階段を下る女

階段を下る女 第1話


 ビルの入り口を監視する第一のモニターに、一人の男が映る。帽子をかぶりジャケットを羽織った、どこに居ても不自然でない男。昨日アポの連絡があった三戸部みとべという男だろう。


特段変わった様子は無いが、階段の前で逡巡するように足を止める周囲を見回している。エレベーターでも探しているのだろうか。


弥生やよい。お客様の到着だ」


 如月きさらぎはインカムのマイクに向かって呼びかける。すると、受付を映し出す第四のモニターの中で、アルバイトの女子大生が机の上に広げた参考書とレポート用紙を片付け始める。


弥生と呼びかけられた受付アルバイターも監視モニターの存在は知っているはずだが、来客の無い時はああして大学の課題を進めている。雇い主である如月も黙認してはいるが、いずれ課題を理由に時給を引き下げようと考えていた。


 課題を仕舞い終えた弥生は、代わりに手鏡を取り出し、自身の化粧が崩れていないかチェックしている。如月はその動作をプロ意識と感心し、時給引き下げを保留にする。もっとも、弥生からすれば無意識の動作であり、そこに仕事への信条だとか情熱などは皆無であった。


 如月は第四の映像から目を離し、入り口の男を見張る。彼は意を決した様子で狭い階段を上り始める。如月の視線は男の動きに合わせ、第一のモニターから階段を映す第二のモニター、二階の廊下と事務所の入り口を映す第三のモニターへ移る。


 そして男は、スモークフィルムのガラス扉に書かれた「如月心霊相談所」の文字をまじまじと確認していた。その様子を如月はじれったく思う。


 実のところ、如月心霊相談所を訪れる客は意外と多い。しかし、そのうちの八割近くはこの扉の前で立ちすくんだ挙句、きびすを返してしまうのだ。今回の依頼人はアポイントメントを取っているのだが、予約をした人間であっても例外ではない。


 そして、案の定というべきか。男は後ずさり扉の前を離れてしまう。


「……お客様を招き入れて差し上げなさい」


 如月が弥生に向けて指示を飛ばす。それと同時に、音声チャンネルを三に合わせる。如月のインカムから、事務所入り口前の観葉植物に仕込んだ盗聴器の拾った音声が流れだす。


『十五時からお約束の三戸部様ですね』


『あっ、その……』


『申し訳ございません、ガラス扉に影が映っていたもので……もし本日お帰りになられるのでしたら、次回の予約を承りますが如何致しましょう?』


 扉の開く音と共に、コールセンターのオペレーターのように流暢な聞き取りやすい声で弥生が引き留める。如月が弥生を雇っている理由の一つがこれだ。


 アポイントメントを取っておきながらも踵を返す客の大半は、心霊相談を請け負う相手に対して不信感を抱いている。本当にここで相談して良いのだろうか。実は詐欺なんじゃないか。壺とか買わされたらどうしよう。


 クライアントがそんな不安を抱えるのは仕方がない。実際のところ、心霊現象の関わらない相談であっても、何かと霊や呪いに関連付けて金を払わせているのだし、如月自身の心霊詐欺師を自称する事があるのだから、その不安は的を射ている。


 しかし、思いとどまった直後に丁寧な物腰の美少女が現れたらどうだろうか。


 淡い茶色のショートボブ。ぱっちりとした大きな瞳。小柄だがメリハリのある体付きに、その味を殺さぬ程度に落ち着いたデザインの事務員制服。以前如月は「読者モデルにでもなったらどうだ」と冗談半分に言ったことがあるのだが、事実弥生はメディアに出てもおかしくない容姿であった。


 けれども弥生が美少女であるのはオマケだ。むしろ、美人過ぎるのは一部の男性にとって心理的ハードルとなり逆効果な場合すらある。重要なのは、意思の疎通が問題なく行えそうな相手が、引き留める訳ではなくあくまで「次回の予約」を促している点だ。つまり、断ってこのまま帰る事もできる状況がむしろ心理的ハードルを下げる。


『あの……やっぱり今日話を聞いてもらってもよろしいですか?』


『はい、もちろんでございます。受付を致しますので、どうぞ中にお入りください』


 一部始終を見守っていた如月は内心ほくそ笑む。そして、弥生を見習ってモニター室の鏡で自信の容姿を確認する。


 痩せ型でダークスーツを着た中年。髭は綺麗に剃られ、剃り負けた傷跡は一つも無い。刈り上げた髪を七三で分け、社会人に求められる真面目な印象と清潔感を演出している。胸元には【如月きさらぎ 正樹まさき】のネームプレート。これが鏡に映った如月の姿であった。


