10章 戻れない日々
10章 戻れない日々①
「どうしたんですが、ミラさん。私は誰?って。私は私ですよ」
目の前の女の子は開き直ったが、私は認めない。
「悪い、寝言で聞いたんだ。『せな、いかないで』って」
「あー……」
まだ誤魔化すことはできただろう。
けど、彼女は諦めた。諦めたように呆けた声を出して、どこか遠くを見ていた。ここでない何か。そこにいない誰かを。
「もう、誤魔化せませんね」
そう彼女は陽気にいった。何てことないように軽く、明るく、自分のことでないように口にした。
「でも、後でいいですか」
「話してくれるなら、いいが」
「話していたらエスノピカのレッスンに遅れてしまうので、すみません。レッスン後はミラさんのラジオのお仕事についていくので、終わった後で話しましょう」
「……わかった」
延期となったが、素直に話してくれるらしい。もっと誤魔化すかと思ったが、これ以上は無理だと彼女は考えたのだろうか。
その後のラジオの仕事は、駄目駄目だった。集中できないし、おたよりを読みながら質問に触れないし、言い間違えも、噛むことも多かった。
「ミラがさっぱり駄目なんて珍しいね」と構成作家に心配されたぐらいだ。
私だって、戸惑うし、揺らぐ。
× × ×
散々なラジオ収録後、静かに話せる場所で、ということで収録現場から少しだけ離れた海が見える場所へ移動した。
家では話したくなかったのだ。今までの生活が、関係が崩れてしまいそうで、嫌だった。
「風が強いですね」
「海が近いからな」
やってきた場所は、夜景が綺麗に見えるスポットだった。休日ならデートしているカップルで賑わいそうだったが、平日のため私達以外の人はいなかった。
吸血鬼と、誰かわからない女の子の二人だけ。
「ミラさん、仕事お疲れ様でした」
「……あぁ」
「福岡のライブ素敵でした。私、泣いちゃったんですよ。とっても感動しました。でも同時に憧れは遠いなと実感しました」
感想は聞きたかった。けど、このタイミングじゃない。今じゃない。感想に喜ぶ余裕などない。
「いいから、早く本題に入ろう」
「ミラさん。今日は瀬名って呼んでくれないんですね」
「……呼べない。私もわからなくなった」
「私は、瀬名です」
海を背に、彼女が声を上げる。
両手を広げ、笑顔で、元気よく、私に何回も聞いた言葉を告げるのだ。
「世界にこの名を広げよう。瀬名灯乃、精一杯頑張ります!」
今はその台詞が不気味に感じる。
セナの名前をこの世界に広げるために、『セナ』でないこの子は頑張っている。
「ミラさん。3つの夢があります」
誰の、とは言わなかった。
「1つは、声優になって名前を知ってもらうこと。2つは、歌手としてもデビューし、大きな舞台であるアリーナに立つこと。そして、3つ目はミラさんと同じ舞台に立って、負けじと輝くことなんです」
「……」
「特に3つ目です。アリーナで3つ目が達成できたら、すべてが達成できるんです」
「それは誰の夢なんだよ」
「私、セナの夢です」
私。でも、セナ。
この子はセナじゃない。
「お前は、演じているのか? セナを演じているのか?」
一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔に変わった。
「さすがミラさん。その通りです。私は、セナを演じているんです」
「なんだよ、それ……」
「そのままの意味ですよ。私は、私を透明にして、セナを演じ続けている」
演じ続けている? そんな話があるものか。
たくさん生きてきたのに、こんなに戸惑ったのは初めてだった。
こんなに恐怖したのは、初めてだった。
「セナは、私の友人の名前です」
「友人……?」
「私の名前は、
初めて聞く、目の前の彼女の本名。
一度も彼女から聞いたことがなかった名前だ。
六路木、透花はセナを演じている。
本名で声優をする必要はない。むしろ、本名でやる方がリスクある時代だ。過去を、今までを、プライベートを詮索されないために芸名を使う、本名から少し変えるなんていうのは声優業界においてごく一般的なことだ。
けど、今回は違う。
友人の名前を声優名にするなんて聞いたことがない。
ありえない。そんなことをする意味がわからないのだ。
どうして。
そう聞く前に、彼女は理由を告げた。
「セナは、病気で死にました」
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