10章 戻れない日々④
「瀬菜はどうして声優になりたいの?」
帰り道、私は養成所に受かった彼女に尋ねた。
「私を知ってほしいんだ。……ナルシストって思わないでね?」
「思わないよ。知ってほしいか……」
「有名になりたいとか、ちやほやされたいとか、そういうことじゃないよ。言葉にするのは難しいな……」
赤信号が青になっても、彼女は言葉を探したままで動かなかった。私も、立ち止まって言葉を待った。
「私が生きた証を残したい……、やっぱり自分大好きみたいな感じになっちゃうな。ともかく、私がいてくれてよかった、って思われたいんだ」
言いたいことはわかった。自分が存在したことを示し、影響を与えたい。
「私はいつでも思っているよ。瀬菜と出会えてよかった」
「ありがとう。そんな気持ちをもっと届けられたら素敵だなって思うんだ。声で誰かを幸せに、歌で誰かを励ましたい」
熱心に語る彼女は輝いていて、夕陽に染まる姿は映画のワンシーンみたいだなと思った。
「千夜ミラのライブを見て、すっごく感動したんだ。私もああなりたい。ファンを泣かせたい、ファンを元気にしたいってね」
私が誘ったライブで、瀬菜は夢をいだいた。元からあったものかもしれなかったが、あの時にハッキリとしたものとなったのだ。
「全部、透花がくれたんだよ」
「瀬菜……」
「透花に出会ったから、ただのオタクだった私が夢を持てたんだ」
彼女の言葉に泣きそうになってしまう。
「ありがとう。嬉しい」
何気なく聞いた、声優になりたい理由が、私に関わっているなんて知らなかった。私も瀬菜のためになれているんだって嬉しかった。
一人じゃなかった。二人だったから、新しい景色が見えた。
瀬菜が私の手を掴み、再び青になった信号を一緒に渡る。
何度も手を繋いだことはあるが、いまだに慣れない。ドキドキする鼓動が伝わってしまいそうで、不安に思ってしまう。
「透花の手はいつもあったかいね」
「瀬菜の手はひんやりしている」
「手が冷たいと、心が温かいらしいよ」
「冷たい性格でごめんね」
「私は、透花が性格もあったかいって知っているよ」
この帰り道も、あと少しだ。
年が明けたら、ほとんど学校に行くことはなくなり、こうやって瀬菜と話せることも少なくなる。手のひんやり感も今だけだ。
「卒業したら、離れ離れだね……」
高校を卒業したら別々の道だった。
東京の養成所に行く瀬菜と、岡山に残る私。距離の遠さは思っている以上に大きい。岡山と東京では気軽に会える距離ではなくなる。
でも、一人にはしない。離れるのは少しだけ。永遠ではなく、一瞬だ。
「大丈夫だよ。今は離れ離れになるかもしれないけど」
私にも決めていたことがあった。
「私もいつか東京に行くから」
彼女は話してくれた。だから、私も夢を語ろうと思った。
「ねえ、私の夢も聞いてくれる?」
「うん、もちろんだよ」
「私、衣装スタイリストになりたいんだ」
初めて話す、私の夢。
「ライブで歌う人の衣装をつくりたい。輝く舞台をさらに華やかにするための手助けをしたいんだ。……瀬菜?」
手を握ったまま彼女が立ち止まるので、引っ張られた。
彼女は目を大きく開き、興奮気味に話した。
「……すごい」
「え?」
「すごい、すごいよ!」
「え、え?」
「アイドルやライブに携われるなんて、夢のような仕事だね。透花にピッタリすぎる夢だよ! 透花がつくってくれた衣装素敵だもん」
高校にも手芸部はなかったが、高校の文化祭の度に私は衣装をつくっていた。文化祭では、クラスで演劇をさせられるのだ。私は自ら立候補し、出演者の衣装を手掛けた。それもこれもクラスで1番票が入って役者に選ばれた、瀬菜をさらに輝かすためだ、なんて言ったことはなかった。
けど初めて自分の趣味が役立ち、舞台で輝く瀬菜を見た時、感じたことのない喜びを覚えた。そして千夜ミラのライブで、演者を惹きたてる衣装を見て『これが私のしたいことだ』と確信したのだ。