 モニターに目を移すと、契約の説明を終えた弥生が応接室に客を案内しているところだった。


 如月はモニター室からリモートで受付入り口の電子錠をかける。内側からは開き、外側からは開けられなくなる鍵だ。獲物に対してアプローチを仕掛けている最中に、厄介な客に邪魔をされない為だ。


 仕事を終えると同時に、モニター室の扉が開く。


「如月先生。十五時からお約束の三戸部様がいらっしゃいました」


 如月は頷くと立ち上がり、弥生について応接室へと行く。扉を開くと、ガラス机に革張りのソファーという豪華な応接室で、監視カメラに写っていた男が所在なさげに座っていた。


「三戸部様ですね。初めまして、私は相談所の代表を務めております如月と申します」


「……三戸部です。本日はよろしくお願いします」


 三戸部が立ち上がり頭を下げる。その様子に如月は慌てた様子で応じる。


「ああ、どうぞ気を楽になさってください。弥生さん、サービスのお飲み物を準備してください」


「はい。三戸部様、こちらからお飲み物をお選びください」


 弥生はラミネート加工された用紙を取り出す。簡易的に作ったドリンクのメニューである。コーヒー、紅茶に緑茶、オレンジジュースといった無難なものから、ビールやワインなどのアルコール類も書かれている。


「はい。……それでは、コーヒーをお願いします」


「承りました」


 弥生が応接室を離れる。如月はそのやり取りを見て、思考を巡らす。


 この飲み物を選ばせる行為は、相手を探る第一歩だ。


 コーヒーや紅茶といった無難なものを選ぶ場合、相手の心理状態は安定していると捉えられる。社会人らしい対話が可能な相手であり、話がスムーズに進む場合が多い。


 逆にアルコール類を選ぶ人間は警戒が必要だ。どこか頭のねじが外れた人間か、単なる冷やかしの可能性が高い。または、よほど精神的に追い込まれた人間の場合もある。どちらにせよ、仕事としては難航する事が予想された。


 今回のクライアントはコーヒーを選んだ。つまり、仮に本物に憑りつかれていたとしても、差し迫った危機には無いと考えられた。もちろん、気休め程度の心理テストなので、例外の可能性はあるのだが……。


「あの……すいません、このような場所に来るのは初めてなもので……」


 三戸部が重々しく口を開く。その声色からは緊張が読み取れた。


「ご安心ください。お越しになるほとんどの方は、心霊現象に関する相談は初めてですよ」


「ですが……信じて頂けるかどうか」


「世の中には科学では解明できない存在は実在します。我々はその認識を持ち合わせてますから、アナタの言葉がどれだけ突拍子もない話であっても真摯に受け止め、問題の解決に向けて協力すると約束致します」


「……ここまで来て言うのも申し訳ないのですが、そもそも本当に幽霊なのかも分かりませんし」


 なるほど、と如月は頷く。この三戸部という男は、現実的な考え方をする人間らしい。つまり、自分の見た物が幽霊や妖怪といった超常的な存在なのか確信が無いのだ。自分を信じていない客ならば、信用を得るために一歩引いた方が良いかもしれない。


「受付の者から説明があったかと思いますが、弊相談所はカウンセリングの資格も取得しております。本物の心霊現象で無い場合でも、精神状況によっては幻覚や幻聴等で類似の事象が発現する場合がございます。そのような場合でも、適切な処置を施す事は可能です。まずは三戸部様に起こった現象を詳しくお聞かせ願います」


 厳密には自発的な解決を促すカウンセリングではなく、こちらから問題解決に向けアドバイスを行うセラピーなのだが、と心の中で呟く。


 ちょうどそのタイミングで弥生が「失礼します」と声をかけて扉を開き、コーヒーを盆に乗せて持ってきた。丁寧な所作でそれをガラス製のテーブルに置く。


 彼女が応接室から出ていき、扉が閉まると三戸部はコーヒーに手を付ける。


「……始まりは一年前。私がまだ夜間警備の仕事をしていた頃の事です」


 カウンセリングという現実的な言葉とコーヒーの香りに心を落ち着かせたのか、三戸部はゆっくりと喋り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る