16章 _Wonderful World⑤
悪夢。
それでも夢であれば、どれだけ良かっただろう。
赤色を辿り、私は瀬名を見つけた。
「せな、せな、せな!」
血だまりの中に彼女は横たわっていた。
「嘘、嘘だよな?」
目の前の事実を信じたくない。
顔は無事で瀬名だと認識できたが、それだけだ。
足はあらぬ方向に曲がり、腕は真っ赤に染まり、ガラスの破片が体を貫いていた。
「返事をしてよ、瀬名」
何度呼んでも彼女は返事をしなかった。ピクリとも動かず、意識は戻らない。
「いやだ、いやだよ。いや、やめて」
声を聞かせてよ。私を呼んでよ。いやだ、いやだよ。せな、せな、せな。お別れなんていや。どうして。なんで、こんなことに。さっきまで一緒に楽しく話していたのに、歌っていたのに、約束したのに。いや、いや、信じたくない。
私から、瀬名を奪わないで。いやだ……。
「私を一人ぼっちにしないで、瀬名……」
私の悲痛な声にも、彼女は反応しなかった。
もう駄目だと悟った。凄惨な光景に精神が強制的に終了した。
瀬名が×んだ。世界は終わったんだ。光は消えた。
もう×んでしまいたい。消えてなくなってしまいたい。それなのに、私は×ねない。どうして、私は生きている? 彼女が×んだ世界に何の意味がある?
「いやだ、いや、いやだあああああああああ」
横たわったままの瀬名を抱きしめる。冷え切った身体に恐怖する。目の前の現実に絶望する。動かない彼女に、
「あっ……」
……動いた。
トクン。
かすかだが、心臓が動いた。
「生きている、瀬名が生きているっ……!」
弱々しくも音を奏でていた。
迷っている暇などなかった。まだ生きている状態、奇跡的に生きている状況で、何もしなければすぐに終わりを迎える。
あの時、私はあまりに無力な存在だった。
だが、今は違う。
もう間違えない。
もう悲しい想いはしたくない。
――私、ミラさんの引退、絶対に認めませんから!!
――ミラさんは本当に吸血鬼なんですね。
――一緒に岡山に行こうか。
――私は誰も吸血鬼化させたことはないよ。
――400mlぐらい私の血を飲ませないと吸血鬼化はしない。
――世界の理。
――待っていてください。
――献血並みですね。
――死んだ人間を生き返らせることはできない。
――光を見たから。
――夢を果たして借り物じゃ無くなったら、瀬名灯乃の気持ちをミラさんに伝えます。
――私は、瀬名灯乃が好きだ。
夢をみた。
約束を何個もした。
夢の果てを、信じた。
小さな灯を失いたくない。
ここで終わりにしたくない。こんな悲惨な結末を私は許さない。
この世界が定めた運命だとしても、私は抗う。絶対に認めない。そんな運命は私が変える。
たとえ、瀬名が望んでいなくても――。
「っつ!!」
落ちていた破片で躊躇わず自分の腕を切った。痛さを受け入れ、噴き出す赤に望みを託す。
あふれ出す血を瀬名の口元に持っていき、飲みやすいように顔を傾ける。
「間に合って、間に合ってくれ……」
キミのために、私はキミという存在を変えてしまう。
だがどんなに恨まれようと、手放しくなかった。お別れしたくなかった。
光、瀬名は私の光だった。
私は幸せだった。ただ瀬名がいるだけで幸せだったんだ。禁忌を犯そうとも、どんな罪を受けようとも私は瀬名に生きていて欲しかった。
夢を叶える彼女を見たかった。彼女の笑顔が見たかった。私の名前を呼んでほしかった。
光を見たから、と私を吸血鬼にした奴は笑った。その気持ちを、やっと本当の意味で理解できたかもしれない。
彼女の輝かしい未来を消そうとも、
彼女を私と同じ化け物にしようとも、
私は彼女に生きていてほしかった。
「………………ははっ」
私の願いは届いた。
私の呪いが彼女を蝕んだ。
世界を裏切り、運命を欺き、永遠のスペルを刻んだ。
元通りの足。健康そうな腕。落ち着いた呼吸。規則的な鼓動。
穏やかな寝息をたて、彼女の時計は再び動き出した。
もう止まることのない針が廻り始めた。
「……はは、はははははははっははっはは」
もう間違えない。
もう悲しい想いはしたくない。
私は光を見つけてしまった。小さな小さな灯。
その光を絶やしたくない。
だから、私は躊躇うことなく罪を犯した。
「……おかえり、瀬名」
彼女の濡れた髪を優しくなでると、「……ぅん」と小さく反応した。
この日、私は瀬名灯乃を吸血鬼にした。
彼女を生かすには、それしかなかった。
たとえ、世界の理から外れようとも私は光が見たかった。
雨はもう止んでいた。
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