10章 戻れない日々②

 唖然とするミラさんを前に、私は話し出す。

 私が、どうして『瀬名灯乃』という名前を使って声優をしているのかを。

 彼女との出会い。楽しい思い出。素晴らしき日々。

 ――そして、別れ。


「瀬菜との出会いは、私が中学1年生の時でした」


 戻れない日々を、私は話し始めた。



 × × ×


 今日も一人、電車に揺られ、学校に向かう。

 中学生にして、電車で学校に通うなんて珍しいことだろう。

 私立の中学校。

 小学校までは公立だったけど、私は中高一貫の学校に入ったのだ。親に言われるまま塾に通い、受験した。第一志望に無事合格し、電車の窓から流れる景色をぼけーっと眺めているわけだ。

 受験のせいもあり小学校の頃から友達と遊ぶことは少なく、勉強ばかりの毎日だった。今振り返ると、うちの母は教育ママだったのだと思う。

 小学校から私と同じ中学に行く人はいなく、新しい学校で私はなかなか友達ができなかった。だいたいが同じ小学校だった人たちで固まり、次に同じ部活のグループで固まるのだ。できているグループに入るには、それなりの勇気と根性が必要だった。

 

 なら部活に入ればいいのだが、入ろうと決めていた手芸部は存在しなく、あえなく帰宅部となった。他の文化部も見学したけど、どれも夢中になれそうになくて、見学もしなかった。下手に部活に入って、成績が下がったら親も怒るだろう。

 勉強だけこなして、家で趣味を楽しめばいい。中学生にしては夢のないことを考えながら、今日も一人の朝を過ごしていた。


 そんな時に、彼女に出会ったのだ。


「ねえ、そのバッグにつけているグッズってもしかして」

「え、わかるんですか……?」

「わかるわかる、リドクロでしょ」

 

 出会ったというより、近づいてきた。

 運命でも偶然でも何でもない。

 いつも通りの時間の電車に乗っていたら、女の子に話しかけられたのだ。

 そして、いきなりアニメの話をされた。

 同じ制服で、同じエンジ色のリボンをしているのできっと同じ学年の女の子だ。何度か電車ですれ違ったことはあるけど、私と同じオタクだなんて思わなかった。

 顔をじっくりと見る。……オタクには見えない。彼女は同じ中学生の私から見ても可愛い子で、クラスの中心にいるような見た目だった。

 

「今週の連載見た?」

「見た見た。ラックおじさんの活躍がかっこよくてさ」

「わかる、わかる。普段はやる気なそうなおじさんなのに、困った時に助けてくれるキャラってカッコいいよね!!」

「それなら、ザックもかっこよすぎだよね!」

「あーそれ! クールな眼鏡キャラってどうしてあんなにカッコいいの!?」

「戦闘中は眼鏡を外すのもカッコいいんだよね」

「ねー! 戦闘後眼鏡をクイっとするのがまた良くて!」

「それそれ!!」


 最初は手探りな恐る恐るの会話だったけど、すぐに好きなキャラの話題で打ち解け、気づけばびっくりマーク多めな、感情強めな会話になっていた。


「あ、降りる駅!?」

「危ない、危ない。おりまーす!」


 危うく、学校最寄り駅を通り過ぎる所だった。夢中になって話しすぎたかもしれない。

 目的地は同じなので、電車を降りてから学校まで一緒に歩いた。

 

