階段を下る女 第2話


 始まりは一年前。私がまだ夜間警備の仕事をしていた頃の事です。


 現場はいわゆる複合商業施設というやつで、オフィスビルとショッピングモール、更には自然公園が併設されていまして……まあ、自然公園と言っても、「都会の中に自然と触れ合える場所を作る」というコンセプトのもと、無理くり作らせた場所でそこまで大層なものではないですよ。


 ただ、花壇には四季折々の植物が植えられ小洒落たベンチも設置されているので、それなりに赴きはありました。ショッピングモールから地続きになっている事もあり、日中はカップルや家族連れの憩いの場になっている事は確かです。


 あまり知られていないのですが、この自然公園は二十四時間開放されているんですよ。ショッピングモールが夜の二十一時に閉まるので、併設されている公園も同じ時間に立ち入れなくなると思われているみたいですが、実はオフィスビルの裏手の階段から、この自然公園に行くことが出来るんです。施設のホームページにも開放時間については書かれているのですが、夜中に公園内で人を見かけたことはありませんでした。


 私の仕事は、主にオフィス内部の巡回でした。夜間の警備なんて聞くとドラマとかでは暗い廊下を懐中電灯で照らしながら巡回しているイメージかもしれませんが、実際には廊下の電灯が常に点いてるので明かりには困りません。まあ、それでも大半のオフィスは夜になると消灯しているので、うす気味悪い事に変わりはありませんが。


 さて、問題は巡回中……ではなく、休憩時間に起こります。


 休憩を取る際は一度警備員の詰め所に戻り、私服に着替えてから取るのですが、その詰め所から一番近い喫煙所が公園内にあります。


 私服に着替えた休憩中は、基本的に一般人と同じ扱いなので、夜間に立ち入り禁止のショッピングモール内を通る事は出来ません。なので、ビルの裏手に回り階段を上って公園に行く必要があります。


 休憩時間になると、夜食を取る前に煙草を吸うのが私の日課でした。そのため、必然的に毎日この裏手の階段を使います。


 そして、この階段を上る際、必ず或る女性とすれ違うのです。


 帽子を深く被ったワンピースの女です。私が階段を上がり相手が下って来るので、必然的に見上げる形になるのですが、つばの長い帽子の死角になって顔を見る事は出来ません。背丈は私よりも少し低いぐらいでしょうか。


 初めは公園で夜の散歩をしていたのだと考え、女性一人で不用心だなとお気楽な事を思いました。


 しかし、それから毎晩その女性とすれ違います。


 私の休憩時間はその日のシフトに応じて毎晩変わるというのにです。まるで待ち伏せされてるみたいで気味が悪い。そう思って、職場の人間に相談したところ、同じ喫煙者の先輩が先に休憩に入り、公園内の様子を見てくれることになりました。


 少し予想はしていたのですが、先輩は「公園内に誰もいなかった」と言っていました。そして、入れ違いに私が休憩に入ると、案の定その女性とすれ違ったのです。


 公園内の面積はそこまで広くない上に、死角になる場所もほとんどありません。ましてや、不審者を見つける事に関してプロである警備員の先輩が公園内に誰も居ないと明言したのです。一体この女性は何処から現れたのでしょう?


 ビル裏手の階段は公園とオフィスビルへ繋がっていますが、もちろんオフィスビルの勝手口は夜間施錠されており、もし開けば警備員である我々に連絡が入ります。もちろんそんな連絡は入っていない為、この女性は公園内に居なければなりません。


 しかし先輩にそれを否定された以上、私は女性がこの世の者ではないと確信しました。そして、その翌日には辞表を出しました。


 まあ、女の幽霊が怖かったというのもありますが、もともと警備の仕事は転職の間繋ぎのつもりでしたし、転職の目途が立った時期だったので何もなくても辞めていたとは思います。それでも、女の霊に背中を押されたという感じではありますが。


 新しい職場は日中の業務で、それまでの夜型の生活を矯正するのが大変でした。それでも仕事は楽しいしですし、体力的にもきつくありませんし、何より給料が上がったので転職して良かったなぁと考えていました。


 しかし、どんな仕事でもトラブルとは起こるものです。つい最近の事ですが、顧客からクレーム対応に追われて夜中まで仕事をしていた日がありました。


 終電までに帰ることが出来ないと覚悟した私は、気合を入れる為に煙草を吸おうと思い立ちます。新しい職場は六階建てのビルで私の席は二階にあるのですが、喫煙所が四階のテラスにしかありません。定時を過ぎるとエレベーターの電源が落とされるので、仕方なく階段を使って四階へ向かいました。


 そして、階段を上がる最中に、暗い階段の踊り場から例のあの女が現れました。帽子を深く被り、ワンピース姿の女です。


 私は驚いて声を上げてしまいましたが、女は気にする様子もなく階段を下り私の視界から消えます。


 まさか前の職場から追いかけて来るとは思いもよらず、動転した私は一階に詰めている守衛の元に走って行き、女が降りてきていないか尋ねました。正直、職場に来る恰好ではありませんでしたが、私が知らない女性社員が帰宅する場に居合わせただけだと思いたかったのです。


 訝しげな様子の守衛は私の質問に対し「そんな人は見かけてません。今日残っているのは貴方だけですよ」と答えました。

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