9章 記憶の中で⑥

 可笑しい。

 福岡のライブに瀬名も来たはずだが、ライブ前後に楽屋に訪れることもなく、ライブ後も携帯にメッセージはなかった。

 エスノピカのレッスンが忙しくて来れなかったのか、と思いスタッフに確認したが、関係者入口できちんと受付しており、会場にいましたよと伝えられた。


「マスクしていて、直接確認したわけじゃないけど、たぶん瀬名さんですよ。ミラさんの曲に涙していて、隣の隣に座っていた私ももらい泣きしちゃいました」


 来ていたのだ。

 私の歌を聞いてくれたのだ。来なくてもいいと言ったが、来てくれたことは嬉しかった。

 でも、特に連絡はない。

 携帯の充電が無くなったのだろうか。それとも私に気を遣ったのだろうか。そんな余計な心配をしなくていいのに。

 けど、家に帰ればわかるはずだ。ご飯を食べながら、たっぷりと感想を言ってくれるはずだ。


 ……何かあったのだろうか。


 最近の瀬名はどこか可笑しい。エスノピカに受かったのに、そんなに喜んでいない。レッスンが大変? それとは違う気がする。私が引退するせいなのかもしれないと思うと、申し訳なさでいっぱいになる。

 すぐに帰りたくなったが、福岡に予定通り一拍することになった。遅い時間に帰っても、瀬名は寝ているかもしれず、迷惑になるだけだ。


 空港から朝一の便で福岡から飛び立った。本当は苦手な朝は避けたかったが、瀬名が心配だったのだ。日よけしながら、我が家に辿り着く。


「ただいま」


 扉を開け、言葉を投げるも返ってこなかった。

 朝早くから、レッスンにいったのかもしれない。

 そう思ってリビングに入ると、瀬名がいた。机に突っ伏して、寝ていた。


「なんだ、寝ていたのか」


 瀬名がいることにひとまず安心した。こんなところで寝ているなんて仮眠だろうか。

 ソファーに置いてあるひざ掛けを彼女の肩にかけてあげる。


「そんなところで寝ていると風邪ひくぞ」

「ぇ……、ぇぁ……」


 何か寝言を言っていた。気になり、聞くことに集中する。

 今度はしっかりと聞こえた。


「せな……、せな、いかないで……」

「…………え?」


 言っている意味がわからなかった。

 瀬名? 何を言っているのだ。

 瀬名が、なんで「セナ」のことを呼ぶんだ。「いかないで」なんて言うんだ。


 思い出す。

 違和感を思い出す。


 この子は、たまに「セナの夢だから」、「セナですから」と言った。「私の夢だから」、「私ですから」ではなく、だ。一人称に自分の名前が混じる子なんだと思っていた。あざとい彼女だから狙っているのかもと、自然に思っていた。

 その考えは、違ったのかもしれない。


 ピリリリ。


 机に置いてあった瀬名の携帯が鳴った。この時間に起きるようにアラームが設定してあったのだろう。

 ゆっくりと起きる彼女と目が合う。

 誰か、わからなくなった彼女と。


「あれ、ミラさん帰ってきたんですね。おかえりなさい」


 いつもと変わらない声。瀬名の声だ。

 瀬名、なんだ。目の前にいるのは彼女なんだ。


 でも、聞かずにはいられなかった。


「なぁ、セナって誰だ」

「へ?」

「お前は誰なんだ?」


 目の前の女の子は困った顔をして、苦笑いした。

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