16章 _Wonderful World③

「ミラさん!」


 瀬名の声に反応する前に、身体が宙に浮いた。


 ――衝撃。

 

 痛さの後に、横から車が突っ込んできたのだと理解した。鉄の塊。こちらの信号は青だった。滞空時間が長い。私の身体が重力を忘れ、世界が何回転もする。

 目の奥が痛くて、頭の中で火花が弾ける。痛い、痛い、痛い、痛いイタイいたイいたいタい。

 地面に着くまでが長く感じられた。


「っつああぁ!!!」

 

 受け身がとれるわけもなく地面にまともに叩きつけられ、声にならない声をあげる。二度目の衝撃。だが声は出た。同時に、全身が絶望的な悲鳴をあげる。骨が折れている。身体の中がぐちゃぐちゃだ。口の中が血の味しかしない。想像を絶する痛みに心が追いつかず、ただただ痛みに苦しむ。


「ぁあぁあああああ……」

 

 死の恐怖を感じ、終わってくれと願う。


 そして、


 ――死んだと思ってから、戻る感覚。

 死なない吸血鬼である私の特性。不死の力が働く。


 骨が折れたのに、血が流れたのに、細胞が血液が蠢きだし、身体が再構成されていく。受けた痛みにさらに戻ろうとする力が上乗せされ、身体中に激痛が走る。

 口から血が混じったよだれが流れ、瞳から溢れ落ちる涙が止まらない。死んだ方がマシだと思う絶望。

 死ねない私だけの痛み。

 もう二度と味わいたくないと思ったのに、また味わってしまった。意識を失った方が楽だったろうに、意識はハッキリとしていて感覚は鋭敏だ。

 指がぴくぴくと反応し、足の先まで血が循環したような奇妙な感覚を味わい、再生を実感する。

 地面から体を起こし、身体が動けるようになったことを理解する。


「っぅて、はぁ」


 まだ喉が上手く再構成されていない。が、徐々に息が整う。

 再生はまだ完全に追いついていないが、私の身体は復活していた。気分は最悪だ。


「はぁ、はぁ……」


 状況を確認する。

 車に引かれた、らしい。少し先を見ると私に激突した車が電柱にぶつかり、大破していた。ここからでは運転手の生死はわからない。が、そこまでたどり着く力はない。身体から痛みは消えつつあるが、心からは消えない。直前に感じた身を焦がすほどの激痛、切り裂かれたような鋭い痛覚が残り、吐き気が止まらない。全身から水分を失った感覚に陥りながら、逆流するような気持ち悪さが治まってくれない。

 でも生きている。生きてしまっている。

 死ぬような状況だったのに、何事も無かったかのように私は生き返ったのだ。

 ――


「……え」


 私は、だ。

 青ざめる。

 吸血鬼の私は生き返った、だが、

 瞬間、最悪の想像をしてしまう。

 

「……せ、な……?」


 車に激突されたのは私だけではない、はずだ。

 急いでぐるりと周りを確認する。


「せな……せな……」


 瀬名の姿が見えない! 瀬名の声が聞こえない! 瀬名が私に駆け寄って来ない!

 事故があったというのに静かすぎて、暗闇に恐怖する。夜に生きる吸血鬼なのに、初めて暗闇に怖気づいた。

 ……瀬名、瀬名!!


「どこ……、どこだ!!」


 大きな声はまだ出ない。だが、喉が潰れようと懸命に声を発す。

 私の名を呼んだ女の子を必死に探す。まだ視界がぼやけていて、よく見えない。涙と血が目に張り付き、混ざり合い、邪魔だ。


「返事をしてくれ、せな!」


 雨音がやけにうるさい。

 他に人はいない、車も通らない。


 ただ突然に、無秩序に世界を壊した。


「せなー、せなああー!」


 雨が降っている。

 止まることなく、私が呼ぶ声を消すように長く、強く、そして、



 ぺちゃ。


 嫌な音がした。

 自分の足元から聞こえてきた。

 

 目線を下げる。赤色。その色は赤だった。吸血鬼の私の目とは違う赤。眩しくなくて、淀んだ赤。


「そ、んな」


 恐怖が体を支配する。震えが止まらない。雨足がさらに強まり、赤が跳ねた。

 赤の先を確認する。


 赤、

 赤、

 赤。


 暗闇の中に赤が続く。流れてきた先には、真っ赤な水たまりができていた。


「……せ、な」


 彼女を見つけた。


「……せな、せなあああ!!!」


 赤色の中で横たわる彼女を私は発見した。

 声は返ってこず、雨音だけが世界に響いた。

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