10章 戻れない日々⑤

 新しい年度になり、私は服飾専門学校に入った。


「瀬菜ー、お疲れ」

「今日も来てくれてありがとう。……透花、毎日無理して来なくてもいいんだよ?」

「無理してないよ。私が瀬菜に会いたいから来てるの」

「……うん」


 学校に行った帰りは、必ず瀬菜のお見舞いで病院に訪れた。たとえ課題が忙しくても、天気が悪くても、毎日瀬菜に会う日課は高校生の頃から変わらなかった。……変えたくなかったのだ。


「見て。授業で衣装のデザインを描いたんだ」

「すごいね。あっ」


 瀬菜の手から渡したスケッチが落ち、床に散らばる。


「ご、ごめん」

「ううん、大丈夫だよ! 拾えばいいだけだから」


 もうきちんと握れないほどに、彼女の握力は弱くなっていた。泣きそうになるのを拾いながら、下を向いて誤魔化す。

 顔を上げる時には明るい表情に変え、声のトーンをあげる。


「そうだ、聞いてよ。ミラさんのライブがまた秋にあるんだって! 今度は神戸に来るらしいよ。行こうね、瀬菜」

「……その時まで生きられるかな」


 表情も変えずに、悲しいことを告げる彼女。

 諦めないでと願いを込め、彼女の手を握る。ひんやりとして、細くなった手に現実を知る。それでも、私の声は抗う。


「大丈夫だよ。大丈夫。瀬菜は大丈夫だって!」


 根拠のない自信。それでも、諦めたら駄目なんだ。

 けど、すでに目の前の女の子の心は折れていた。


「夢、叶えたかった」

「瀬菜……」

「声優になって、私を知ってほしかった」


 この世から去ることを、もう決まったこととして、


「大きな舞台で歌いたかった」


 思い描いた夢を、過去のこととして、遠い目をして、


「千夜ミラに負けないぐらいの声優になって、透花の綺麗な衣装を輝かせたかった」


 叶えられない夢と諦めきっていた。

 ……そんな彼女に私は何が言えるのか、何ができるのか。

 

「駄目だよ。諦めないで、叶えるんだよ。病気を治して瀬菜は声優になるんだよ」

「……ごめんね」


 言葉は響かない。治ることのない病を前に、私の声は意味を持たない。

 声をらしても、必死になっても終わってしまっている。


「謝らないで、謝らないでよ。夢は終わってないんだよ」

「泣かないで、透花」

「泣いてないよ。泣きたいのは瀬菜だよ。私なんかが泣いていられない」


 自分が1番辛いはずなのに、ベッドの側で膝つき、泣く私の頭を撫でる。心配した顔で、優しく髪に触れる。

 

「ありがとう、透花。嬉しいよ。透花がいたから私も明るくできているんだ。でも、もう無理なんだ」


 夢を見せたい。

 彼女にもう一度夢を見て欲しかった。

 一人じゃない。私たちは二人だ。


「一人になると寂しさで、どうにかなりそうなんだ。私の涙は枯れちゃったよ。終わりが近いことを悟ってしまうんだ」


 瀬菜が諦めても、私は諦めない。


「……終わりじゃない」


 終わりにしてはいけない。

 あの日、約束したのだ。

 あの日、憧れを見つけたんだ。

 あの日、私たちは光を知ってしまったんだ。


 瀬菜が私に声をかけたあの日から、私の日常は変わった。

 「全部、透花がくれたんだよ」と彼女は言ったけど、足りない。瀬菜の方がもっと私にくれた。瀬菜がいたから、自分を、透花を好きでいられた。


 だから、今度は私が変える。


 涙を手で拭いて、私は覚悟を決める。


「瀬菜、聞いて。私は終わらせない」


 瀬菜が立てないなら、私が代わりに立つ。

 瀬菜が声を出せないなら、私が代わりに叫ぶ。


「私が、舞台に立つよ。私が夢を見せる」


 瀬菜が夢を見れないなら、私が夢を見る。


「それって……」

「そう、私が声優になる。瀬菜みたいに上手くいかないし、不格好かもしれないけど、頑張るよ」

「透花が、声優……?」

「バカみたいな考えだよね。でもね、無理なんてないんだよ」


 あまりに無謀な考え。けど、私にはこれしか思い浮かばなかった。


「瀬菜は私の中にもいる。瀬菜から貰った気持ちを皆に、渡してあげるんだ」


 私が、瀬菜の代わりに声優になる―。


「私が声優になるなんて奇跡を起こせたら、瀬菜の病気だってきっと大丈夫」


 私が瀬菜になって、声優になる―。


「セナはこんなんじゃないよ!って私を見て、笑ってよ。私より、瀬菜の方がもっと歌えるよって私の席を奪ってよ。待っているから、ずっとずっと。無理じゃない。無理じゃないってことを見せてあげる」


