16章 _Wonderful World②
放送局から出ると、伊勢崎さんの言う通り雨が降っていた。
「けっこう強めですね」
「天気予報では晴れるといっていたのにな」
夏なので、すぐに天気も変わる。私の上げ下げの激しい感情よりも心変わりが早い。
渡されたビニール傘を開き、ミラさんが横に入ってくる。
ミラさんはバッグに入るサイズの日傘を常に携帯しているが、濡らしたくないとのことで雨の日は別に傘を持ってきている。が、今日は持っておらず、コンビニで買う所だった。1本しか貸してくれなかったけど、伊勢崎さんに感謝する。
「ライブ本番は晴れるといいですね」
「アリーナは屋内だから雨降っても大丈夫だけど」
「お客さん的には荷物増えるんで、やっぱり晴れた方がいいです」
駅まで一緒の傘に入り、歩いていく。
「夏は日差しがきついんだよ」
「吸血鬼ですもんね」
「でも、じめじめするのも嫌だ」
「欲張り」
「欲のない生き物だよ」
「腕噛むのは何欲で?」
1本じゃ狭くて、濡れないように密着する形になっている。
相合傘だ、と思うも今さらドキドキはしない。この1年、隣にはいつもミラさんがいた。居心地よくて、落ち着く距離感。恋人を通り越して、長年寄り添ったふ~ふのような関係になってしまっているなとちょっとだけ反省だ。
「ついに明後日ですよ、アリーナでのライブ」
「あっという間だったな」
「やっとここまで来ました」
「2年目の若造がいうか?」
ミラさんの言う通りだ。声優デビューして1年半で夢が叶ってしまう。でも私にとっては長かった。
「瀬菜がいなくなってから、たくさんの時間が経ちました」
「……そうだな」
「吸血鬼のミラさんからしたら、一瞬のことかもしれないですけど」
「尺度の問題だよ」
ミラさんの1年と、私の1年は同じ時間でも違う。でも、声優の間だけは同じ尺度でいられることを信じている。
永遠の中の、一瞬。
短い奇跡の中を、私たちは共に過ごしている。
「明日の夜は会場近くのホテルで宿泊なんで、ミラさんには会えないかもですね」
「会っている暇はないんだろうな」
現場で会えるかもわからない。ライブ前にまともに話せるのはこれで最後かもだ。
「ちゃんと当日は起きられるんですか? モーニングコールします?」
「いらんいらん。夜から起きたままだろうな。愛用の棺桶を持っていくわけにもいかないし、起きられる自信がない」
「……大丈夫ですか?」
「まぁ、なれっこだよ。ライブ前は会場の楽屋でアイマスクをしてうとうとしているのがルーティンだ」
「不健康なルーティンですね」
ライブ中のミラさんの神々しさ、別世界のようなオーラは寝不足からきているのかもしれない。
「仕方ないさ、遅刻できないし」
「栄養ドリンク……は効かなそうですね」
「吸血鬼だが翼は授かれないな。その代わりに会場で瀬名の腕噛ませてくれたらバッチリと目覚められそうだ」
「夢の舞台の裏で、いかがわしいことしたくないです! 嫌です、断固拒否します」
舞台の衣装は半袖なので、腕を噛まれるとその部分を露出することになる。そこにファンの大歓声をもらったり、ペンライトで応援してもらったりされたら、なんだか失礼だ。……ライブ後なら瀬名の腕空いていますよ? 恥ずかしくて言えない。
「瀬名は夕方の登場でよかったわ。睡眠バッチリで見られる」
「他の出演者もみてくださいよ……。ミラさんも夕方ですよね。ミラさんのあとに2組あって、私達です」
夜も遅く、雨なのでほとんど人がいない。車もほとんど通らず、静かすぎて私達だけの世界に感じられる。
「自分が終わった後だから気楽だな」
「私は緊張しすぎで、ミラさんの歌を平常心で聞けなそうです」
「私に並ぶんだろ? 緊張させてやるよ~」
「このイジワル吸血鬼めー」
もう5分ぐらいしたら駅だ。
雨が強いのに、どっちが言わずとも少し遠い駅に向かって歩いていた。話したい気分だったのかもしれない。伊勢崎さんに言われて恥ずかしくなって、熱を冷ましたかったのかもしれない。
お家に帰っても一緒なのに、少しでも同じ時を歩みたかった。
赤信号の前で立ち止まり、ライブでの秘密を少しだけ漏らす。
「今回のライブで、ちょっとだけワガママをいったんです」
「へー……どんな?」
「それは当日の楽しみです」
「少しぐらいいいだろ?」
わざわざ話したのは私だ。ちょっとぐらい伝えてもいい。
「透花である私も認めたかった」
演じる私と、私の夢。
瀬菜と、透花の約束。
「なるほど、そりゃ楽しみだな」
ミラさんは笑って応えた。
信号が赤から青に変わり、止まっていた足を動かす。
進む方向を遮るように白のラインが並び、白と黒が交互になる。そういえば瀬菜は横断歩道を渡るとき「私は選ばれし者になるまで、白いラインは踏まない!」とか言ってたな。幼稚園児か!とその時は思ったが、なんだか瀬菜らしくて微笑ましい。そんな彼女に倣い、私も白線を踏まないで進む。
瀬菜、もう少しで私も選ばれしものとなる。ミラさんからも選ばれるといいな、と調子良いこと思ってしまう。
「~♪」
ミラさんが上機嫌なのか、エスノピカの歌を口ずさむ。嬉しくなって私も声を合わせる。
「~♪」
「~♪」
共演はするが今回のライブで一緒に歌うことはないだろう。いつかこうして二人だけで歌いたい。夢は終わるが、どんどん増えていく。ミラさんの引退に期限はあるが、欲はつきない。これからが待ってい、
違和感に気づいたのは私が先だった。
暗闇の中で光は見えなかった。
でも、音は近くに迫っていた。駆動する音が止まらない。ブレーキの音はなかった。
「ミラさんっ!」
叫んだ時には遅かった。
私は傘を投げ捨て、そして――、
衝撃音が暗闇に響いた。
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