、これは生きている人間の強い感情が霊となった場合です。恨みや嫉妬といったネガティブな感情で発生する事が多いので、危険な場合が多く実害が出る事もあります。先ほどの質問の答えになりますが、生霊は元となる人間と同じ姿を取る事が多いです。三戸部様はその女の姿に心当たりは無いと仰ってましたね。生霊は基本的に知っている人間でないと姿が見えないので、今回は除外して良いでしょう」


 如月は続いて生霊の文字に線を引いた。


「残るは浮遊霊と地縛霊ですが、地縛霊は聞いた事がありませんか?」


「あ、はい。亡くなった方の霊がその場に留まり続けるという……」


 如月はあえて相手に喋らせる。一方的に如月が喋るのではなく、一部を自身で説明させることで、共通認識を持っていると錯覚させるテクニックだ。


「ええ、ご認識の通りです。実はあまり知られていないのですが、地縛霊はその場から動けないというのは誤りで、誰かに憑りついて場所を移動する事もあります。今回の場合、三戸部様に憑りついて霊が移動した可能性もありますので、一旦保留と致します。最後に浮遊霊ですが、こちらは最もポピュラーな霊でして、亡くなった方が何かしらの理由で成仏できずにいる状態ですね。今回の件は恐らくこの浮遊霊が三戸部様に憑りついたと考えられます」


 紙に書かれた地縛霊の文字に三角マークを、浮遊霊の文字に丸を書きながら如月は言った。


「……説明頂いたところ恐縮なのですが、本当に幽霊なのでしょうか? 疑っているわけではないのですが、あまりにも常識から外れているような気がしまして」


「ええ、ご懸念はもっともです。もちろん、可能性として三戸部様の見た女は現実世界の生きた人間の可能性もございます。しかし三戸部様は女を見てこの世の者ではないという印象を持ったのですよね? 人間の直観というものは決して侮れたものではありません。特に、常識の通用しない怪異に対する直観は、往々にして我々の助けとなります」


 如月は立ち上がると応接室の隅に置かれた棚に行き、印を結んでから引き戸を開け、中からお札の張られた封筒を取り出した。


「三戸部様に憑りついた女が地縛霊なのか浮遊霊なのか、断定する事は難しいでしょう。しかし、どちらも根本的には同じく亡くなった人間の魂が元となる霊なので、同じ方法で対処する事が可能です。成仏させるか、三戸部様から離れて頂くかの二択です。今回はより手っ取り早い方法を取りましょう」


 如月はガラス机の上に封筒を置き、席に座りなおす。


「どうぞ、三戸部様の手で開封してください」


 三戸部は促されるままに封を開ける。中身は透明な玉に糸を通した数珠じゅずだった。


「これは?」


神無川かながわ県にある微風そよかぜ寺というお寺で使われている、魔除けの数珠です。これは死んだ人間の魂を退ける物でして、浮遊霊にも地縛霊にも効果があります。こちらを……」


 三戸部は胡乱うろんな表情で如月を見る。ようやく馬脚ばきゃくを現したかと、はやり怪しげな代物を売りつける魂胆こんたんだったのだと思い、購入は必ず固辞しようと身構える。


 しかし、その思考は如月の想定内の事だった。


「こちらを差し上げます」


「はい?」


「魔除けの数珠であるこちらを、三戸部様に差し上げます。これを付けている間は、その女が姿を現す事はありません。肌身離さず持ち歩く必要はありませんが、夜間に階段を上る際は着用する事をお勧めいたします」


「えっと、代金は……」


「こちらの物品に対するお金は頂きません。今回の相談に付随するサービスです。もし予備の代物が必要であれば別途料金を頂戴致しますが、あいにく在庫はその一点のみになりますので、取り急ぎそちらで効果を見て頂ければと思います」


 三戸部は予想と違う展開に困惑しながらも、封筒から取り出した数珠を見る。


「本当に効果があるんですか?」


「ええ。少なくとも過去に浮遊霊と地縛霊で悩まれていた方々で、この数珠が効果の無かったとクレームを頂いた事はございません。ですが、もし仮に数珠を付けていながら女性の霊と遭遇された場合、すぐにご連絡ください。通常料金の半額で本格的な除霊を実施させていただきます」


「はぁ……」


 三戸部は半信半疑といった様子で、数珠を腕に付ける。


「さて、他に疑問点はございませんか?」


「ええと……大丈夫です」


「承知いたしました。それでは清算に移らせていただきますので、受付の方でお待ちください」


 如月に促されるまま、どこか釈然としない様子で三戸部は立ち上がる。そして如月は受付に居る弥生に向け、清算をするよう指示を出し、再びモニター室に引き上げていった。

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