 立ち上がり、手を伸ばす。


「だから、生きて。夢を叶えるところを見て」


 恐る恐る瀬菜が手を伸ばし、私の手を掴んだ。

 手にした。

 彼女は光を求めた。

 もう一度、あの舞台を夢みた。


「透花の手は、あったかすぎるね」


 久しぶりに彼女が笑った。笑ってくれた。


「……嬉しい。夢を見せて、透花」

「うん、絶対、絶対に叶えるから」


 約束した。その言葉は祈りにも、呪いにもなる永遠の魔法。


「私たちの夢は終わらない」


 嬉しそうな表情をした彼女の顔を、私は一生忘れない。




 それから数ヶ月。

 暑い季節の中、瀬菜の病気が治ることはなく、彼女は息を引き取った。

 瀬菜がこの世から、消えた。


 何日も泣いた。

 全身の水分が枯れるほどに泣いた。

 専門学校を休んでも、親は何も言ってこなかった。

 人生に光が消え、真っ暗になった。


 けど、人生は終わらない。終わりなどなかった。

 私の大事な人を奪っても、人生は続く。続いてしまうのだ。



 私は服飾学校に戻り、勉強する日々を再開した。何のために勉強するのか、何のために服をつくっているのか。わからないけど、それでも何も考えたくなかった。


 冬が終わり、新しい年になった。

 一人だった。私は一人。

 もう私の手を握ってくれる人はいなかった。


 そんなある日、私は見つけたのだ。


「……オーディション」


 数々の名曲を作り上げた後藤プロデューサー企画の、一大声優グループプロジェクト、『スターエトランゼ』。携帯に表情された画面から、目が離せなかった。


 高校生の私は言った。声優になるには養成所に入るか、オーディションを受けるのだと瀬菜に言った。

 目の前に機会が転がっていた。


「そっか。……そうなんだね、瀬菜」


 思い出す。

     私を知ってほしいんだ。

   ともかく、私がいてくれてよかった、って思われたいんだ

全部、透花がくれたんだよ。    私ね、声優になりたいの。

  瀬菜にぴったりの仕事だなって。  アリーナの大きな舞台だって、瀬菜が1番輝けるよ。     ミラさんと一緒に並んだって、負けないよ。

    違うよ、透花。何色にもなれるんだよ。

 二人の夢が出来たね。


 真っ暗だった目の前に、スポットライトが灯り、道ができた。

 

 まだ、夢は終わらない。

 瀬菜はいる。私の中に生きている。そうだ、言っただろう? 私がセナになって叶えればいい。

 それが、何色にもなれる私の役目。

 瀬菜がここにいると示す。セナはアリーナに立つすごい子なんだと見せつける。セナは歌姫・千夜ミラに負けないすごい子なんだと声をあげる。

 

「私が、セナになるんだ」


 猛特訓が始まった。

 毎日走る。ともかく走る。

 瀬菜の写真を見た。瀬菜の笑顔、瀬菜の表情。何でも真似した。

 瀬菜との映像を見た。瀬菜の喋り方、瀬菜の特徴。何でも覚えた。

 瀬菜、瀬菜、瀬菜。

 できることは全てした。

 私は、瀬菜にならなくちゃいけなかった。


 世界が変わった。

 真っ暗に沈み込んだ世界が、瀬菜によって照らされて光を手に入れた。


 私は、彼女セナになることで前を向けたんだ。


 そして、


「瀬名灯乃です。私はスターエトランゼに入って、この名をたくさんの人に知ってもらいたいです。アリーナに立ち、輝く声優になります」


 執着は形となって、結果を出した。

 


 × × × 

 

「これが瀬菜と、瀬名灯乃になった私の物語です」


 どれほど語ったのだろう。目の前のミラさんは口を挟むことなく、静かに私の話を聞いてくれた。


「私は壊れていたんだと思います。でも、壊れていたから親友の瀬菜になれた。私は私を捨てることができた」


 自覚している。狂っているのは知っている。

 でも、これが救いだった。瀬菜のために生きるのが、残された私の使命。


「間違っているのはわかっています。意味なんてないかもしれない。ただの自己満足だ。でも、私にはこれしかなかった。こうするしかなかった。だって、瀬菜が私の中でまだ生きているから、演じるしかなかった。夢は終わってないんだから!」


 目の前の吸血鬼がやっと口を開いた。


「瀬名、あーややこしいな、お前の言いたいことはわかった」

「ありがとうございます」

「でも、狂ったままなら良かった。徐々に魔法が解けているんだろ」


 そう、だから私は比嘉ちゃんの言葉に戸惑い、悪夢を見て、才能の差に焦った。

 セナを見失いつつある。望んでないのに、セナが薄くなっていく。私が混じってくる。


「……私は所詮演じた偽物、まがいものなんです。完璧に瀬菜になれない。もうここが限界なのかもしれません」


 執着で声優になれた。なれてしまった。

 けど、本物ではなかった。所詮、私は私なんだ。瀬菜じゃない。


「だから、」

「演じて、何が悪いんだ」


 私が諦めの言葉を口にする前に、ミラさんの言葉が響いた。

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