「ね、友達になろう」

「うん、もっと話したいな」


 断る理由なんてなかった。こんなに話が合った子は、人生で初めてだった。


「あのー、お名前は?」

「あっ、ごめん。あんなに盛り上がったのにまだ名乗っていなかったね」

「ですね」

「私の名前は瀬菜っていうの」

「瀬菜。よろしくね、瀬菜」


 彼女は、広野瀬菜ひろの せなという名前だった。

 最初は『瀬菜』が名前だとわからず、苗字だと思っていてしばらく呼び捨てだった。気づいた時に『広野』に直そうとしたけど、しっくりこなくて『瀬菜』のまま続けた。


「私は、六路木透花ろくろぎ とうか

「ろくろぎ?」

「言いづらいよね。6の漢字に、道路の路に、木曜日の木。いつも聞き返されるから困るんだ」

「かっこいい!」

「へ?」

「ラノベのキャラっぽい苗字でかっこいい!」


 瀬菜は最初からこうだった。アニメっぽいとか、ラノベっぽいを好んだ。


「……そうかな」

「そうだよ。いいな~私なんて平凡な苗字だよ」

「平凡でいいと思うよ」

「六路木ちゃんって呼べばいい? いや、駄目だね。長い。下の名前でいい? 透花でいい?」


 私は、自分の名前が好きじゃなかった。

 透明な花。せっかく咲いた花でも色が透明なら、目立たず、誰にも気づかれず意味がない。親はどうしてこんな名前をつけたのだろうか。聞いてがっかりしたくなくて、詮索したことはなかった。

 けど瀬菜の言う通り『六路木ちゃん』って呼ばれるのは長いし、仰々しかったので、名前で呼ぶことを渋々許可した。


「透花、透花♪」

「そんなに呼ばないで、私自分の名前が好きじゃないんだ」

「えー。いい名前だよ」

「透明な花だよ。何色にもなれない」

「違うよ、透花。何色にもなれるんだよ」


 そう言ってくれて、私は初めて少しだけ自分の名前を好きになれた。


 出会ったその日から、私たちは友達になった。

 瀬菜と透花。

 どっちも草木に関係する漢字が入っており、コンビみたいだなって一人で勝手に喜んだりしたのは内緒だ。


 

 × × ×


 学校の行きは待ち合わせをし、帰りは互いのクラスのホームルームが終わるのを待って、毎日一緒に帰った。

 瀬菜も私同様に部活に入っていなかったのだ。


「本当は演劇部に入りたかったんだけど、この学校になくてねー」

「同じだね。私も手芸部に入りたかったけど、なかった」

「透花は手芸得意なの?」

「どうなんだろう。集中して黙々と作業がするのが好きなんだと思う」

「へー、いいな。そういうのあるって羨ましい」


 瀬菜は大抵のことを高水準でこなした。成績もテストの度に毎回10位以内に入るし、体力テストもかなり良い記録を出したらしい。クラスの女子が「広野さん、運動部に入ってくれたらいいのに~」と嘆いていた。

 求められない私とは、違った。


「私は瀬菜が羨ましいよ」

「私なんて、大したことないよ~」

「そんなことないよ! 瀬菜は楽しいし、可愛いし、綺麗だし、可愛いよ!」

「お、おう。そんなに熱烈に褒められたら透花に惚れちゃうよ、私」


 瀬菜は可愛かった。

 同性の私でもたまにドキリとしてしまうほど顔が整っていて、テレビに出ているアイドルよりも可愛いと私は思っていた。一緒に帰る途中に、「これ読んでください」と他校の男子にラブレターを渡されたことも何度かあった。けど、瀬菜は「ありがとう」とその場は受け取るが、基本すぐに捨てていた。

 「せっかくだから読んだら?」と言ったこともあるが、「興味ないから」で一蹴された。

 瀬菜が興味あるのは、私と同じく2次元の世界だった。


「瀬菜って、夢はあるの?」

「あるけど……恥ずかしい。まだ言えない」

「瀬菜も恥ずかしがることあるんだ」

「あるよ! 透花は私を何だと思っているの?」

「考えるより行動の、猪突猛進な女の子」

「わー透花がいじめるー!」

「でも、そんな瀬菜だから私のバッグについていたキーホルダー見て、話しかけてくれたんだよね」


 いくら同じ趣味を持っていようと、話したこともない人に話しかけるのは勇気がいることだ。変に思われたらどうしよう。怖がられるかもしれない。たまたま貰ったのを付けただけで、勘違いかもしれない。悪いことばかり想像してしまい、普通じゃ行動できない。

 瀬菜が頑張って話しかけてくれたから、私は楽しい日々を送れているのだ。


「いつか絶対に言うから! 親友の透花には隠し事しないから」

「わかった、楽しみにしているね」


 彼女が夢を話してくれたのは、中学を卒業し、高校生になってからのことだった。

 まさか、瀬菜が声優になりたい夢を持っているだなんて、中学生の私は想像すらしていなかった。

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