私も、瀬菜も同じだった。同じ時に、別の夢を描いた。
「ねーねー。衣装スタイリストってことは私がステージに立つとき、透花が衣装をつくってくれるんだよね?」
「うん、もちろんだよ。瀬菜を1番輝かせるのは私なんだから」
強く握られた手が解放されて、代わりに抱きしめられた。
「せ、せな!?」
「嬉しい。嬉しいな!」
なかなか離してくれず、諦めて、私も腕を回した。
中学生の時は同じぐらいの身長だったのに、いつの間にか、私の方が背が大きくなっていた。抱きしめるとより実感する。小さな身体の中に、たくさんのエネルギーが詰まっている。人を幸せにするパワーがある。
「千夜ミラみたいに輝ける、かな」
「輝ける、瀬菜は輝けるよ。アリーナの大きな舞台だって、瀬菜が1番輝けるよ。ミラさんと一緒に並んだって、負けないよ。私が後押しするから」
「そうだね。透花の衣装があれば輝けるね」
抱きしめ合い、近くで聞こえる彼女の子がこそばゆい。誰も人が通らないのいいことに彼女はまだ離れてくれない。きっと心臓の鼓動は伝わっている。でも、いいやと思った。
この幸せな瞬間を、手放したくなかった。
「夢。二人の夢が出来たね」
「うん」
「透花が衣装をつくって、私がその衣装を最高の舞台で着る。同じ舞台には千夜ミラも立つんだ。彼女の輝きに負けず、瀬菜はここにいるぞ!と叫ぶんだ」
「うん、うん」
二人の夢。
一人じゃない、二人の夢。
幻でも、妄想でもない。
描くことのできる夢。
二人ならできる。
ようやく離れ、また歩き出す。
夢への会話は終わらない。
「服飾学校を卒業したら東京で就職する。離れ離れになるのは2年だけ。すぐに瀬菜に追いつくからね」
「うん! 私も声優になれるように頑張る。頑張るよ! ……2年で養成所卒業できるんだっけ?」
「もー、本当に瀬菜は調べないんだから! 養成所の間でも声優デビューすることだってできるよ。実力さえあれば、すぐにのし上がっていける。何年も学ぶ必要はないんだ。あんまりずるずるいかないでよね?」
「わかった。透花が東京に来る頃には声優になっているから」
「瀬菜なら、絶対に大丈夫。私が保証するから!」
絶対。
私は確信していた。彼女もそう信じていた。
なのに、どうして残酷なことをするのか。
絶対なんてなかった。
瀬菜との東京行きの送別会も済ませ、明日、東京に行くとなった時、瀬菜が倒れた。
「瀬菜!」
連絡を受け、すぐに病院に駆け付けた。
「どうしたの、何があったの?」
「ちょっと倒れちゃってさ。大したことないよ。ただの貧血だよ」
けど、そんなことはなかった。
瀬菜の身体は、すでに病で手遅れの状態だった。
× × ×
「透花、あのね、私の病気治んないだって」
「そんなことないよ、治る。治るって」
「駄目なんだ。治らないんだ。もう1年も生きられないだろうって」
「嘘だよ、嘘」
信じられない。信じられるわけがなかった。
日に日に弱っていく彼女を見ても、私は信じたくなかった。
「どうして瀬菜なの? これからなんだよ。どうして、どうして……」
「ごめんね、透花。夢、果たせなくなっちゃった」
自分のことでなく、私に気を遣う瀬菜。なんで、こんな時でも優しいんだ。
もっと取り乱していい。もっと嘆いていい。
もっとワガママでいい。
「夢なんていいよ、瀬菜が生きているなら、どうだっていい」
「ごめんね」
「……謝らないでよ、瀬菜。瀬菜は何も悪くないんだよ」
悪いのは世界だ。運命だ。意地悪な神だ。
瀬菜が何をした? 何も悪いことをしていない。夢を叶えたかった少女。声優になりたかった少女。養成所に受かって、チャンスを掴んだ。これからなんだ。
……私たちの夢を奪わないでよ。
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