16章 _Wonderful World④
怖い夢を見た、気がした。
「六路木さん、どこにも異常はありませんでした」
「そうですか、良かったです!」
久しぶりに六路木の苗字を呼ばれ、どこか落ち着かない。
レントゲン写真、CT検査の結果をお医者さんに見せられるも、問題ないと告げられ、安堵する。
昨晩、私はラジオ局から帰る途中に急に倒れたらしく、ミラさんが慌てて病院に連れて来てくれたのだ。病院で朝から様々な検査を受け、今に至る。倒れた時のことは覚えていなく、「疲れか、貧血でしょう」とお医者さんに診断された。
「じゃあ、今すぐ退院ですね!」
「点滴うっときましょうか」
「大丈夫です、スーパー元気です!」
「無茶するとまた倒れますよ」
「……はい、言うこと聞きます」
「お昼過ぎには帰れるんで安心してください」
原因はわからないが、無茶をしてはいけない。
「ありがとうございます」とお医者さんに感謝し、看護師さんに元いた個室に連れていかれる。他の部屋が埋まっていて、運良く個室が用意されたのだ。大したことなかったので、広々とした病室に申し訳なさを感じる。
点滴を準備すると看護師さんはいなくなり、一人になった。
「……何ともなくてよかった」
明日が本番のライブだというのに、急に倒れるなんてどうしたのだろう。今までこんなことはなかった。思った以上に、切羽詰まっていたのかな。オフ日だったから無理はしていなかったけど、今までの疲れが蓄積されていたのかもしれない。
携帯を見るとエスノピカの二人からや、事務所社長の片山恵実さんからの連絡が何通もきていた。ミラさんから恵実さんに連絡がいき、恵実さんから二人の事務所に連絡し伝わったとのことだった。予定なら昼から会場近くのスタジオで軽めのレッスンだったが、私抜きとなった。
「心配かけちゃったな……」
心配だけでなく、本番前に迷惑もかけた。でも砂羽と鈴から私を責める言葉はなく、心配する気持ちと私を想う言葉しかない。
エスノピカのスタッフにも恵実さんが連絡をしてくれたらしい。早く合流したいが、焦ってはいけない。
そういえば、ミラさんからの連絡はなかった。ミラさんが私をここに運んでくれたのだ。誰よりも心配しているだろうなと考えていると、
コンコン。
扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞー」
扉が開き、銀色の髪の彼女が飛び込んできた。
「瀬名!」
ベッドで上半身を起こしたままの私に、駆け寄ってきた彼女が抱き着く。
「せなっ、せな……」
「ミラさん、ごめんなさい。心配かけて」
しっかりと抱き着かれて、ミラさんの表情が確認できない。泣いている気がして、空いている手でそっと抱きしめる。
「安心してください、何もありませんでした」
「……うぅっ」
「お医者さんからも大丈夫だって」
「…………うん」
「ここまで運んでくれたのはミラさんですよね。お騒がせしました」
ふとミラさんから目線を外し、顔をあげるともう一人の女性と目が合った。病室に入ってきたのはミラさんだけじゃなかったらしい。ベッドの側に社長である恵実さんもいた。
「恵実さん……!」
「私のことはいいから、ずっと心配していたミラを慰めてあげなさい」
ミラさんからの熱い抱擁の一部始終が見られていたと思うと恥ずかしい。
「恵実さん、各所にご連絡ありがとうございました」
「それぐらい平気。瀬名さんが無事で良かった。それだけで私は十分よ」
「ご心配おかけしました」
「いいのよ。ミラから連絡がきたときはもう本当に驚いたけど、無事で本当に、本当によかった……」
徐々に声が弱まっていき、恵実さんまで泣きそうだ。つられてこっちまで泣きそうになってしまう。私愛されているな、と胸が熱くなる。
「これで夢を果たせます。……ドクターストップはないですが、事務所ストップはないですよね?」
「さっき私もお医者さんと話したわ。何も問題ないってことで、許可します。でも、無理だけは絶対にしちゃ駄目よ!」
「はい、何かおかしいことがあったらすぐに連絡します。無茶しません!」
「約束よ」
「はい!」
元気すぎる声ね、と社長さんに苦笑いされる。
良かった。私は問題なく明日ステージに立てる。
前日になって出演中止になったら死んでも死にきれない。夢目前にして出られないなんて、最悪すぎる結末だ。
「今まで頑張った成果を出してね」
「はい、最高のステージにします!」
点滴が終わったら、この後はタクシーでそのまま会場入りだ。荷物は一度帰ったミラさんが持ってきてくれた。改めてミラさんに感謝しようと、抱き着くのを辞め、離れた彼女をみる。ベッド傍に立つミラさんはただただ、私をじっと見ていた。
「……ミラさん?」
黙ったままの彼女が気になった。
「どうか、しました?」
「いや、……何でもないんだ」
何か言いたそうで、でも口にしなかった。
ミラさんの言葉が聞きたい。だから、私は求めた。
「私に言葉をください」
「……瀬名、待っているよ」
「はい、明日、瀬名灯乃はあなたと同じ舞台に立ちます」
ミラさんは元気なく、弱々しく笑った。
この日、ミラさんを見たのはこれが最後で、サマアニ本番になるまで会うことはなかった。
× × ×
瀬名に会えた。
瀬名の温度を感じた。
瀬名の鼓動を確かめた。
「ミラ、少し話していきましょう」
瀬名の病室から出て、私と恵実は病院外のベンチに座った。恵実が近くの自販機でブラックコーヒーを買ってくれ、私に渡す。だが開ける気にならなかった。
見上げた空は、曇っていた。
「瀬名さんに何もなくてよかった。瀬名さんが倒れた連絡を聞いた時は、心臓が止まるかと思ったわ」
「……あぁ」
恵実が立ち上がり、安堵した表情で私に話しかける。
「いきなり倒れたなんて本当にびっくりしたんだから。ミラが近くにいてくれてよかった。ありがとう、私の事務所の大切な子を守ってくれて」
「………………」
私の目を見て、本気で感謝する彼女に何も言えなかった。
――守ってくれて。
言葉を返せなかった。
「……ミラ?」
「私は」
ありがとう、なんて言われる資格なかった。
「私は守れなかったよ」
「……どういうこと」
黙ったままの私に、彼女の顔が曇っていく。気づいたのだろう。瀬名の他に、恵実だけが知っている事実。
開けたばかりのペットボトルのお茶を落とし、両手で私の肩を掴んだ。
「ミラ、あんたもしかして瀬名さんを……」
あぁ、その通りだ。
「仕方……なかったんだ」
「あんた、なんてことをしたのか、わかっているの!?」
語気が強い。恵実が怒るのも当然だ。
取り返しのつかないことを私はした。
「わかっている、わかっているさ!」
「どうして!」
「私も瀬名も車にはねられたんだ」
「く、車? は、はい?」
ただ倒れたと嘘をついたが、事実は違う。
昨晩、私と瀬名は車に引かれた。
吸血鬼であった私は生き返り、無事だった。だが、彼女は……。
私の話を聞いた彼女の勢いが失われる。
「でも、それでも……」
肩を掴んでいた力も弱まり、言葉が続かない。
「じゃあ、何もしなければよかったのか」
「…………それは」
「目の前で死んでいく瀬名を、ただただ眺めろっていうのか」
できない、そんなことはできない。できなかった。
「もう少しで夢が叶う、そのために必死に演技して、努力して、頑張ってきた女の子を見殺しにしろというのか」
「……ミラ!」
泣いていた。私の名前を呼び、恵実が泣いていた。
「目前だった。目前だったんだ。どうして、どうして瀬名がこんな目に合わなきゃいけなかったんだ!」
「ごめんなさい、ミラ。わかった、わかったから。もうやめて」
抱きしめられた。恵実は震えていた。私より大きな体を小さく震わせて、声も揺れていた。
「あなたに罪を背負わせて、ごめんなさい……」
……私は? 私の目から涙は消え失せ、心は何も感じなかった。
ただ虚ろに世界を眺めていた。非情で、残酷な世界を恨みながら、呪いながら、そして私に与えてくれた『間違った』力に感謝しながら。
「……瀬名さんは、わかってないのよね」
「瀬名はまだ知らない」
私の『罪』を彼女は知らない。気づいた様子はなかった。
「どうするの、ミラ」
「……明日のライブが終わってから告げる」
それまでは、夢のままでいさせてあげたかった。
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